創作から批評にチェンジしたきっかけ/国語の先生にはお世話になってきた

Posted at 25/05/30

5月30日(金)雨

ここのところずっと朝は曇っていたが、今は小雨。でも雨雲レーダーを見るともうすぐ通り過ぎるだろうか。今日は母を病院に連れていく日なので上がってくれた方がありがたいが、通学中の子供たちが傘をさしているのが窓から見える。

昨日からいろいろ考えているのだけど、自分のやることの方向性が少し見えてきた感じはする。まあ今までも何度もこう言う感じになってその度に違うかな、みたいなことはあったのだけど、今回は一番自分が今までやってきた過去と今の現在に繋がっている感じがするから一番妥当な感じなのではないかとは思うが、もう少しはっきりしたまたそう言うことも書きたいと思う。

昨日は自分のnoteのマンガ関係の文章のうち、自分でいいなと思ったりスキをそれなりにもらっている文章を読み直して小冊子にしたりしていたのだが、スキがそれなりの数ついている文章は自分が読んでもやはり読み応えがあるんだなと改めて思った。勢いとか上手くスキを増やすテクニックみたいなものはあまり使っていないので、スキがついていないからと言ってつまらないとは必ずしも限らないけどそれなりにスキがついているものはやはり自分が読んでも自分なりに書けてるなと言う感じがすることが多い。ただ、ネットで読むように書かれているのでリンク先の情報がないとわかりにくいと言うことはあるかなとは思った。小冊子にするときはその辺をどう対応するとかの問題が出てくるんだなと思った。

文学とかマンガとか、いろいろなものに対してレビューとか感想とか批評とかそれに関するエッセイとか、自分の中であまり区別していないことが多々あるけれども、そう言うものを書き始めたのは本格的にネットをやり始めた37歳の時からだから、書き始め自体が遅かったんだなと今改めて思った。それまでも劇作をしたり詩を書いたり歴史の論文を書いたりはあったが、批評的な文章は書いていなかった。

もちろん、友人とかとさまざまなジャンルの作品について感想を言い合うことはよくあったし、こう言うのも文章にまとめれば面白いよなとは思っていたけど、いざ書いてみるとなんだか陳腐になってどこかで聞いた意見の寄せ集めみたいな感じになってしまい、ダメだなと思って書くのをやめていたのだけど、ネットで詩のサイトを始めて、あまりに読まれないので読んでもらえるジャンルを、と探していたらウェブ日記に出会い、そこでそれなりに文章を読んでもらえる楽しみを知って、いろいろなものを書き出した、と言う感じだろうか。その頃は白洲正子にハマっていたので白洲の批評を書いて地方紙の賞に応募し、最終選考に残ったくらいまでは行ったこともあったが、まあもう一つ上手くいかなかった。

創作から散文批評へのチェンジはそう言う形で割と自然に起こってしまった、つまりなるべく自分の書いたものを読んでもらいたいという軸でそうなったのだけど、もう一つきっかけになったのは、今考えてみるともう一つあった。この話は自分の中でははっきりしているのだが言葉にするのが難しいのだけど、国語の先生と話していてなるほどと目を開かされたことだった。「ふつうの軽音部」のクワハリさんの前職が「国語の先生」だったと言うのを聞いた時からなんだか自分の中でいろいろ出てくるものがあって、そのこともあって思い出したのかもしれない。自分が文章を書き始めたきっかけも、小学3年生の時の担任の先生が作文指導に熱心だったことがあるから、国語の先生にはいろいろとお世話になっているんだなと言うことだけちょっと書いておきたいと思う。

今日は母を病院に連れていく日なのでこの辺りで。

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by Luke Peterson

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