イスラエルで差別される中東ユダヤ人とネタニヤフ政権の強硬政策/弁論術とネットバトル/岩波新書と教養への憧れ

Posted at 23/11/24

11月24日(金)曇り

今朝はなんとなく目が覚めてから寝床の中で思考が動いていたのだが、どうも少し布団の中が暑い感じがしてトイレに立った。4時半ごろかなと思ったらまさにその時間で、そういうカンが働くようにはなっているなと思う。

どうも思考がぐずぐずしているなと思ってこういう時にはモーニングページを書くのだよなと思いながら久しぶりに引っ張り出して書いたのだが、前回に書いたのが10月に1行だけ、その前が5月でこのノート自体は2021年の9月、つまり2年以上前から使っていることになっているのだが、つまりは全然書いていないということになる。多い時には2週間に1冊くらいのペースで書いていたが、それだけ思うことが多かったということだろうか。

ブログ(note)の方は確か650日連続くらいで投稿しているので、つまりはnoteの方に毎日ぐずぐず考えているようなことも含めて書いていたのかなとも思うが、ただやはり表に出すには書けない、書きにくいこともあるので、最初に描き始めるのに詰まってしまうことも多い。今朝も最初はまずnoteから書き始めるつもりだったのだがどうもぐずぐずした書きにくい内容を書くのはアレだなと思いつつ、そうだこういう時にはモーニングページを書くんだ、と思って書き始めたわけである。

書き始めてみると、原稿用紙ノートに万年筆で書くというスタイル自体が久しぶり感があって新鮮で、またメガネも最近は近くを見るためのメガネ、つまり老眼鏡が入ったメガネを使って書いているのだけど、モーニングページは普段使いのだいぶヤキが入ったメガネがあってる感じがして、見えにくいと思いながら書くのがちょうどいい感じがしたりした。

もう一つは、書く場所が以前は書斎兼作業場に作っている部屋を使っていて、手元を明るくするスタンドを使って書いていたから多少見えにくいメガネでも書けるということがあったなと思う。最近はずっと実家の居間でソファに座ってブログを書いているので、なるほどモーニングページ対応に態勢がなってないんだなと思ったりした。原稿用紙ノートもいつも日本橋の丸善で買っていた。だいぶ進んでないから少なくとも数日分は書けると思うが、モーニングページ用のノートと万年筆のインクボトルを居間にも用意したほうがいいなとか、そういう細かいことでも考えると少し楽しくなることがあるなと思ったりした。

今朝は暖かくて、最近はもう居間にストーブを二つ入れているのだが、二つつけると暖かすぎる感じなので一つ消したりしながら書いている。また寒くなってきたのでもう一つつけたが。文章を書くというのは時間がかかるものでストーブにかけていたお湯も書いているうちに湧いてきて、また冬の室内の雰囲気が出てきた。

モーニングページを書いているうちに思考に勢いが出てきた感じがし、こちらの方を書き始めたわけである。

***

昨日はオランダで右派政党が勝利し、ハンガリーのオルバンが祝福していたのだが、党首のヘルト・ウィルダースが親イスラエルでずっと滞在していたこともあるそうで、ヨーロッパが親イスラエルにかなり触れているというのは、イスラム系の移民とそれとの対応の問題が社会問題の中心になっているせいもあるなと思ったり。もちろん反ユダヤ主義と思われたくないということはあるのだろうと思うけど、それだけでもないのではないかと各国での右派政党の台頭を見ていると思う。

右派ポピュリズムを政権内に取り込むとどんな酷いことが起こるかというののみ本がイスラエルで起きている、という池内さんの指摘を読んで本当にそうだなと思ったのだが、ヨーロッパはそれでもオルバンは過激になりすぎてはいないしメローニも思ったよりちゃんとやってる感じなのである程度は大丈夫なのかなという気はしなくはない。

しかしイスラエルの徹底的なハマス撲滅の方針はなぜここまでやるのかという意識も自分の中にはあるわけで、イスラエルには自分が知らない要素があるのだろうと最近いろいろ調べたりしたこともあり、建国の歴史については自分なりに整理していたのだが、何か知らない、未確認の要素があるのだろうと思ってはいた。

昨日タイムラインに現れた「ミズラヒム」という言葉が聞きなれない言葉だったので調べてみたのだが、これはユダヤ人の大きな集団である「アシュケナジム」と「セファルディム」とはまた異なる概念の集団だということがわかった。

アシュケナジムは東欧・ロシア・ドイツ系のユダヤ人で、我々がイメージするいわゆるユダヤ人はこのグループが多いのだが、彼らは我々が知るユダヤ的な服装やラビ、トーラー解釈の伝統を持っている人たちで、このグループがロシアのポグロムやヨーロッパでの迫害を受けて19世紀に始めたのがシオニズム、ユダヤ人のホームランドを作ろうという運動であり、それがイスラエル国家の建国につながっている。「白人ユダヤ人」とも言われるようである。アインシュタインなど我々の知る多くのユダヤ人ないしユダヤ系の人物はアシュケナジムが多いと思われる。彼らはディアスポラで世界に離散したパレスチナのユダヤ人の子孫ではなく9世紀ごろ集団でユダヤ教に改宗したハザール王国の子孫であるという主張もある。

セファルディムは地中海系のユダヤ人と言われ、ローマ世界からイスラム世界で広く生き残ってきた人々全般を指すようだ。私が認識していたのはスペインのレコンキスタの際、ユダヤ人もイスラム教徒がアフリカに退却した際に同時に追放された人々と、もう一方ではカトリックに改宗してスペインやその支配地であったフランドル・オランダに移住した人々のことで、例えばスピノザなどはその系譜である。彼らはコンベルソ(改宗者)あるいはマラーノ(豚)などと称され、彼ら独自の伝統を持っていて、ただアシュケナジムのような宗教的体系は持っていなかったのでヨーロッパのユダヤ人社会の中でもより劣位に置かれた、というようなことを読んだ覚えがある。

ミズラヒムというのは大きく言えばこのセファルディムの一部なのだが、ヨーロッパでなく中東イスラム社会に残ったユダヤ人のことを指す。よく知られるようにイスラム世界では基本的にユダヤ人はキリスト教徒と同様「啓典の民」として信仰を維持することを許されていたから、近代まで多くのユダヤ人がイスラム世界に住んでいて、特にイランではその人口が多かったと言われている。その広がりは予想以上に広く、中国の宋の時代には首都開封にユダヤ人が住んでいて、この開封ユダヤ人は中華民国の時代になってもまだ子孫がいたようである。

シオニズムの運動によって多くのユダヤ人がパレスチナに居住するようになり、イスラム教徒のアラブ人=パレスチナ人と対立するようになったが、第二次大戦後のイスラエル建国により、それを認めない周囲のアラブ系国家を中心とするイスラム教国との間に数次にわたる中東戦争が起こった。その被害をもろに受けたのがこれらの諸国に住んでいたユダヤ人たちで、多数派イスラム教徒から強い迫害を受けるようになり、追い出される形でイスラエルに移住してきた人々がセファルディムの中でもミズラヒムと言われるようになった、ということのようだ。

彼らはユダヤ人であってもアラブ系の影響を強く受け、アラビア語系の言語を話すとともにアシュケナジムとは違った宗教観や習俗を持っていて、多産系であったため、イスラエル社会でも一度に大きな人口を占めるようになった。「白人系」のユダヤ人たちは彼らを「遅れた人々」と見做し、彼らの宗教観や習俗を捨てさせて自分たちへの同化政策を強制する、というようなこと、端的に言えば差別とも言えることがイスラエル建国後に行われたようだ。この辺りはまだ昨日知ったばかりでどこまでが妥当なのか自分的には慎重なのだが、「白人イスラエル人によるパレスチナの植民地化」という観点から見る見方も存在するのだなと思った。これはおそらくは日本赤軍のグループなどの思想とも関係するのだと思うのだが、とりあえずそういう見方もあるということは書いておこう。

ミズラヒムの存在を考えの範疇に入れて考えてみると、今まで見えていたイスラエル社会の構図がかなり違って見えてくるということもある。イスラエルの総人口940万のうちパレスチナ人が200万人いて、みずらヒムは460万人いるということなので3分の2はアラビア語を話せるということになるというツイートを読んだ。ただ、ミズラヒムの多くは故地でイスラム教徒から迫害を受けて移住してきているので反イスラム・反アラブの感情が強く、右派ポピュリズムの大きな支持基盤となっているということだった。

もちろん彼ら自身にも多様性はあるだろうからその存在をどう考えるかはもっと調べる必要があると思ってはいるのだが、要はイスラエル社会にはまだ自分が知らないことが多いなということを確認したということではある。ネタニヤフ政権が強硬であるのは彼らが背景にあるということはあるだろうけれども、人質にされたのはどちらかというと世俗派のユダヤ人が多く、戦闘中止により人質解放を求める人質家族とはネタニヤフはあまり会わないという報道もあったから、この件を奇貨としてガザ地区再征服を目指しているのではないかとも受け取れ、この辺りをアメリカがどう考えているのかとか、その辺も調べないといけないなと思ったのだった。

***

もう一つ書こうと思ったのは弁論術のことなのだが、今読んでる本の一つに向坂寛「対話のレトリック」(講談社現代新書)があり、ここではアリストテレスの「弁論術は「何が事実であるのかをはっきりとらえ、また他人が不正な議論をしたときに反駁できるために身につけるもの」、という言葉があって、イスラム研究者の池内恵さんが日本保守党界隈の多くのアカウントとTwitterでバトルをやっているのをみるにつけ、この言葉は実に今日的に重要だなと思ったのだった。

「手足を使ってわが身を守れないことは恥ずべきことなのに、人間にとって身体を使うことより本来的な言論によって身を守りえないことが恥ずべきことでないとしたらおかしなことだ。」アリストテレス「弁論術」など、このことについていろいろ考察して書きたいこともあるのだが、時間がないのでまた後日にまわしたい。

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連日書いているようにいま家の中や職場に置いてある本の整理、特に岩波新書を集めているのだが、なぜ自分が岩波新書にこだわるかというと、子供の頃父の書斎で見た岩波新書の青版のタイトル、武谷三男「物理学入門」遠山啓「無限と連続」田中美知太郎「ソクラテス」清水幾多郎「論文の書き方」丸山眞男「日本の思想」といった背表紙の文字が、無意識のうちに自分の心にこういう知的世界への憧れを育てたのだよなということに思い当たったからである。その記憶とともに、岩波新書は懐かしい思い出の中にもある。青版の時代は特に、その時代をリードしていたといまならわかる知識人の名前が並んでいて、その知的世界の広さのようなものを改めて感じている。

知的教養というものは、無用の長物であるとか上層階級のマウントに使われるものといった反感みたいなものが最近は結構見られるけれども、本来は「芸は身を助く」みたいなものであって、ゼレンスキーが世界に共有されている知的世界の伝統に根ざした雄弁な演説によって各国の支持を引き出したことを考えれば、ああいう世界に共感を持たれる政治家の存在が国家の存亡の時には必要だということは明らかで、それが今まで一番できたのは安倍元首相だと思うのだが、彼の場合は普通の(学者的な)意味での教養というのとは少し違うが、世界を理解したいという意欲が常にあった人で、それゆえに多くのブレインを抱えていたとは思う。そのブレインの質がどうだったかということはあるのだけど、むしろ生き残りの技術としてこうした教養教育は行われるべきかもしれないと思ったのだった。

だいたい言いたいことは断片的にしろ書けただろうかと思う。ふと思いついたことでもそれを文章にするにはかなり展開しないといけない場合もあり、そういう時はどうしても長くなってしまう。どう苦労しても書くことが全然出てこない時もあるのに不思議なものだなと思う。

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