「リベラル」という言葉の栄光と汚辱:リベラルという言葉の混乱をいろいろな面から考えてみる/「政策」について:高市早苗「国力研究」と自民党衆院選パンフレット政策集を読む

Posted at 26/02/12

2月12日(木)曇り

昨日は建国記念の日で、いろいろなことがお休みだったから午前中かなりゆっくりブログ/noteを書いて、更新してからありあわせでご飯を食べ、午後車で出かけてツタヤへ行って高市早苗編著「国力研究」(産経新聞出版、2024)を買い、スーパーに走って夕食の買い物をして帰った。

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これは以前からそうなのでが、現在も問題になるのが「リベラル」という言葉の意味する内容である。現在の「左翼リベラル」というような使い方が出てきたのはいつ頃からかはっきりとした記憶はないのだが、冷戦時代、つまり昭和の終わり頃までは社会党や共産党に対して使われる言葉は「革新」であり、自民党に対して使われるのが「保守」だった。だから1970年代に自民党がロッキード事件などをきっかけに議席を減らし、過半数ギリギリになった時代には、その国会の状態は「保革伯仲」と言われたわけである。

現在のように立憲民主党だけでなく社民党や共産党まで下手をすると「リベラル」の範疇に入れられるのはここ10年くらいのことかと想うが、新聞などで用法を調べてみないとはっきりとは言えない。

日本において、基本的に「リベラル」というのは「封建的」の対義語として使われてきた時代が長いとおもう。つまり、「うちの親父頑固で古臭くてさあ」の対義語が「うちはリベラルだから」であったわけである。もちろん、この「封建的」の用語も江戸時代的でも「御恩と奉公」みたいなニュアンスでもないので正しくはないのだが、漠然と「古臭い昔の考え」について「封建的」と言われていたわけである。今流行りの言葉で言えば「家父長制的」という言い方になるだろうが、当時はそんな洒落臭い言葉は使われなかった。まあ逆に言えば上野千鶴子氏らがそういう言葉遣いを引っ提げて登場したことで注目を集めたというようなことである。

ついでに言えば、「革新的」が「左翼」であるということを指すようになったのも戦後のことで、戦前に「革新」といえば、国家主義的に国家運営の合理化を進めようとする人たちのことを指し、岸信介らが「革新官僚」と言われていたわけである。平成になってから近代氏の立場からそういう指摘がされるようになったこともあったからか、左翼に対して「革新」という言葉が使われなくなり、代わりに使われたのが「リベラル」であったように記憶している。

本来の日本におけるリベラルという言葉の用法はそういう意味で「自由主義的」、「進歩主義的」、「明るい近代的な考え方」みたいな意味で使われていたわけだが、戦中・戦後は政治的にはあまり使われなくなった。それは戦時中(というか昭和のある頃から)自由主義的であることは反国家的であることだとみなされたり、戦後は共産主義・マルクス主義の言論が敗戦と同時に言論界を風靡したからで、主導権を握った左翼言論人は彼らに否定的な自由主義的な言論人を「オールド・リベラリスト」と読んだわけである。これは「オールド」に重点があるわけで、すでに「リベラリズムは古くさい、これからはコミュニズムやソシアリズムの時代だ」と考えられていたわけである。

戦後民主主義というものはこの時代に育っているので、色濃く左翼的な影響を受けているし、日本の共産主義がコミンテルンの32年テーゼに強く影響されたために天皇制を絶対主義と見做して強く否定し、日本の国家体制自体を悪であるとみなす風潮が強くなったわけである。

ただ、当然ながら多くの国民がそれに同調したわけではないが、当時の「意識高い」若者たちがそうした思想に取り込まれていったことは事実であり、そうした人たちが現在の「老害左翼」の起源でもある。

当時の「オールド」リベラリストたちはそういう意味で言えば戦後も色濃く残った「封建的な」勢力に対してだけでなく、左翼(社会主義・共産主義勢力)にも否定的なスタンスを持っていた。それはソ連や中国、東ヨーロッパなどの体制が人権抑圧的であり、自由のない世界であることが少しずつ知られるようになっていったからで、日本の左翼の教条的な主張を強く否定するのがリベラリストであったからである。

しかし「意識高い」人たちからはそれは「保守反動」であるとみなされて攻撃されたり、また攻撃はされないまでも「軍国主義に対立して投獄された勇敢な共産党員」に対して「のうのうと娑婆で生きて軍国主義に有効な反対もできなかった腰抜けども」みたいに批判されていたわけである。

また、共産主義的な考えから言えば市民革命後の世界はブルジョアジー(資本家、金持ち)とプロレタリアート(労働者、貧乏人)の階級対立の世界であり、リベラルな考え方は「ブルジョア的」「プチブル的」と批判されていたわけだが、高度成長を実現した当時の経済の担い手の多くは保守的でありまたリベラルであったから、マルクス主義に染まった意識高い若者たちを「青臭い」「現実を知らない」と批判していたわけである。

したがって、今の人々でも比較的年齢の高い人たちの間で使われる「リベラル」という言葉はそうした意味での風雪に耐えた「リベラル」の観念がその言葉の裏にあるのだが、平成になって使われ始めた「リベラル」という言葉には別の意味づけが行われるようになったわけである。

世界的に見れば、イギリスの保守党と自由党の古典的な対立の時代においては、自由党はブルジョアの政党であり、貴族的な保守党に比べて進歩的と言われる政策を打ち出していたわけである。古典的な自由主義というのは市場を開放し自由競争を奨励し、機会に応じて自由に生きられることを目指す思想であった。

しかしそこには今から見れば欠けている視点があって、それは「貧しいが故に機会すら与えられない人たちがいる」ということだった。そしてそうした人々が社会的な不安定要素になってきたわけである。そこで実行されたのが「富の再分配・所得の再分配」という考え方で、つまりは所得の多い人から徴収した税金を所得の少ない人たちのために使う」という考え方が実行された。これはアメリカでは「有効需要の創出」「雇用の創出」といった形でニューディール政策で実行されたことがよく知られているが、古典的自由主義者たちは強く反対し、社会主義者たちは歓迎するということになった。そしてこうした「進歩的な」考え方に同調する人たちを「リベラル」と呼ぶ用法がアメリカで確立したわけである。

だからこうした意味での「リベラル」は「左翼」と相性がいいわけである。日本で従来使われていた意味での「リベラル」の人たちは左翼思想を「反自由主義である」として否定的に捉えていたし、左翼の側もリベラルの人に対して「ブルジョア主義である」と批判・軽蔑するというのが一般だった。

この構造に日本で変化が起こったのがポスト冷戦の1990年代、つまりはバブル崩壊後の金融敗戦の時代に、アメリカ初の新自由主義が日本でも席巻し、それに「対抗」する左翼的な傾向を持つ人を「リベラル」と呼ぶ用法が日本でも広がったのだろうと思う。

だから現在の日本ではリベラルの意味が非常に混乱していて、古典的な自由主義者=反福祉主義者でも自らを「リベラル」と呼べるし、福祉国家は受け入れるがwokeは受け入れない、という現代において常識的と思われる人たちも自分をリベラルだと考えているし、現代の意識高いwoke傾向の強い人たちも自らをリベラルと呼ぶし、極端な例では党首選も行わないような反自由主義的な日本共産党の支持者まで自分のことを「リベラル」と呼びだしているわけである。

このような混乱状況の中にあって、左派系の人々が「リベラル」を自称するのに嫌気がさした人たちが自分たちを「保守」であると称するようになり、「リベラル」がまるで罵倒語のように使われる傾向さえ出てくる中、リベラル左翼の中核である立憲民主党までが「中道」を称するという、「若者のリベラル離れ」ならぬ「日本社会のリベラル離れ」まで起こっているわけである。

ただ、比較的保守的な傾向を持つ人や左派に対しては批判的だが福祉国家は支持するくらいの人々の中にも自らを強く「リベラル」であると主張する人もまだそれなりに残っているので、「リベラル」という言葉によって一体何を表現しているのかはその人次第、という感じになっている。

少なくとも、現代は戦後の一時期に次いで「リベラル」という言葉の株価暴落時代であることは確かだと思う。

今後「リベラル」という言葉をどう救うべきか、それとも汚辱に塗れたまま放置した方がマシなのか、その辺りは議論されていっていいとは思うが、名が体を表さない時代にあってはこれまた「リベラル」という言葉の逆境は今後も続きそうだなという感想はもっている。

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https://www.sankei-books.co.jp/m2_books/2024/9784819114417.html

高市首相が政策通である、ということはだんだん認識されるようになってきたが、考えてみると私は「政策」というものをちゃんと勉強したことがなかったな、と思い、昨日は高市早苗編著「国力研究」を買い、また「日本列島を強く豊かに」と題された先の衆院選の自民党のパンフレットもダウンロードして読み始めた。「サナ活」と冗談めかしていっているが、読んでみるといろいろと面白い。(ちなみにこの本はアマゾンのアソシエイトから除外されているようだ)

https://storage2.jimin.jp/pdf/pamphlet/202601_manifest.pdf

政策とは「政治的な解決策」といっていいと思うが、つまりは何か問題があるから、それを政治的に解決していこうというのが政策ということになる。その問題の種類は国際関係から治安状態、安全保障、社会保障、法の支配、経済の円滑な運営、地域の発展の不均衡、富の格差、個人間に社会的に存在する非合理的な不平等状態、公衆衛生、医療、介護、エネルギー問題そのほか膨大なものになる。だから当然ながらその政策というのも膨大なものになるわけで、これらの全て、あるいは少なくとも重要なものを押さえるだけでも相当勉強しなければならないことは確かである。

高市さんはおそらく、自分の政治家としての強みを政策を理解しそれを推進することと見定めていると思われ、そういう意味でも彼女の打ち出す政策や国民に向けての発信に力がこもっていることは確かだと思う。

私は問題解決学としてKJ法を多少やっているのでそれに即して考えてみると、まず社会にある問題を認識する「問題提起」の段階から始まり、「状況把握」つまり調査を行い、その状況の影にどんな本質的な問題があるかを検討する「本質追求」の段階を経て、その問題の全貌本質が把握されたらその解決を行うかどうかの判断が行われ、解決を行うという決断が行われたら「問題の本質」に基づいて「方針」を決定し、その方針に基づいて「構想計画」が行われ、それに基づいて「具体策」が策定され、スケジュールやロードマップなどの「手順化」が行われ、予算がついて実行される、ということになるわけである。もちろん大きな問題は調査の段階から予算がつくこともあるし、それは問題によってさまざまなわけである。

政策は狭義で言えば「具体策」に当たると思うが、もっと漠然とした「方針」として打ち出される場合もあるし、「問題解決のために調査を行う」という決定自体が政策として取り上げられる場合もある。

私自身は今まで歴史を主に勉強・研究してきたから、「過去の様々な出来事や有様、行動からヒントを探る」のが主な活動であったために、これからのことを具体的に解決していく「政策」についてはあまり考えて来なかったのだけど、政治について考えるためには歴史の教訓だけでなく現実に展開されている様々な社会の出来事や政府が行おうとしている政策について考えていくことがより必要だと思うようになってきている。

歴史の重要性が自分の中で落ちることはないと思うけれども、政策についても学ぶことでより世界を深く理解できるように思うので、少し勉強してみたいと思ったのだった。

その内容についても書きたいことはあるが、時間がないので今日はこのくらいで。


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