連休最終日/「物語ナイジェリアの歴史」:アフリカ史入門にも最適か/「ふつうの軽音部」:原作者さんの旧職/可愛げのある人と佇まいのある人/空しさと実存/進歩主義の皮相と保守主義の長い射程
Posted at 25/05/06
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5月6日(月・振替休日)曇りのち雨
朝起きたら4時前で、その時はまだ雨が降っていなかったのだが、6時過ぎに車を移動させに行ったらもうポツリポツリと降ってきていた。今日は連休最終日。連休特に後半はあまり雨が降らないことが多いのだけど、今年はそうでもなかったか。でもあまり大雨でもなさそうだから大丈夫かなとは思うのだけど。
昨日はブログを書くのに午前中いっぱいかかり、昼食後少し休んでから出かけて丸の内丸善に行って島田周平『物語ナイジェリアの歴史』(中公新書、2019)を買ったのだが、どうも大変混雑していてついでにお茶をしようとか他の本も見て回ろうとかという気持ちにあまりならず、せっかくだからどこかほかの街にでも行こうかとも思ったのだけどあまりそういう気にもならなくて、結局日本橋まで歩いてこちらの丸善で少し本を見た後、地元に戻って西友で買い物をして帰った。今日もあまり予定は考えていないのだが、ブログを書いたら部屋を片付けたり図書館へナイジェリア関係の本を探しに行ったりしようかという感じである。
朝何となく以前丸善のオークションで買った黄瀬戸の皿をどこに仕舞ったかと思って探したりしていたのだが見つからない。ほかのところに持っていった可能性は低いので家の中にあるはずなのだが、探し始めたら忘れていたものがいろいろ発見されてきて、これは一度ちゃんと片付けないとだめだなと思ったのだが、コロナであまり自宅に帰らなくなってから片付けが進んでないので5年分やってないだけでなく、実質この家に腰を据えてから30年くらいちゃんと片付けてない部分もあるなということが分かり、ちょっと頑張った方がいいかもという気になった。
最近は帰ってきても一泊二日ですぐ実家に戻ることが多いのでちゃんとした片付けができてない。ただ実家の方と違って新たに物はあまり増えてないからその辺で片づけやすくはあるとは思う。30年くらい前に買ったものがゴロゴロ出て来たりするのは、実家よりはこちらの方が多い。もちろん実家には祖父や父あるいは祖母や母が着ていたものとか、そういう意味での年代物は多く、父や祖父の蔵書もふとしたところで出て来たり、お蔵の中には祖母が高等女学校を卒業した時の集合記念写真とかもあったりはするのだが。
あとはこちらにあまり生活している期間がないせいでカレンダーを買ってないとか、実質的に不便なこともあったりする。やはり二泊三日以上で帰らないとなかなか落ち着いて生活するという感じにはならないなと思う。
***
『物語ナイジェリアの歴史』読み始めた。アフリカ関係の本はそれなりに読んでいるのでこの本に期待していたのはナイジェリアという国自体についての知識だったのだが、ナイジェリアは経済的に大国である(おもに石油資源のおかげ)だけでなく、アフリカ諸国の中でももっとも日本在住人数が多いのだという。
https://x.com/ahmadzakijp/status/1918547406754595140
このデータの出典は分からないのだけど、ムスリム諸国の人を抜き出してあるようだ。これによるとナイジェリア人の日本在住数は4331人で一時期あんなに多かったイラン人とほぼ同じである。ナイジェリアは北部がムスリム、南部がクリスチャンか伝統宗教という感じなので宗派別の分類は特になさそうである。まあ日本だし。
ナイジェリアは独立後すぐビアフラ内戦があり、その後もクーデタや軍事政権が繰り返されてきたために印象があまりよくなく、1999年に軍政が終わり民主政が成立したものの北部でボコ・ハラムの事件やニジェールデルタでの武装組織の外国人誘拐事件などが起こり、治安が良くないというイメージは払しょくできていない。80年代に1000人以上いた在留邦人も今はほぼ単身赴任で総数でも40人ぐらいに減っているのだという。商社の活動の縮小ということもあるのだろうが、中国のアフリカ進出が進む中で日本はむしろ退場傾向にあるということの現れなのだろう。
ツイッターで読んでいてもナイジェリア人というとでてくるのは不良化した人たちが原宿や新宿などで集団で圧力をかけたりとか、インプレゾンビをやっていたり、あまりいい感じの話が出てこない。また2023年には紙幣の切り替えが行われ、古い紙幣が使えなくなって経済的に混乱しているなどの話もあった。
https://x.com/9ja_panese/status/1622242154419728384
しかしそのせいなのかはわからないがナイジェリアは現在暗号通貨の流通量が世界2位になっているそうで、ある意味急速にIT化が進んでいる。これは他のアフリカ諸国もそうだが、スマホの爆発的な普及はアフリカを変えつつあるようだ。これがいい方向だけに代るかはわからないわけだが、インプレゾンビが急発生したというのもイーロン・マスクによるツイッターの仕様変更とかはあっただろうけどスマホ普及率の高さがないと成り立たないことではあるわけだ。
https://www.jetro.go.jp/world/reports/2025/02/88b44fbf2df336b8.html
先に述べたようにナイジェリアは北部がイスラム教徒、南部がキリスト教徒が多いわけだけど、これは歴史的に15世紀まではサハラの北のアラブ世界との交易が盛んであったために北部にイスラム教徒が増えたこと、また15世紀のポルトガル人来航以降はヨーロッパ諸国が沿岸部に植民都市をつくったり奴隷貿易をおこなったりしたために南部にキリスト教徒が増えたという経緯があるわけである。アーノルド・トインビーによれば、サハラの南縁とアビシニア高原の南縁を結ぶ分割線でアフリカは南北に別れていて、それをまたぐ国はスーダンとナイジェリアしかなかったそうである。スーダンは現在は分割線以南が独立して南スーダンになっているので、ナイジェリアが唯一の分割線をまたぐ国になっていて、その意味でアフリカの縮図になっているという分けである。
「はじめに」だけでもかなり情報量が多いのだが、第1章ではサハラ交易について、第2章では大西洋貿易について語り起こしていて、つまりはナイジェリア一国を超えた西アフリカの大きな歴史について語られた本だということが分かった。
私自身は岩波講座世界歴史「アフリカ」などアフリカ大陸の入門的知識のようなものはそれなりに読んではいるのだけど、この「物語ナイジェリアの歴史」はそうした知識がなくてもアフリカ全体の中でのナイジェリアの位置についてわかりやすく描かれているということが分かった。ナイジェリアについてだけでなく、アフリカというものについて知るにも、とてもよい入門書ではないかと思ったのだった。文章も読みやすい。
***
https://x.com/kuwahali/status/1919239128631398790
https://podcast.1242.com/manga/
「ふつうの軽音部」65話「芽生える」の余韻がいまだおさまらないというか、各方面で動揺が続いているが、こちらは原作者のクワハリさんのポッドキャスト出演。ニッポン放送の「マンガのラジオ」に出演されている。この回は第1回とのことなので、数回にわたってお話が聞けるとのこと。今回はマンガ原作者になるまでの、小中学生や高校生の時の話、大学生や就活、その後の話などいろいろ面白かったのだが、一番個人的に衝撃だったのは会社を辞めた後2年間通信教育で単位を取って高校教師(国語)の資格を取られ、実際に先生をやっていた、という話だった。
というのは、私自身が元高校教師で、都立高校の教員を10年やっていた、という個人的なこともあるからである。
昨日はこのストーリーに対しての様々な意見をどう考えるか、みたいな話を書いたが、クワハリ先生が本当にクワハリ先生だったというのは自分にとっては大ニュースで、でも言われてみると教員から見ないとわからない、気が付きにくい高校の事情などもよく考えて作られているなと気が付く点がいくつかあった。当然ながら、自分が生徒としての目線で見ている高校と、教師として俯瞰して見ている視線というのは異なる。自分も教員をやっていたからそういう意味で高校を舞台にしたマンガ作品というのはそちらの視点で見てのリアルというのも無意識に観察しているわけで、言われて見たらそのへんも違和感が少なかったなと思ったわけである。
また生徒の「良さ」というのも生徒から見たらわからないけど教員から見える良さというのもあるし、逆に教員から見たらいい子だけど生徒から見たら鼻につくとかそういうのもあるわけで、そのへんの生徒の多様性みたいなものがよく表れているし、大阪が舞台ということもあり在日朝鮮人か中国人らしき名前の生徒、他の外国人、性的少数者の生徒など、そういう背景のない生徒とバランスよく出てきているし、金持ちの生徒や母子家庭だったり親が再婚していたり、金持ちだったり父子家庭だったりする生徒も「バランスよく」出てきているのも、ある意味教員視点だなという気はした。
そのことでこのマンガの価値がどう変わるかというのは全然違う話なのだけど、少なくともこの作品を読み解いてその内容について考えていくときに、これは教員視点か生徒視点か、それ以外の視点なのか、みたいなことは絶対自分としては考えてしまうなと思ったわけである。
ある意味この作品は客観的に見れば小さな事件が登場人物個人にとっては大きな話として出てくることが多いわけで、そういうことが書けるのはどういう技なんだろうと感心していたのだけど、その一端を知ることができたという感じはする。ある意味極端に酷いことは起こらないだろうなという安心感もその辺に起因するのかもしれない。
ただ、かなりハードな(エロという意味で)作品を書いていた人でも元高校教師だったひとはいる(その作品が今探したけど出てこないので名前は書かないが)のでまあそこは書き手のタイプによる部分が大きくはあるのだけど。
https://shonenjumpplus.com/episode/17106567265435707355
まあ新しい視点も加わり、改めてこれからのふつうの軽音部の更新が楽しみだなと思うのだった。
***
若いころは可愛げがあった方がいいけど、年をとってもそれだけでやっていくのはどうか、みたいなことを考えていたのだが、それは上野千鶴子氏が成功したのにオープンレター学派が嫌われているのは何が違うかと言えば、上野さんが権力を握るまでは「可愛げ」があったからで、OP学派は最初から権力者であったから嫌われているのだ、というようなことをきのう少し書いた。
ちょっと昨日に比べるとこれを書こうという勢いが減っているのでこういうのは思いついたときに書いた方がいいなと思ったのだけど、まあ書きたかったのは権力の話ではなく、若いころはやはり可愛げがあった方がいいんじゃないかという話である。
可愛げというのはもちろん年長者に媚びるということでは必ずしもなく、もちろん尊敬する年長者をいつも立てながらそこから吸収できるものは吸収していくという姿勢がいいことに変わりはないけれども、逆にそういうことが出来なくていつも突っ張って見せるのがある種の可愛げになる場合もあるから、若いころ何かを全力でやることは実際大事だし良いことだと思う。
この「可愛げ」というのは「可愛らしさ」とは違うものであり、女性のファンに「可愛い」と言われて心底落ち込んだという落語家の話とかを聞いたが、まあ渋い大人の話をやってるのに可愛いと言われたらガクッと来るというのは分からなくはないけれども、観客の方が見巧者でなくなっているというか語彙が著しく貧困になっているということに加えて、観客も常に何かを与えてもらいたいという渇望があって、ある種の性的ないし母性的な意味合いが混入しがちな「可愛い」という言葉を嗜みなく使う人が出て来たということではあるのだろうと思う。
だからあまりそういうことに神経質にならない方がいいとは思うけれども、芸人などは観客の評価には当然ながらセンシティブだから、そういう予想しない言葉にダメージを食らうということはもちろんあるだろうと思う。そういう評価を送る側も言わない方がいいことは考えに入れておけるとよいなとは思う。
可愛げの問題に戻るといつまでたっても可愛げのある人というのはいて、たいていの政治家というのは若々しいとともに可愛げがある。トランプなどはある意味可愛げのかたまりであって、その分年齢にしては若々しい。しかし大人として可愛げだけでいいのかということはあり、それなら何を目指すかということを考えてみたのだが、つまりは「たたずまいのある人」ではないかと思った。
これは一番思い当たるのは天皇陛下なのだが、安心感があるとともに威厳があるというか、やはり君主というものはそうあるべきものだなとは思う。ただ立たれているだけでそういうものを感じさせる人のことを「たたずまいがある」というのだと思うし、人間としての風格なようなものを身につけるために教養や所作や人間的な深さをに向かって精進されているのかなと思う。万分の一でも自分も身につけたいものだなと思う。
***
ツイッターを読んでいたら北山修さんのインタビューを見つけた。
https://bunshun.jp/articles/-/78806
北山さんは大学時代にフォーククルセダーズというグループで「帰って来たヨッパライ」というヒットを思いがけず飛ばした人だが、その後は作詞などをしたりオールナイトニッポンに自切俳人(ジキルハイド)として出演したりしていたが、本業は精神科医でそちらの方の著作もある。
このインタビューで北山さんは「むなしさ」というものについて発言されているわけだけど、私は「むなしさ」というのはある種人間の本質みたいなところがあるんじゃないかと思う。人間が人間として生きているときに自分を動かすもののことを「実存」というのだとしたら、その実存の向かう先がない状態のとき、人はむなしさを感じるのだと思う。「実存は本質に先立つ」のだから、こう成したいというエネルギーが欠けたり実存が未整備の状態(やりたいことがない、わからない、など)になるとむなしさは必ず襲ってくるということになるだろう。
何というかこういう状態は自分も随分直面してきたので、何かを見失っていると感じたときは、私はまず自分の実存が向かうべき先は何なのか、を考えるようにしている。
若い時はどんなにむなしいと感じてやる気が出なくても、腹は減るし性欲もあるわけで、それを何とかしないといけない、くらいの勢いで無理やり動いたりすることもできる。ただそれが「死んじゃおうかな」になるとヤバいのだが、まあこれは一つ決めておいた方がいいかなと思うのは、「何があっても自分からは死なない」ということだと思う。私は20歳の頃だと思うけど、まあいろいろあった時に何というか天啓のように降りてきたのがこの「何があっても死なない」という言葉だったので、まあそれを頼りにわりと今まで生きてきているところはある。この言葉は悪くないと思うので、わりとお勧めしたい言葉である。
しかし年を取ってくると実際エネルギーは枯渇してくるし、食欲や性欲も若いころのようには出てこない。やるべきことをやってしまったと感じるならなおさらだ。私は全然やるべきことがやれたとは思わないのでまだ生きたいと思うし、そういう意味では生に執着するのも悪くないかもしれないのだが、もともとそんな執着する感じでもないにしても、やるべきことをまだやってないという感じがつよくて「やるべきことがない」とは感じない。しかし立派な仕事を成し遂げてきた人もたくさんいるから、そういう人たちはむしろそういうことから危機を迎えることがあるかもしれないと思う。そういう意味では老いのむなしさは死に直結する危険がある。
ただこれも若いころとは根本的に変わらず、今の自分の実存が向かう先は何なのかを考えて答えを出せばいいということには変わらないので、迷ったら一生懸命考えればいいのだと思う。でもまあこれも最初に「自分からは死なない」と決めているから考えるしかないわけで、まず死なないと決めることの方が先決かもしれない。などということを思った。
***
https://x.com/ganrim_/status/1919288812666282179
https://x.com/ganrim_/status/1919289604080873798
雁琳さんのこの2つのツイートを読んで保守というもの、右翼というものについて考えていたのだけど、左翼進歩派がどうして皮相な現実への対処しかできないのかということについて考えていたとき、今まではデカルト主義的な合理的計画主義というか、「ぼくのかんがえたさいきょうのしゃかいせいさく」を得々と実行しようとして現実と齟齬をきたす、毛沢東の大躍進政策とか金日成の稲は密集させて植えよという指導などの大失敗を思い出し、つまりは計画主義的・設計主義的な発想であることが左翼が問題解決に至れない大きな原因だろうということを思っていたなと思った。
しかし、これはつまりは「現実を相対化することで分析する」というやり方そのものに問題があるのではないかという指摘であって、「現実を様相として見る」、というところにその問題の根本がある、ということかなと思った。
https://x.com/ganrim_/status/1919415065507402224
まあ哲学における様相概念というものを自分がちゃんとわかっているわけではないので誤謬はありそうだが、何というか少なくとも現実というものを「知性で理解可能なもの」としてとらえるということかなと思った。
現実(存在)と観察(認識)の間に断絶というか原理的に不可知であるというのはカント哲学であったと思うが(この辺もよくわかってるわけではない)、根本的に現実というものはそれ自体を理解できるものではなくてそれをどう認識するかというところに人間の限界と可能性があるということなんだろうと思う。
これは京都学派の末とも言えばいいのか今西錦司系統の川喜田二郎が作ったKJ法の体系の中で「事実をして語らしめよ」ではなく「データをして語らしめよ」なのだ、と言っていることにも通じる。つまり、人間が扱えるのはデータにすぎなくて、事実や現実をそのまま扱うことはできない、ということである。
だから左翼系の思想だとさまざまに起こっていることをデカルト的に明晰な視点でばっさばっさと斬っていけばすべて真実は明らかになる、ということとは全く現実は異なるということで、トランプ現象なり世界の右翼化なりという現象に対しても通り一遍のことしか言えないということが出てきてしまうのだと思う。
で、だから左翼の中から出てくる「価値」というものは「民主主義」とか「人権」という概念になり、ある意味なにそれ美味しいのというものではあるのだが、まあそれらはそれなりに悪いものではない部分もある。しかしそれだけですべて行けるかというとやはりなかなかそうはいかないものであり、その限界もわきまえないといけないと思うのだが、なかなかそこのところは受け入れがたいと考えるのが左翼のスタンスだろう。もちろんこれはまともな左翼の場合だけれども。
右翼や保守派の「価値」というのはたとえば「家族」であり「墓標」であり「教会」であり「国家」であって、まあこれはエドマンド・バークが言ってることだけど、オークショットの言うように「友との対話」とかだったり、より生活とか人生に密着したものであって、これらの「よさ」というものは相対化もできないし分析にもなじまない部分が当然あるわけである。
で、「価値」というものは「守らなければならないもの」であって、その価値のために人がどう闘うか、というのが人間の現在であり未来であり、またどう闘ってきたか、というのが「歴史」だといえるのだろう。
日本の左翼は逆に言えば本当の左翼ですらない面があって、彼らは「国家のために戦う」ことを価値のないことと切り捨てるが、それなら「民主主義のために戦う」ことが価値のあることだと必ずしも証明しない。「いのちの方が大事だ」ということが多いからだ。それならいのちを増やし守るために戦っているかというとそうでもない。女性の権利の方が大事そうである。
もともと命というものは限りあるものだから尊いということがあるわけで、その尊さについてもっと考えればいいとは思うのだが、まあ左翼を批判してもあまり面白くはないしあまり興味もないのでこれくらいにする。
まあ保守思想の方が進歩思想よりも射程が長いんじゃないかと思うから、というか雁琳さんのその他のツイートなども呼んでいるうちにそういう気がしてきたので、まあ今日はこんなところで終わりにしたいと思う。
***
何を書くか考えているうちにテーマがいくつも出てきてしまって長文申し訳ありませんでした。本当は分割して書くべきなのだが、そういう編集をしている暇(時間と余裕)がないのでこういう形で発信しています。
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