「正しさ」を独占してきた「知的業界」の欺瞞と綻び:基督教団の左翼活動・テレビ人は有能か・オタク反戦デモの嘘・文化を滅ぼすコロナ対策/シベリア出兵/イスラエルの生存権と核
Posted at 26/03/23
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3月23日(月)曇り
昨日は午前中何となく二日酔いが残ったのか、あまり冴えない感じだったのだが、昼前に出かけて神保町に行った。今考えるとあまり調子がよくなかったのだなと思うが、大手町で千代田線まで歩くのが面倒で、結局九段下まで行って半蔵門線に乗り換えて神保町に出た。昼ごろの神保町はいつも行く午後遅い時間の神保町とは違い、人が多くて子ども連れも多く、また店の前に並んでいる人も多かった。
昨日の目的は三省堂の新しい店舗に行くことだったので、さっそく店内に入ってみた。人が多く、一階は構造的に人がたまりやすい感じになっていて、「見て回る」のには不向きな感じ。動線が確保されてない。二階、三階、四階と行ってみたがどこもじっくり本を見ようという気持ちになれない感じだった。
雰囲気としては横浜の地下街の有隣堂とか、池袋の西武の地下の三省堂に似ている感じ。(池袋の三省堂は閉店したかと勘違いしていたが今も営業中のよう。失礼しました)それぞれ味のある書店ではあるのだが、ファッションアイテムとしての本を売ろうという感じも結構見えている気はする。いずれにしても落ち着かないので、また開店当初の混雑がおさまってからゆっくり見に行きたいと思う。
それにしても、「とにかく大量に本がある!」というコンセプトの大型書店が消えつつあるのは残念だなと思う。私などは本の毒に当てられに書店に行くようなものなので、平凡な品ぞろえの店ではあまり満足できない。昨日は自分の読みたいジャンルの本がどれくらいあるのかじっくり調べる気にならなかったので、もっと空いているときにまた行ってみたいと思う。
で、本の谷間に埋もれる毒を浴びにとりあえず東京堂書店の二階三階へ行き、そのあとマンガの毒を浴びに書泉グランデの二階に行って、古瀬戸ギャラリーでカレーを食べて帰った。この喫茶店は日曜の夕方とかは混んでいるのだが昨日はたまたまなのかはわからないけど昼時はそれほどでもなくて、落ち着いて食べることができたが、いつもは一冊くらい本を買うのに何も買わずに入ったので、スマホをいじるくらいしかできなかったのはよかったのか悪かったのか。帰りは新御茶ノ水の総評会館近くの入り口まで歩いて千代田線で帰った。
地元の駅から自宅まで歩くと15分近くかかるのだが、昨日はどうも歩くのが億劫で、多分疲れてたんだろうなと思う。ソファで横になったら熟睡してしまった。
夕方になって再び起きだして出かける。口直し、というか今度はちゃんと本を見ようと丸の内の丸善に行った。歴史関係のところなどを見て回り、結局楊海英「帝国の地政学 トランプ政権で変わる世界戦略」(ビジネス社、2025)を買った。
まだ最初の方(36/232ページ)でここまではほぼ知っていることが多かったが、「シベリア出兵を再評価すべきだ」という主張は新しいと思った。1918-22年に行われたロシア革命に対する干渉戦争なわけだけど、結局日本が撤兵したためにシベリアに権力の空白地帯が生まれてそこに赤軍が付け込む隙が生まれ、結局モンゴルが社会主義化、つまりソ連の傀儡政権になってしまったわけで、その後満洲事変のあと、ノモンハン戦争で失地回復を図ったがもう遅かった。
モンゴルが社会主義化されなかったらどうなったかは仮定の話だが、中国共産党は基本的に清朝末期の領土こそが本来の中国だという主張なので、まだ回復していない台湾や日本から奪取した満洲は強くその主張をしているがロシアに奪われたモンゴルや外興安嶺以南の北満洲については今でも領土的要求は本当は燻っているわけで、宮崎市定先生などはそこが中ソ対立の本質だと言っていた。モンゴルが日本の影響下に置かれたとしても最終的には中国との対立の火種にはなり続けていたわけだから、何がよかったのかは難しい。ただ、南モンゴル(内蒙)出身の著者がそうした主張をするのは理解はできるなと思う。
そのあと丸ビル地下の成城石井で夕食を買って大手町に戻って東西線で帰り、夕食を食べた後、割とすぐ眠くなったので昨日は早めにちゃんと布団を敷いて寝た。
***
最近、「正しさ」をめぐる話が増えてきた。特に最近大きな問題になっているのは、日本基督教団の牧師が沖縄米軍基地反対運動の活動家として普天間基地の辺野古沖への移設に反対し、数々の妨害活動をして、それを「布教」するために修学旅行地として沖縄が人気なのを利用し、また「修学旅行なんて遊びじゃん」という批判をかわすために「平和学習」という反対されにくい「正しさ」を利用しようとした日教組系の教員集団の利害も利用して、「基地の工事を沖合からボートで見学する」というかなり安全上無理のある企画を実行していたのが、ついに事故を起こして牧師の船長と「同志社国際高校」というかなりハイソサエティの学校の女子生徒が犠牲になる、という「事故」であり、これは海上保安庁によって立件され「事件」になる可能性が高くなってきた。
この背後には「オール沖縄」という玉城デニー沖縄県知事の支持組織があり、この活動家集団もその一員だったこともあり、批判の高まりを受けて今年の九月に改選時期を迎える沖縄県知事選挙への立候補表明を遅らせるという影響も出て来た。
「正しさ」とはだれが決めるものだろうか。当然ながら、「自分にとっての正しさ」は「自分で決める」、というのが近代民主主義で想定される「近代的個人」の建前である。自己決定権を個人は持つし、またその延長線上に自らの集団は自らが決定する、という「民族自決権」があるわけで、それが植民地主義や帝国主義に対する反対の根拠となってきたわけである。
しかし、オーストリア・ハプスブルク帝国やオスマン・トルコ帝国、最近ではユーゴスラビアほか、ある種の「帝国」が崩壊することによって返ってそれまで平和だった地帯が戦乱の巷になった例も多く、「帝国」の存在価値を見直す動きもある。また中国やロシアのようにその動きを自らの政治的野心のために動員しようとしている権力もある。
実際のところ、「何が正しいのかということを自分だけで決めることに不安を持つ」人は多いだろう。それを考え続け、自分なりの結論に達した人も当然いることはいるだろうが、世の中が支持する「正しさ」も常に揺れ動いていて、若いころには正しかったことが年老いてから世の中的に正しくは無くなり、社会に対して不適応の症状を持つ人も多い。逆に、常に世の中逃れに気を配り、「世の中の喧伝する正しさ」に常に迎合していくうちに、逆に正しさというものを全く信用しない、ニヒリズムに陥る人も少なからずいるわけである。
だから常に、個人としても「何が正しいのか」「正しさとは何か」について問い続け、問いなおし、改めて自分の根幹に据え直し、またどこの部分は世間に迎合し、どこの部分は自分の弱さを赦し、どこの部分は譲れないものとしてもつのか、など社会で単純に生きることができない人間という存在を世間や社会、世界の中で保つための不断の努力が必要になるのが現代という時代だろうと思う。
そういう世間の人々の中で、何が正しいのかということ、それを定める「神の教え」に対して「ゆるぎない信仰」を持つ人、あるいは自分が信じる思想に対して「ゆるぎない信念」を持つ人の存在は眩しくまた頼もしく見えるというのもまた事実であって来ただろうと思う。
そうした各種の「信仰」の中で、特に日本の戦後において特別の地位を占めてきたのがキリスト教だった。神道は「軍国主義的」であり、仏教は「軍国主義を批判しなかった」と批判されたが、キリスト教は日本を屈服させた連合国の主要な宗教であったこともあり、有利な立場になった。これは同じく連合国の主要な思想であった共産主義・社会主義などの左翼思想も同様である。
実際のところは、今回問題になっている日本基督教団は1941年にもろもろのキリスト教小会派が合同させられて発足した教団であり、いわば大政翼賛会などの戦時体制における国家的合同体制の申し子なのだが、その点に触れる人は少ない。
もともと日本のキリスト教というのは隠れキリシタンの生き残りをのぞいては明治以降に布教されたものであり、特に身分的特権を失った士族層や旧幕臣の間に広がり、つまりは反明治政府的性格を最初から持っていたことは指摘されるべきだろう。
戦後はその「政府批判を行ってきた」という実績を最大限利用し、左翼思想・団体と結びつきつつ(片山哲ら戦中・戦後の社会主義者にはクリスチャンが多かった)「思想的正しさ」の立場を形成してきた。左翼が政府や右翼や民族主義や資本主義を批判し攻撃すればするほど、キリスト教の「正しさ」は補強されたわけである。
しかし、日本においてキリスト教は大きな広がりを見せなかった。新興宗教はそれぞれかなりの広がりを見せたし現在でもスピリチュアル的なライトな信仰は流行しているが、キリスト教的正しさが必ずしも布教しなかったのは、根本的なうさん臭さを感じている人が多かったからではないかという気はする。
新興宗教の爆発的な広がりは創価学会の暴力的な折伏の問題を生み出し、また1990年代にはオウム真理教事件という重大な事件を引き起こした。統一教会は大学を中心に信者を増やしていったが、その巨額の献金が問題になり、安倍元総理の暗殺事件に関連して、ついには解散命令という信仰の自由を標榜する民主主義社会ではかなり疑問のある処分を受けることになった。
そうした「宗教団体への批判の目」というのがあまり見えなかったのが創価学会や日本基督教団などのエスタブリッシュメント側(政治的・正しさ的に)にいる教団だったのだろう。
宗教というものは神やそれに類するものに対する信仰を前提としているから、近代的な基準・科学的な基準から見て多かれ少なかれ変なことやっているようには見える。しかしそれはある種の「愚行の自由」ということも含め、「大人=近代的個人の自己決定権」の範疇としての「信仰の自由」の範囲内のことでもあり、オウム真理教のように何人も殺したような教団ならともかく、「金をふんだくって変なもの買わせる」くらいなら強制的に信仰を変えさせて仏壇を売りつける教団や、常識から逸脱した危険な政治的活動へのシンパを募るために事故を起こして女子高生を殺した宗教でも解散させられておかしくない、という主張はあり得るわけである。
これをきっかけに、日本基督教団の激しい政治的主張や、酷い実態が暴露されつつある。このあたりは日本フェミニズムとの関係から私はそれなりに以前から注目はしていたが、今回はさらに大きく暴露されてきているが、まだ主流マスコミはほとんど取り上げていないように思われる。
日本基督教団の酷い実態
https://note.com/prime_badger6614/n/nf6166a02c467
日本基督教団の政治性
https://x.com/cop778912/status/2035384790619414599
インテリ的というか、つまりは日本の知性的に「正しさ」を所有しているとされている界隈、すなわち弁護士や裁判官などの法曹集団、大学教員や岩波書店などの知的生産業界、そして報道や批評などの発信・世論の領導をつかさどるマスメディアなどが共有してきた左翼的政治性というものがここに来て世間一般の常識的な国民から強く批判されるようになってきているが、彼らはその動きを「ネトウヨ」「おたく」「権力側」などと批判し排除し続け、またその勢力の分断工作にも常に意を払ってきている。
実際、こうした「声なき声」は誰でも発信できるネットが出てきてようやく可視化され、大きな流れになってきてはいるが、それでも「ネットの有象無象」扱いされて、いくら「広範囲に伝えられさえすれば共感されるような発信」であってもなかなか「ただしさ」の地位を獲得できないのが現状である。
こうした左翼の動きは学校教育を占拠してきたことにより可能になった「洗脳主義的」な動きによって、それに認められたいという「迎合主義的」な「正しさ」への渇望を生んだ。
そうしたことが今起こっているのが「「オタク」による反戦運動」というネットで最近話題になったムーブメントだろう。
ネットでオタク言説に触れていると、要するに初期コミケや宮崎事件以来、おたくは差別されるキモい存在であったというのが前提になるが、2010年ごろまでだったか、表現の自由を支持するのはどちらかというと左翼側の人が多く、ピンク映画や外国映画の性的場面にぼかしを入れるいわゆる「映倫カット」に批判的なのが左翼の側で、道徳を重視する右翼保守派はそういう表現自体をけしからんと考えてきた。その構造は現在でも当然ながらあるのだが、自民党右派に見られたそういう動きはフェミニズムの変質に伴ってむしろ左翼の側に見られるようになり、左翼の側に規制の主張が強くなってきたために、おたくの多くは表現の自由を守る山田太郎議員や赤松健議員のいる自民党支持に鞍替えし、むしろ規制主義的左翼を嫌うようになってきたわけである。
そこに今回、降ってわいたように左翼がオタクを名乗り、反戦デモを「オタク」に呼びかけ始めたので、混乱した人も多いのではないかと思う。
https://x.com/tutitoabura/status/2035612249554067847
https://x.com/honnokinomori/status/2035666628323803190
つまり、左翼勢は「おたく」の名のもとに差別されてきた古参おたくから「おたく」の名を奪おうとしているということなのだろう。
宗教がライト化してスピリチュアルになっているのと同様、「おたく」という呼び名もおたく的行為が市民権を得てくるにつれてライト化していて、単に「推し活」をするような人たちも「私オタクなんですよー」みたいに言うようになっている現状を踏まえ、そうしたライト層に呼びかけることでディープなオタクを排除しようということなのではないかというように見える。つまりオタクをネットで見てきた側としてはオタクと言えば「萌え豚」であり「撮り鉄」であるわけだが、そこまで反戦に動員しようという腹は見えない。非常に安易な作戦だが、ある意味巧妙である。
https://x.com/tutitoabura/status/2035612249554067847
萌え豚や撮り鉄などの古参おたくは基本的に男性が多く、差別されてきているからそのような「世間的正しさ」を信じていないし、その点である意味危険(撮り鉄の非常識な列車妨害や不法侵入などが例)なのだが、ライトな新参おたくは「世間的正しさを独占する側に承認されたい」というよろめきが常にある。これは自分たちはかなりディープなボーイズラブ作品を愛好しながら萌え絵を攻撃する腐女子勢力に特に強いわけで、「BLは愛だが萌え絵は搾取」などと正しさの欠落へのうしろめたさを他者攻撃に振り向けて自己正当化を図っているわけで、こうした層に対しては訴求力があり、正しさを供給してくれそうな気配を感じると「正しさのお恵みを乞う乞食」になってしまうのだろう。そして「自らの欲望に忠実である正義を他者にも認める」という当然のところで突っ張れないのが弱さなのだが、それをしたたかさと勘違いしているのが現実なわけである。
実はこうした「左翼の掌返し」には先例がある。
https://x.com/honnokinomori/status/2035667689465913529
ネットで「オカマ」の人の話を読んでいると、彼らがいかに左翼の人たちに差別され、ないがしろにされてきたかがよくわかる。むしろ右翼や保守やそこらへんのおっちゃんのほうがそういうことに寛容であったのが事実で、左翼は基本的に「正しい男子像・女子像・男女関係像」が強固にあるから強く性的少数者を非難してきたわけである。
当然ながらいまはLGBTなどの性的少数者の運動を強く支持しているのが左翼であるわけだが、多くの性的少数者、特に古くからの「オカマ」の人などは彼らを全く支持していない人が多いし、「自分たちをLGBTと呼ばないでほしい」と考えている。だから運動の側も彼らを強く非難していて、「あいつらは正しい性的少数者ではない」と言っているわけである。性的少数者であることに正しいもへったくれもあるはずはないが、政治的正しさへの臆病なほどのこだわりが、「自分はおかまである」ということに信念を持つような人に対してはむしろ憎悪に変わる面があるのかなと想像はしている。
まあ左翼もこのように生き残りをかけていろいろやっているわけであるが、そうした視点から見たら笑止であるわけである。
***
同じような正義の側に立つマスコミに関しても、良い論題を提示するnoteが現れた。
https://note.com/babytamtam3/n/n5bfafe8ed514
テレビマン、すなわちマスコミ関係者がなぜ転職市場で採用されないか、というテーマなのだが、ほぼその理由を自分たちが明らかにしているという評価が多い。
https://x.com/TJO_datasci/status/2035379943325209070
https://x.com/subkyoko/status/2035522876015821185
つまり、「テレビはなぜあんなに酷い番組ばかり作るのか」という説明を自分たちでしている、というわけである。
1いくらでも頭を下げられる → 誠意なく頭を下げられてもだれも信用しない
2企画力 → 今のテレビを面白いと思っている時点でちょっと問題がある
3何があってもやり遂げる → どんなひどい番組でも作ってしまうことを誇る
まあ全部言うのもなんだが、やはり
8エビデンスがなくても動ける
が一番問題だろうか。報道被害をつくることなど気にも止めいないということがよくわかる。むしろそこで立ち止まるのが大人の理性であるだろうに。
***
同じような「正しさ」の押しつけは医療や疫学のレベルでも行われたことは振り返っておいた方がいいだろう。
「不要不急の外出自粛」が日本の文化を壊滅させた 医療絶対主義への不信
https://note.com/yngwie5150/n/n28fcf542d41f
https://x.com/honnokinomori/status/2035810037613179205
簡単に言えば、「不要不急の外出自粛」が日本の文化に壊滅的な影響を与えた、ということである。これは演劇や映画などが当初かなり叩かれ、旅行産業の危機が言われていたが、それらはそれなりにしぶとく生き残ってきているけれども、特にひどい影響を受けたのが書店や飲食は一時的には支援で一息付いてはいたが習慣の変容にとどめを刺されただろうなと思う。冠婚葬祭関係などもそうで、本当に大きな葬式がなくなった。
商売をする側にとっては、国民の「外出する」という行為は「不要不急」などではなくて、まさに命綱であるわけである。
もちろん、諸外国に比して日本の感染者数や死者数は少なくて済み、その点で効果を上げたと思うし、私自身も政府の政策は国策として支持してきたけれども、外出自粛の起源などがあの時期まで引っ張ることが適切だったのかについては議論は当然あるべきだろうと思う。
この辺は専門的な議論になるから素人は黙っていろと言われがちな話ではあるのだけど、疫学の専門家の声は必要以上に聞こえてきても経済の専門家の声はあまり聞こえてこなかった気がするし、経済の専門家と疫学の専門家の正面切っての議論なども行われなかったように思う。政治の立場としてはより安全な方向に引っ張ってしまったのはある意味無理もないのだが、引っ張りすぎたことがある意味医学不信に結びついている感もあり、このあたりのことはケーススタディとしてもし同じようなことが起こった場合に備えて議論しておく必要はあるだろうと思う。
また、あのような自粛行為の強要において、最も守られるのは「弱者」である高齢者を中心とした人々であるわけだけど、そこに対しては社会保障の不平等という観点から従来も不満があったこともあり政治において「現役世代重視」という流れが生まれたことのひとつの原因かもしれないなと思う。
三省堂の変容の良し悪しはまだ私としては評価できないが、少なくとも「正しさ」について従来の正しさに寄り掛かることなく常に検証的に考えていくことは考えなければいけないことだと思うし、そうした例は本当に多いなと改めて思っている。
***
だいぶ長くなったが、もう一つ。
「イスラエルの生存権」について。イスラエルというのは中東のイスラムの海の中に人口的に作られたユダヤ教の島のようなものだから、それについてはイスラム教の国々はその存在自体を認めない時期が長かったのだが、現在ではほぼ共存して行こうという姿勢にはなっている。しかし、イスラエルとパレスチナの領域内においてやっていることについては理不尽なことも多く、すべてを認めることはできないという意見も多くあるわけだが、そのへんの論理がすぐに「反ユダヤ主義だ」という糾弾に結びついたり「非人道的なイスラエルの行いを支持するのか」、という非難に結びつくという政治的な罠が常にある。
アメリカの右派はイスラエルを支持する人が多いが、アメリカの国益(資源をつぎ込んでしまうことへの懸念)の観点からこの地域への深いコミットメントは避けるべきだという人も多く、タッカー・カールソンという人はそういう人のようだ。
https://x.com/chutoislam/status/2035537946838008223
かれはイスラエルに生存権は認めるが現在のイスラエル政府は支持しない=シオニストではないと言っていて、こういう立場が表明しにくいというところが欧米にはあるのだなと思った。
一方でイスラエルが自らの生存権確保のために獲得した「事実上の核保有」に関して、イランがイスラエルの「繊維工場」を攻撃したという話が興味深かった。
https://x.com/39itokawa/status/2035486952590660031
実はイスラエルは核施設を「繊維工場」として偽装しているということで、このことは初めて知ったのだが、イラン戦争の大義が「イランに核武装させない」ということである以上、「それならイスラエルの核武装は許されるのか」という問いをイラン側がしてくることはある意味当然というか、正当性がある反論であるわけである。
現在のNPT体制において核保有が許されているのは常任理事国の5か国だけであるが、そのほかにも核保有を明言しているのがパキスタン・インド・北朝鮮であり、イスラエルも明言はしないが間違いなく保有しているだろう。
インドとパキスタンはお互いの対立のために核を保有したが、北朝鮮やイスラエル、また保有に失敗したがそれを試みたことのあるイランや南アフリカ(イスラエルと共同で核実験をしたと言われている)、台湾などはどの国も「国際的に孤立している」という共通点がある。つまり、彼らの安全を保障し、「生存権を確保する」のに最も有効なのが核保有であるわけである。それは、核を持たずに政権を滅ぼされたリビアやイラクやシリアの例、また核が撤去されたウクライナがどのような目に遭っているかを見れば明らかなことである。
イスラエルは生存のためにアメリカやヨーロッパで強いユダヤ系のロビー団体を持ち、またユダヤ系がマスコミを支配するなど、さまざまな生存のための努力を続けているが、その決定打のひとつが核保有であることは間違いないだろう。それに反対したためにケネディが暗殺されたという説もあるくらいである。
イスラエルが様々に偽装した各施設をイランが攻撃するというのはそうした欺瞞を白日の下に晒すという目的もあるわけで、これは日本で左翼の様々な欺瞞が明らかにされていっていることとある種の並行現象であると言えるかもしれない。
それぞれの国でどのような経緯をたどっていくかはこれからのことではあるが、しっかり見ていく必要はあると思うし、それぞれに対して自分はどういう正しさを持つべきなのかも不断に問い直していく必要はあるだろうと思う。
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