横谷加奈子:孤独な少年の密やかな性的嗜好/土曜日のジャンプ+/エプスタイン・性的少数者運動・正義の味方の裏の顔/危機と人間性の本質/高市勝利に心乱される人たち/金メダリストと天安門と代理母

Posted at 26/02/21

2月21日(土)晴れ

昨日は疲れて寝てしまったのでいろいろできないことがあり、ブログの方の更新ができなかったので先ほどしたのだが、昨日はnoteだけ書いて時間がなくなってしまい、下書きでアップして先に母を施設に迎えにいって病院に連れていき、母が点滴の治療を受けている最中に待合の廊下で更新した。これは今までやったことがなかったが、noteのシステムならそれができるのでやはり便利だなと思う。ただ、こんなギリギリまで忙しいようにはあまりしたくは無いのだが。

治療が終わって母を施設に送り、その足でツタヤにコミックスを買いに行ったのだが、欲しかった講談社コミックスの新刊6冊のうち3冊しかなく、「だんドーン」10巻、「ガクサン」14巻、「天国大魔境」13巻を買った。車を回してもう一つの書店に走り、探したら残り2冊はあって、「紛争でしたら八田まで」19巻と「織田ちゃんと明智くん」6巻、それに加えて「遠い日の陽 横谷加奈子短編集」があったのでそれも買った。

https://amzn.to/4aIin66

横谷加奈子さんの作品を初めて読んだのは「ふつうの軽音部」作画の出内テツオさんのツイートで見つけて読みにいって衝撃を受けた「葬式帰り」だったのだが、これは収録されてなかった。多分、1970年代だったら十分単行本化されたと思うのだが、やはりハードルが高いのかなとは思ったりした。孤独な少年たちの一風変わった性的指向をテーマにした作品が多い、と言っていいのだと思うのだけど、これがますむらひろしとかのガロ的な作画というかそういうものによって表現されていて、ある種の耽美性が癖になる感じの作品群である。少し前にモーニングに掲載されていた「麻子の恋人」が所収されていたのはよかった。こういうのが面白いのは、自分の中にある暗い部分に、思いも掛けない方向から光が当たることなのだろうと思う。そういうものばかりも読んではいられないのだが。少し前にどこかで読んだ少年しか愛せない女性の話も何か単行本にならないかなとは思う。

https://amzn.to/3ZJTT7p

で、結局一冊は買えてないのだが、それが「宙飛ぶバイオリン」3巻である。作者の三原和人さんの作品は「はじめアルゴリズム」以来「ワールドイズダンシング」、そしてこの「宙飛ぶバイオリン」と全て買っているし、「ワールドイズダンシング」は今年の夏に放映されるアニメ化も決まっていてPVなどを見てもかなり良さそうなのだが、それでも結構部数を削られるのは残念だなと思う。

https://sh-anime.shochiku.co.jp/worldisdancing-anime/

まあ、数々の賞を取り、私は連載開始の時から「絶対面白い」と思い続けていた「ありす、宇宙までも」も最初の1、2巻は地元の書店で買えなかったから、出版不況の深刻さはコミックスにまで及んできているのかなとは思う。最近はジャンプコミックスでさえ初日に買えないことがある。甥たちの話を聞いていても漫画はアプリで読むことが多いようなので、まあそういう時代なのだろうなとは思うが、アプリはいずれ読めなくなる可能性があるから読み返したい時にどうするのかなとも思うし、自分が子供の頃読んで面白かったマンガはだいたい友達のうちに行って読み漁ったジャンプやサンデーに載っていて今はもう読み返せないものがほとんどだから、そういう作品との付き合い方も後でどう思うようになるのかなとは思うのだけど。

https://shonenjumpplus.com

なんか漫画の話になり始めてしまったが、土曜日のジャンプ+が思いがけず充実し始めている。最近気になっている作品の一つ、「ハーレム勇者伝説」を最初に読み、二つ目に「ニシトーキョーメタルブラザーズ」。メタルマンガは実は今まで読んできて無いのだが、今回はそういう「メタルとアニメの歴史」みたいなものを扱っていてかなり面白かった。クセの強い担任の教師が出てきてが本当に癖が強くて笑った。このままかまし続けてくれるといいのだが。次に読んだのが「野球・文明・エイリアン」だが今回はイラスト会ということで油断して読んだのだが、次回最終回とのこと。面白かったのだが、多少読む人を選ぶところがあったのがあれだったのかなあと思ったり。

マンガワンで連載されている高校演劇漫画の王道傑作になりそうだった「Change the World」も次次巻が最終巻とのことだし、以前は紙の雑誌は割と打ち切られがちだがウェブならのんびり長期連載のうちに人気が出てくる、みたいな感じがあったのだけど最近はウェブでも競争が激しくなってるということなのかなあと思う。

次に読んだ「生活マン」もかなり面白かった。というか、今までで一番「面白い」と言えば面白い回だった気がする。アキヤマのキャラがかなりいい。最近は曜日によって読む漫画の数がかなり違ってきているのだけど、先日取り上げた日曜日の「こころの一番暗い部屋」のように読んでなかったのを最終回で初めて読んで、初回から一気読みしてみたらめちゃくちゃよかったということもあり、やはり漫画というものは侮れないものだなとは思う。

***

これは少し考えていただけなのだが、1990年代には性的少数者の運動の中には小児性愛者や動物性愛者も加わっていたのが、LGBTの運動と宗教的保守派との折り合いをつける動きの中で特に宗教的保守派の忌避感が強かった小児性愛者と動物性愛者の運動を排除して合法化の動きができた、という話があり、そういう意味で現在の性的少数者の運動にとって小児性愛者が加わっていたことは黒歴史であり、そこを突かれると過剰に反応するということがあるわけなのだが、今回のエプスタイン・ファイルの問題をみていると、つまりは小児性愛者は運動に関わったわけではない多くの西洋人・白人の間でもともとかなり幅広く根強い嗜好者がいて、まともに運動をするような階級の人たちは排除されたが、上層階級の人たちの間の秘密クラブのような形で「エプスタイン島」が存在したのだなと整理することはできるなと思った。

そう考えるとエプスタインという人物もなんというか性的倒錯性という要素と性的搾取者という要素の二つがあり、その二つの要素が上流階級に食い込んでいく上で何らかの武器になったのだろうし、実際のところそれなりの人数の女性たちもそれに加わってはいたわけだから、男性だけの問題でも無いのだろうと思う。エプスタインが1990年代に何をしていたのかとか調べたことはないからわからないのだが、性的少数者の運動とどういう関わりがあったのかとか、その辺も開けてはいけない扉のようなものが存在するのかなという気もする。フェミニズムやゲイの市民世界での承認の過程の中で何となく西欧近代社会の中に薄闇のように存在した性的嗜好の倒錯のうち市民性が認められたものと認められなかったものの間で亀裂が起こり、後者がより悪魔化されていったわけなのだけど、そういう闇を共有する人たちは少なからず、特に社会的上層階級の中にも、また特にリベラルと言われる人たちの中にいた、というところがある種興味深くはある。

私は元高校教員をやっていたということもあり、親子関係の軋轢の起こりやすい家庭として「教員・警察官・僧侶」がある、ということはよく言われていたのだけど、つまりはそれらは「正義」ないし「建前」で動かなければいけない、人を「指導」し導くことを仕事としているという共通点がある。子供がそういう親に共感すれば良いが、それに着いていけなくてグレてしまうという場合もあるだろうし、親が外で言っていることと家庭内で見せる顔が違うということに衝撃を受けて道を外してしまう、ということもあるかなと思う。今回エプスタインとの関連で逮捕されたり辞職したりした人の中には、英国王の弟であるアンドルー元王子や労働党内閣の元アメリカ大使、マイクロソフトの創業者だが慈善団体の運営者でもあるビル・ゲイツ氏など、「世の中に見せる「正しい」顔」の向こうにそうした闇があったということで糾弾されているというのは、そういうことと共通点が感じられるなとは思った。

今回の衆議院選挙の大敗北によってリベラルの人たちが「高市鬱」などと鬱病者差別的な描写を平気でしたり、暴力を否定してきたはずのリベラル勢力が暴力的な選挙妨害を公言したりなど「リベラルの劣化」が言われているけれども、実際のところは彼ら自身が抱えていた闇がこうした大敗北という危機の中ではしなくも露呈してしまっただけなのではないかという気もする。

それは、日本が戦争に敗れたときに、多くの人たちが狼狽えて昨日まで無敵皇軍と言っていた人が衣替えしていきなり民主主義を説き始めたりするのと同じことで、「リベラル敗戦」の危機と惨状の中でどのように行動するかということで本来の人格が露呈しているというふうに考えるべきなんじゃないかとも思う。

エプスタイン関連で名前が上がった人たちが何も言わずさっと辞職して身を引いているのはある種の出処進退ではあり、彼らに言いたいことがあればもっと主張しようとしてもいい気はするが、しないのはつまりは彼らがそれを「悪」と認識しながらやっていたと考えたのか、あるいは少なくとも「理解されることはない」と考えたことの表れでもあるだろうから、まあこれをきっかけに小児性愛の合法化が唱えられるとかいう方向にはいかないだろう。

現代世界において小児性愛が強く否定されるのは、近代民主主義社会というのは「健全な常識を持った大人」が支える社会であるという共通理念があるからであり、それに当てはまらない子供や精神病者は責任を免除されることになっている。そこに少年法や「責任能力」の問題が生じてくるわけだが、それが民主主義社会の建前に関わることだからなかなかそこは市民の不満を越えるのが難しいわけだし、小児性愛が否定されるのも責任能力のない子供を性的対象にすること自体が虐待であるという観念が特に近年強まっているからでもあり、その流れを逆にしようという動きは今のところあまりない。表現問題でもこの辺りはセンシティブな部分であり、極端な論者になると日本の漫画アニメはほとんど倫理的にダメ、みたいな方向性もないわけではないので、あまり対岸の火事視しているのもどうかというところはなくはない。

リベラルの人たちの総選挙後の醜態は戦後のある種の人々の醜態と重なるわけだが、そうではない行動を取った人たちもいる。戦時中皇国史観の主導者であった平泉澄は玉音放送を聞いてその日のうちに東大国史学教室を引き払ったという話がある。彼は日本の敗戦を「自分自身の敗戦」であるとよく自覚していたということだろう。

また、急に元気になった共産党支持者や社会主義者たちに対して、小林秀雄は「自分は馬鹿だから反省なぞしない。利口な奴らはたんと反省でもするがいいさ」と言い放ち、こうした騒ぎの中でも多くの日本人は自分の身を「黙って処した」と書いていた。

昨日も書いているけれども、天皇や日本国家というものを信じすぎていた人たちが天皇や日本国家に裏切られたと感じてもそれはある意味仕方がないし、それが現在まで尾を引いていて「天皇制否定」や「日本死ね」のような反国家主義につながるルサンチマンの源流になっていると思うのだけど、それはそれで理解できないことはもちろんないのだが、自分はその立場には立たないなとは思う。

終戦時の色々な勢力の中には、降伏したら自らの解体が必至だと認識していた戦争遂行にこだわる軍部や、政党政治の復活を窺う議員勢力、はっきりとした動きが見えない、ということは目の前のことに懸命だっただろう官僚勢力、そういう意味では多くの国民もそうだっただろうとは思うが、また一部には戦争に対して否定的な考えを持っていた人もいただろうとは思うが、それは終戦後に事後に諸葛孔明の如く「俺はこの戦争は負けると思っていた」としたり顔で言った人たちよりはずっと少なかっただろうと思う。そして何とか日本の敗戦を最小限度に食い止めたいと思っていたいわゆる「重臣ブロック」の人たちがいて、自分が感じとして一番近いのはこの人たちだなと思っている。

彼らの中心になるのはと内大臣の木戸幸一、元内大臣の牧野伸顕、侍従長から総理大臣になっていた鈴木貫太郎といったところだろうか。そして何よりも彼らは昭和天皇の側近としての性格が強く、立憲君主制的な理想をもともと持っていた昭和天皇の意をていして動いた部分が大きかっただろう。彼らと近く戦後のGHQとの交渉の中心になったのが吉田茂であり、彼は知られているように牧野伸顕の娘婿である。

その吉田が敗戦の際に言ったと言われているのが「戦争で負けて外交で勝った歴史がある」という言葉であり、日本国憲法のGHQ草案を訳したりGHQとの連絡役を担ったのがイギリス大使時代から友人であった白洲次郎であったが、彼は高飛車に出てくるGHQに対しても常に対等の姿勢を取り続け、「我々は戦争に負けただけであって奴隷になったわけではない」と言ったというが、このような言葉を真の危機の時に吐けるのが本当のかっこよさだといつも思う。

これも何度も書いているけれども、「ナルニア国物語」で挿話的な「馬と少年」の中で、実はアーケン国の王子だったカロールメンの孤児の少年シャスタに対して父のアーケン国・リューン王がいった言葉、「王というものは危機の時には誰よりも少なく食べ、誰よりも立派に着飾って大声で笑っているものだ」という言葉を思い出す。

それに比べると一敗地に塗れたリベラル勢が「高市鬱」などと差別的で攻撃性の高い言葉を使って傷を舐め合っているというのは本当にみっともないとしか思えないわけで、ここでかっこいいところを見せてくれる人間は誰もいないのか、と思ってしまうのだが、残念ながら誰もいないのかもしれないな、とも思う。

***

トランプ症候群ならぬ高市症候群というブルームバーグの記事。この辺りについて書くつもりだったのだけど今日は時間もなくなってきたのでまたあらためて。そういえば高市鬱という言葉もこのあたりが元なんだろうか。自分たちは錯乱してるんじゃない、鬱なだけだ、みたいな。そんなところで格好をつけようとするからよりカッコ悪いのにと思うが。

https://www.bloomberg.com/jp/news/articles/2026-02-06/TA0ESWT96OSL00

***

昨日は銅メダルの中井亜美選手について書いたが、それに関連して読んでいてかなり驚いたのがオリンピック女子フィギュア金メダルのアリサ・リュウ選手の経歴。父親が天安門事件で中国を去った人物だったというのはドラマだなと思ったが、彼が卵子提供と代理母を使って五人の子供を作り、その長女がアリサ選手だったという話。

https://x.com/wshngknshji1/status/2024677629664932055

彼女の才能を見出した父親は何億円も投資して彼女をトップレベルの選手に育て上げたが中国共産党の影がちらついたりステージパパへの反抗もあってか一時スケートをやめUCLAに進学していたのを、父の影響力を排除して再びトライするようになって掴んだ金メダルというあたりで、なんというかもう自分の想像力を超えたところで様々な人生ドラマが生まれているのだなと思ったのだった。

エプスタインファイルの問題もそうだが、日本のちまちましたリベラルの壊滅などの話と違って「人間とは何か」レベルの問いかけが既に社会のトップレベルにまで及んでいるアメリカという国のある種の人工性と闇の深さ、それゆえの超越性などについて改めて考えさせられてしまった。こんな状態にあるとトランプもイランを攻撃したくなるよなという気もするが、まあなるべく平和にやってもらったほうがいいだろうとは思う。この辺の問題も考察する機会があったら考察してみたい。


月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday