五・一五事件から93年/「新九郎、奔る!」と大和川の付け替え/「保守主義とは何か」と「ナイジェリア」/書き続けることとまとめること

Posted at 25/05/15

5月15日(木)晴れ

今日は5月15日、五・一五事件から93年目。昭和史の出来事なのにもうそんなに経ったかと思うと、昭和は遠くなりにけり、である。高浜虚子が「降る雪や明治は遠くなりにけり」の句を読んだのは昭和6年、まさに五・一五事件の前年だが、そこから93年前といえば天保の改革の頃である。まさに「幾時代かがありまして茶色い戦争ありました」、である。昭和は遠くなったのだなと思う。

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「新九郎、奔る」は物語の展開は明応の政変後、駿河にいる新九郎が足利茶々丸がクーデタで実権を握ったために失われた伊豆の領地を取り返したいと画策しているところなわけだが、この明応の政変の際、将軍足利義材が河内の高屋城を攻めたときの情勢を描いた地図の大和川の位置が間違っているという指摘を読んだ。この指摘に対して作者のゆうきまさみさんも答えていて、単行本で修正するとのことなのだけど、どういうことなのか少し興味を持ったので調べてみた。

Wikipediaなどをあたっただけだが、大和川は昔は大阪平野に出ると北流して上町台地の北に出て淀川と合流していたようで、中河内地方は湿地帯になっていたらしく、つまりは河内という国名自体がこの川と関係あるのだなと理解した。その川の改修工事の歴史を読むと、最古が5世紀で仁徳天皇の工事とあり、流石にその辺は利根川や多摩川とは歴史が違うなとは思った。

大和時代(古墳時代)の仁徳天皇の次は奈良時代末期の和気清麻呂によるものだがこれは上町台地を越えられず失敗したとのこと。現在の堺市と大阪市の境界を流れる流路に変わったのは江戸時代、宝永期の公儀普請で、5藩が共同して工事を行い8ヶ月で開通したという。

この影響で水害のなくなった旧流路の中河内地方は新田開発や木綿栽培などが盛んになったが、新流路の方では農業用水が寸断されたり洪水が起こりやすくなったり、新たな土砂の流入で堺の港町としての地位が低下するなどが起こったとのことで、やはり大きな影響があったのだなと思った。

関東で言えば利根川の付け替えを徳川家康が命じて行ったわけだが、大和川に関しては豊臣秀吉も行っていない、逆に言えば豊臣政権も大阪の政権として定着する前に滅亡してしまったということなのかもしれないと思った。

足利義材が攻めた高屋城は大和川より南、大和川に合流する石川の近くの安閑天皇陵を利用して作られた畠山氏の城だったようで、大和川の位置が違うことでどの程度陣の配置とかに影響が出てくるのかはわからないけれども、こういう古い時代の出来事を作品にするというのはいろいろ難しいところがあるのだなと改めて思った。時間のある時にバックナンバーで確認したい。

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昨日は少し時間があったので「保守主義とは何か」は第2節を読み終わって第3節の政治との関わりのところに入っている。保守的な性向と政治との関わりというのはおそらく本題ということになるのだと思うが、しっかり読みたいと思う。

またナショジオの「ナイジェリア」は読了した。地理編はいろいろと知らないことが多くて確認しながら読んだが、後半の歴史編は割とざっくりしていたということと大体知っていたということですぐ読めてしまった。ヨーロッパ人の到来以来、奴隷貿易のこと、植民地化のこと、独立運動と独立のこと、ビアフラ戦争、ニジェールデルタにおける石油開発による富裕化と弊害、クーデタの頻発、民主化、民族間の対立と妥協などなど、ナイジェリアが現在でも抱える問題を歴史的に一覧した感じ。

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ここ数日、久しぶりにちゃんと本を読んだり、「保守主義」というものについて考えたりしていることで、ふだん自分があまり考えてなかったことを改めて考えたりして、そう言えば自分の今の状況とか考え方とかがこちら(実家)の方に来る時に考えていたこととかなり違ってきているなということに改めて思い当たった。そのことをどう考えるのか、ということを考え始めたり、身の回りのいろいろなことを考えたりしているうちに、自分が今書いている文章は本来書きたかったものなのか、みたいなことも考え始めた。

私は今毎日文章を書いてnoteとブログにアップしているけれども、これは一時期あまり書けなくなっていた時期からのリハビリというつもりで始めたことだった。2014年の4月だからもう10年以上前になるが、そこから2021年の11月まで書けたり書けなかったりの時期があった。コロナ禍ということもありとにかく毎日更新ということを課してそれ以来、だから3年半くらいは毎日書いているけれども、まず書くということが第一目標で内容についてはその次という感じで書いてきている部分がある。

もちろん基本的には書きたいこと、また大事だと思うこと、あるいは興味のあることについて書いているだが、一般的なブログやnoteのように何かテーマを決めて発信するとかそういうわけではないので、例えば書いたものを一つにまとめるとかがしにくいということはある。もちろんそのことにきちんと取り組めばある程度はまとめられるとは思うが、今の時間の使い方では毎日書くだけで精一杯なところはある。逆に言えばテーマを決めて書けば毎日書くことはある程度決まってくるからそんなに負担にならないということもあるかもしれないという気はする。

ただそれが面白いかどうかはわからない。しかし今書いていることも一番自分ができる一番面白いことが書けているかというとそれもわからないので、少し振り返る必要はあるのかもしれないとも思う。

読むのも書くのも昔よりは時間がかかるようになったし、集中力も続かない。その中で自分が何を書き、何をしていくのが一番いいのかは、生きていられる時間も昔に比べれば少なくなっているわけだから、ちゃんと考える必要があるなとは思う。

まあ文章にしてみると相変わらずふわっとしたことを書いているなと思うが、関心領域を広げる=アンテナを張ることと的を絞ることの両方をしていかないといけないなといつも感じる。その辺のバランスを改めて整理してみたいと思う。

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