大宇宙開発時代に「コズミックフロント」終了/イスラエルの新聞「ハアレツ」の立ち位置/経済学が倫理的であるべきこと/より良い対話の技術としての弁論術

Posted at 23/11/25

11月25日(土)晴れ

あっという間に今年も残り36.5日強。つまり、一年の9割が終わったことになる。あと1割の日々も良い日々であると良いなと思うし、来年はさらに良い年にしたいと思う。

https://www.nhk.jp/p/cosmic/ts/WXVJVPGLNZ/

NHK-BSプレミアムでやっていた宇宙番組、「コズミックフロント」が23日の放送で終了した。これはプレミアムがBS-1に統合されるということで番組がなくなったようなのだけど、私はこの番組が好きでみるようになってからは毎回録画している。みてないものも多いのでこれからも暇を見つけてちょくちょく見ようとは思うのだが、天文学や物理学、地学、宇宙工学などの最新の知見や達成がこうしたわかりやすい形で提供されてきたのは本当に日本の財産だと思っていたのだけど、なかなか経営上層部には通じなかったようだ。今後とも宇宙番組そのものがなくなることはないとは思うが、大宇宙開発時代の今日には逆行するわけで、その辺りのところは考えてもらえればいいのだがなあとは思う。とりあえずは担当者の皆様、お疲れ様でした。今後新番組ができることを期待しています。

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https://www.haaretz.com

イスラエルに「ハアレツ」という新聞があり、今回のガザの戦争でもイスラエル側のメディアとしてよく登場するのだが、時々ハッとするくらい中立的な言説を流す時がある。ハアレツはイスラエルにおいては高級紙であるということで、左派労働党寄りの新聞だということだが、部数的には右派系の新聞には遠く及ばないし、ネタニヤフ政権の閣僚が政権の意思を必ずしも体現しないこの新聞のボイコットを呼びかけたりしているようだ。立ち位置的にはニューヨークタイムズやかなり最近は怪しい(運動家に乗っ取られつつある気配がある)が朝日新聞のようなものなのだろう。ただ国際社会に提供されるニュースや研究者が引用する報道はハアレツの物が多いので我々が目にすることが多い報道はここのものなのだが、そういう立ち位置を知るとイスラエル国内での報道はこういう内容ではないのだなということもよくわかる。国内の空気というものもどこかでわかるメディアがあればいいのだがとは思う。

ドイツやヨーロッパではイスラエル支持の空気が強いようで、パレスチナ支持の投稿をしたアフガニスタンからの留学生がイスラエル支持のドイツ政府の意向に従わないなら出て行ってもらいたいと警告されたりしているようで、この問題になるとヨーロッパには言論の自由というものは怪しい部分が出てくるなと思う。ここぞとばかりに中国が二国家解決という妥当な解決案を主張したりするのは嫌らしいが、西側の良識というものもまた問われているということなのだろう。反ユダヤという批判を恐れすぎているように思われる。

「ハアレツ」という言葉はヘブライ語で「土地」を意味し、流浪の民族であったユダヤ人の「約束の地」を意味する言葉だそうだが、この辺りは阪神の岡田監督が「優勝」のことを「アレ」と呼んでいたことにもなんだか繋がる気がした。

現状何とか4日間の戦闘休止が実現しているが、先は厳しいとは思うけれどもこれが大規模な停戦につながると良いなという願いはあるよなと思う。

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自分の部屋の岩波新書を探していたら、本棚で渡辺靖「<文化>を捉え直す」という本を見つけた。多分これはタイトルで買ったのだけど、想像していたことと内容はかなり違っていた。パラパラみていたらアルマティア・センというインドの経済学者が出てきて、この人はアジア人で最初にノーベル経済学賞を取った人らしいのだが、倫理と工学の両面からの経済学をとらえるアダム・スミス以前の伝統への回帰のようなことを言っていて、とても面白いなと思った。経済学の議論を見ていてあまり面白くないなと思ってしまうのは、社会をよくするためにはどうしたらいいかという議論がなくて、経済を回すための工学的な理論ばかりが先に立つ感じにあったのだけど、こういう方向性もあり、それがノーベル賞を取るくらいには経済学周りでも評価されるのだなということだった。

もともとアダム・スミス自身が「道徳感情論」を書いていて、道徳は彼にとって重要な問題だった。1943年のベンガル大飢饉を原点とするセンの貧困に対する問題意識の強さが彼の経済学を生んだというのは感銘を受けた。

ということで日本の問題について考えたのだが、例えば諸外国では「氷河期世代」のような現象は起こっているのだろうか。飢饉や貧困は市場の失敗が原因であり、自由な政府があればそれは防げるというのがセンの理論だと思うが、労働市場における「市場の失敗」はなぜおこったのか、そのあたりの分析はあるのだろうか。

インドで世界的な経済学者が生まれ、GDP2-3位の日本ではノーベル経済学賞受賞者ゼロというのは日本の経済学が国家や社会に切り込む研究がなされてないからではないかという気がしたのだが私が知らないだけなのか。「就職氷河期」の問題は経済学者が取り組むべき問題である気がするのだが。

経済学という学問が、誰がどう儲けるかという話にとどまらず、より皆が豊かになってより良い社会になることを目指す学問である、というあたりの部分を取り戻すことを考えるためにもセンの経済学については勉強していかなければならないところがあると思った。

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「対話のレトリック」を読んでいて、ソフィストのゴルギアスが弁論術の練習問題的にトロイ戦争の原因になった傾国の美女ヘレネ―を弁護した内容が書いてあった。彼女はトロイの王子パリスと駆け落ちしてギリシャ側がトロイを攻撃したわけだが、「ヘレネーは悪くない」と弁護する思考実験ないし弁論の訓練みたいな内容である。

ヘレネーがパリスと駆け落ちした理由は4つ考えられる。一つは神の意志によるもの、二つ目は暴力で脅されて、三つめは言葉で説得されて、四つ目は愛欲に溺れて。神の意志なら人間にはどうにもできないし、暴力で脅されたならヘレネーに責任はない。言葉でだまされた、ほだされた、かどわかされたなら説得した方に責任がある、愛欲に溺れたなら「恋は堕ちるもの」でありどうにもできない、だからいずれもヘレネーに罪はない、という主張。これは、「どんなことでも弁論できる、特に実際にあったことをどう自分を弁護するか、事実であることを認めても有害ではないとするか、悪ではないとするか、恥ずべきことではないとする」という練習だという。

ヘレネーの例は何というかホストに入れ込んで転落した女に罪はない、みたいな話によく似ている。どちらも恋愛感情を利用していると考えられるわけだが、男が女に恋愛感情を利用されて金を注ぎ込んでも男が馬鹿だったという話で終わることがほとんどなわけで、そのあたりに非対称性があるのはおかしい気がするが、法律と恋愛「感情」という問題はストーカーなどで法規制がなされてはいるが、グレーゾーンと思われる部分もばの実に多いなとは思う。恋愛というのは実際のところ、最も人間らしい行動であり、最も馬鹿馬鹿しい愚行とも考えられるわけで、その辺りのところと責任能力とか法律というものをどうマッチさせるかというのは恐らくは永遠の課題なのだろう。

この本でへえっというかなるほどと思ったのは、「弁明」はヒューマニズムの精神であるという指摘で、これはいう側も遠慮せず聞く側も耳を貸す努力を払うべきだ、という部分だ。これは「弁明は男らしくない、ないしは潔くない」という日本人的な価値観と対立する部分なので良く考えてみないといけないなと思う。

実際、自分が自己弁護するときもまずは非を認めて謝罪し、相手の心情を和らげてから実はこうで、みたいに事情を説明することはよくある。まあ、相手の心情が和らがなければこの手は使えないわけだし、相手がもともと悪意を持って攻撃してきた場合には謝ったら負けみたいなこともあるわけだから、自分を正当化しつつ相手の弱点を批判する、みたいにもなりがちではある。近年ネットバトルも多くなってきているから、この辺のところもよく研究する必要があるなとは思う。まあどんな時にもいきりたたず穏やかな口調に丁寧に進めた方が自分の感情的にも対処の仕方としても良い場合が多いだろうなとは思うのだが。この辺はもっと勉強すべきだなと思った。

ただ、ここで大事だと思うのは、弁論術というのは民主主義社会だからこそ対話の技術としても重要だということで、「相手に勝つための技術」と捉えるよりも、民主主義社会において「よりよく対話するための技術」と捉えた方が生産的だなと思ったのだった。つまり、相手の話を聞き、その真意を引き出すためにも弁論術は有効で、そのためには「相手の主張に耳を傾ける努力」もまた必要なのだなというところだなと思う。まあ正直この辺はケースバイケースと言わざるを得ないところもあるが、うまく自分の主張ができない人などに対しては、こういう考え方は持っていた方がいいとは思った。

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https://frieren-anime.jp

昨夜は「葬送のフリーレン」のアニメ12話をみてから寝たのだが、割と早く目が覚めてしまい、やはり寝る前にあまり新しい情報を入れない方がよく眠れるなとは思った。起きてから「2.5次元の誘惑(リリサ)」151話「私のつばさ」を読んだのだが、寝る前に読まなくて良かったと思った。読んだらまたいろいろ考えてしまいそうだった。どちらも良かったです。「対世界用魔法少女つばめ」はこれから読みます。

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西欧中世の教養科目(リベラルアーツ)とされる自由七科は初級三科が文法、修辞、論理でそれぞれ言葉をよく使えるようになるためのもの、上級四科が算術幾何の数学と天文学・音楽であることを考えると、前半が弁論術で後半が数学とその応用の一つである経済学、芸術と天文学ということになると考えると、今回書いた内容はまあ概ね基礎的な教養に関することという感じになるかなと思う。前半が読む聞く話す書く技術ということで国語と外国語、後半はコンピュータ技術も含めた数学と宇宙認識のための天文学、それに芸術ということになる。

そうなると社会科学的なものが足りないが、神学・法学・医学の専門分野の方にそれが含まれるという感じになるだろうか。ルネサンス以降学問の幅も広がっていくのでそれらがオーソライズされる過程もまた一度振り返っておきたい感じはするが、学問でないものが学問になっていくということは現代でも行われている(環境やジェンダーなど)わけで、その動的な部分もまた考えてみると面白いなとは思う。


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