自己犠牲をめぐる「洗脳」と「自由意志」/「最初の驚き」と「私の文章の個性のありか」/船橋市と高知県の人口/カシミールにおけるイギリスの責任とAI /北部ナイジェリアのイスラム化の経緯
Posted at 25/05/08
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5月8日(木)晴れ
今週は火曜日まで休みだったせいで1週間の流れが早く、もう木曜日かという感じだが、雑誌の発売も普段通りに戻ってなんとなく安心感がある。木曜日はヤングジャンプとDモーニングの更新、それにジャンププラスの更新があっていつもの木曜日という感じ。ヤンジャンを買いに行くついでに資源ごみも出しに行った。
昨日は午前中会計の打ち合わせをしてから仕事を頼んで自分は松本に整体に出かけ、昨日は他にもやることがあったので直帰して会計の仕事の続きなど。朝ごはんをかけるのを忘れていたので帰ったあとお米をしかけたので昼食は1時過ぎになった。午後にはまた銀行に行って記帳などし、職場に出たら不動産屋さんから電話がかかってきて先月末に駐車場代を払ってなかったことを思い出し、すぐ支払いに行った。忙しいとそういうのが抜けてしまう。
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船橋市の人口が65万を超えた、というニュースの中で島根、鳥取、高知の人口を超えたという話が出てきたのだが、2020年の国勢調査での人口は69万人あり、5年ですでに4万人減っているのかと驚いた。私が高知を旅行した1980年代には80万人くらい人口があったはずなので、それ以来でもかなり減っているのだなと思う。
ただ当時でも、四万十川沿いを旅行したときにほとんど人に会わず、この感じは北海道の野付半島で国後島を見ていたときの感じに近いなと思った。鹿児島に行った時はここから先に奄美や沖縄があり、ここが本当の端ではない、という感じはしたのだが、北方領土が失われた道東やこの先には太平洋(フィリピン海)しかない高知の足摺岬の近くの感じというのは、本当に最果てというか端っこだなという感じがしてしまう。
北海道にしろ、鳥取や島根、高知にしろ、海の交通や交易が盛んだった時代にはある意味交通の要衝だったわけで端っこ感はそれほどなかったと思うのだけど、そういう交通がもっと盛んになってもいいのかなという気はした。
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靖国神社に祀られている兵士たちをどのようにとらえるか、という話で、最近は左派の人たちは国のために洗脳されて犠牲にされた人、と捉えがちになってきているけれども、終戦直後などは当然ながらそんなふうには思っていなくて、軍部の作戦指導がダメだったからだとむしろ現実的に捉えていたと思う。戦後平和主義が強調されて戦争に対する実際の知識がなくなっていくにつれ、戦争そのものが悪という思想が強くなっていったわけだけど、そうなると過去の戦争で祖国のために戦い祖国を守った人たちのことも正面から捉えられなくなって理解しにくいものになってきたのだろうなと思う。
左翼思想というのは本質的に革命を起こして旧支配者を打倒し人民本位の政府を作るという思想なのだから戦争や流血と根本的には馴染みやすい思想のはずなのだが、日本の場合は平和主義が左派の金看板になったためになんだかよくわからないものになってしまっている。絶対平和主義の高まりによって逆に革命思想を持つ左翼が危険だという方向性にすらなっていて、論理的一貫性を持てなくなっているのが日本における左派の衰退の一つの原因ではないかという気はする。
靖国神社の崇敬に対して批判する学者が、「誰かのために犠牲になる」という思想そのものを否定し、同じ刀で「神の子であるキリストが人類のために犠牲になった」という考え自体を「自分たちのために犠牲になった人を崇めることで自分が免責される暴力だ」みたいに考えているようなのだが、そのことについて牧師の方が不快感を示しておられた。当然だろう。
あえてキリスト教を敵に回してでも靖国を批判する、というのはある種の考え方だとは思うが、それよりはその犠牲によって我々が生かされているということに感謝してよりよく生きる、より社会を作る選択肢を選ぶ方がより豊かな考え方ではないかと思う。
この「洗脳」という言葉も実際にはかなり便利に使われ過ぎているのではないかという気がする。つまり、「宗教」などによる「いわゆる洗脳」も本当は自発意思が含まれてることもかなりあるんじゃないかと思う、ということである。
その時は自分の自由意志で選択したのだけれども、あとで都合が悪くなって、「洗脳されていた」ことにしている人とかもいるのではないかと。夢破れて左翼活動から離れた人とか幻滅して宗教から離れた人とかは、今までは流石に言い訳しないできたけれども、いつの頃からか特に統一教会のように「財産を寄付させられた」というような人たちは、その時はそれを本当は自由意志で選択していても、「洗脳されてたということにした方が今後の周囲との関係がうまくいく」ということは実際そうだろうと思うし、それを世間は容認しているわけだから、とは思う。
しかしそれは、日本が敗戦したときに、本当は自分たちも戦争に賛成してそれに対して自分の意思で戦ってきていても、「国や軍部に騙されたんだ」とした方が敗戦の現実を受け入れやすかった、ということとも似ていて、ある意味それは大衆的な「賢い立ち回り」だったのだと思う。小林秀雄が戦争についての座談会で、「僕は馬鹿だから反省なぞしない。利口な奴らはたんと反省するがいいさ」と言っているけれども、反省するなら「なぜ負けたのか」を反省するべきであって、「なぜ騙されたのか」みたいなことを反省しても無意味だろう。理屈と公約は、もとい膏薬はどこにでもつく。
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アフリカについていろいろ読んでいて、それなりに自分なりに解像度が上がってきている感じはするのだが、中央アフリカの現状などを読むと、やはり今でも大変なところは大変なんだなと思う。「物語ナイジェリアの歴史」も読んでいる。サハラ交易で栄えた古代中世国家がガーナ→マリ→ソンガイ→カネム・ボルヌとだんだん東に移ってくる中で、これらの国家との交渉の中でナイジェリア北部のハウサの諸都市国家も商業的に繁栄する中でイスラムが浸透していき、そうする中でスンナ派の正統派の立場からのジハードが起こされてイスラム国家になっていく、という道筋が理解しやすかった。
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カシミール紛争におけるインドとパキスタンの対立に旧宗主国であるイギリスはなぜ関与しなかったのか、みたいなことをGrokに聞いてみたのだが、以下の通り。
https://x.com/i/grok/share/f9zUVVrVS9z5BjFfG4qdsaH5h
これはなかなか参考になるなと思った。何かを調べる際に疑問のありかをまずAIに聞いてみて、ネットの集合知としてこれはこう考えられる傾向がある、というようなことはある程度まとめられると思った。これは日本語環境で聞いているから日本語環境での意見に偏っているとは思うが、英語とかヒンドゥー・ウルドゥ語で質問するとまた違う見解・まとめが出てくるのだろうなとも思う。本気で取り組む前の下調べとしてはそれなりに有効かもと思った。
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専門家に読んでもらう専門的な文章ではなく、一般の人に読んでもらう文章を書くうえで、一番大事なことの一つは自分がそれを知った時の驚きとか感想みたいなものだと思う。そういうビビッドなものがあったからこそそれに関心を持った、ということを大事にしておかないと、なぜこれに興味を持ったんだっけと自分でもわからなくなるし、人に説明するときにも説得力がなくなる。
https://x.com/makoto_sanda/status/1920178429464551546
だからこれは本当にそうだなと思う。専門家の書く入門的な文章の導入というものは、場合によってはポジショントークに過ぎないものになりがちで、そうなると読む側には全く響かないものになってしまう。それで損をしている文章や分野というものはかなりあるんじゃないかという気がする。
これは文系の文章だけでなく理系の文章でもそうで、例えば「熱力学」というものが私は自分が物理を高校で勉強しているときにはなぜこんなことをやらなければいけないのかとどちらかというと思っていたが、「蒸気機関を進歩させるために必要だった」と言われたら一度に納得したわけである。そして「加えられた熱が内部エネルギーの増加と仕事に使われる」ということの意味もそれで納得できるわけである。物理や化学こそがそうした物語的な語りが必要だと私などは思う。というか自分が天文に興味を持っていたのもまさにカルデア以来の星座や天文学の歴史に興味を持ったからなのだが。
まあこれは物事を理解する上で「歴史」というフィルターを通すことが自分にとって必須だという自分の来歴とも関わることだということでもあるのだけど。だからコンピュータや電気通信の歴史なども読むのは好きだ。それを知ると少しそういうものを理解した気になる、というのが自分という人間なんだなと思う。
だから私が何かを説明するときにすぐ歴史的経緯を語ろうとするのはそういうのが自分にとっても人にとってもわかりやすいと自分が思っているからで、そうでない人には、例えば哲学的な思考が自分の基本にあるというような人にとっては余計な部分が多いなと思うのかもしれないなとは思う。ただ、自分の書く文章に「個性」があるとしたら、それはそういう部分とおそらくはかなり関わっているのだろうとは思う。
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