高市総理が勝ち中道が壊滅した理由:「組織票も生きた人間が投じている」/高市さんは「白々しい」か/「やはり」「本当に」「しっかりと」/「戦争を止める」/のんびりと冬の日

Posted at 26/02/10

2月10日(火)晴れ

昨日は1日のんびりしてしまった。のんびりしてしまったのはいいのだが、家にいるとついスマホやパソコンを見てしまうので、目の疲れは取れない。むしろ外に出て動いていた方が目の疲れは取れると思うのだが、なかなかそうならないのは冬のせいでもある。他責思考。

夕方出かけて岡谷の書店にでも行こうと思ったのだがどんどんズルズルと遅くなり、結局駅前のスーパーで夕食と米を買うくらいしかできなかった。録画をかけておいて、帰ってから7時のニュースを録画で見た。

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選挙関連の報道を見ていると政治家がいろいろ喋ったり演説したりしているわけだけど、その中で頻繁に出てくる言葉があり、私が一番耳についたのは「やはり」「本当に」「しっかりと」の三つだった。政治家のモノマネをやろうと思ったらこの三つをどうしっかりと使うかでやはり本当に政治家っぽくできると思う。

「やはり」というのは普段訴えていることを繰り返すことになるから、同じことを言うので「やはり」が頻出するのだと思う。また選挙民の状況や自分の真摯さを訴えるために「本当に」お困りだとか「本当に」気合を入れて「しっかりと」実行していく、みたいな感じになるのだろうと思う。

政治家の言葉といえば、高市総理が爆笑問題の太田さんにyesで答えてもnoで答えてもマイナスイメージなる質問をされて「意地悪な質問やな」と関西弁で答えて言葉を詰まらせていた、と言う話をよく見るのだが、論理的に質問しているのに関西弁で答えるのはズルい、と言う意味の言葉に対して「方言差別だ」と言う趣旨の批判があったりしたのだけど、これはそう言う趣旨ではないんじゃないかなと思った。

標準語で感情を伝えると角が立ったり子供っぽく感じられたりするけど、関西弁ではあまり角が立たない日常的な感じで感情を訴えられると言う利点があるから、論理的に話していると思っている方にはやりにくくなる、というのはわからないではない。この手は男性でも使う人はいる。昔なら塩爺(塩川正十郎)とか割とうまかった。

私の友人に高市さんを嫌っている人がいて、それは彼が左翼的だからだと思っていたのだが、「高市さんはしらこい=白々しい自己演出をする」と言う意見をネットで読んで、なるほどそう言う感じかと思った。そういえば「白々しい」と彼も言っていたのだが、どうも私はあまりピンと来なかったわけである。

そう言う目で見てみると確かにある意味しらじらしいとは思うのだけど、あのくらいの自己演出は東京で生きていると割と普通のことなので、東京人にはあまり気にならないと言うことなんじゃないかと思った。またそう言うのが関西にも浸透してきていて関西でも人気があるようになったと言うことかもしれない。

それもまた東京弁でやると嫌味なんだけど、関西弁だとかなり緩和される感じがある。吉村さんや高市さんは「ええ人」のパブリックイメージをうまく作ったので、しらこくても「なんかあるんやろな」で勝手にいい方に聞く方が読み替えると言うことがあるのではないかと言う気がした。

「高市さんは頭があまり良くない」みたいなのを読んで驚いたのだが、全然そんなことはない、さすが神戸大学卒だとしか思えない。また、「大阪のおばちゃん」のガワをうまく利用して親しみやすさを演出している。実はバリバリなんだけど、その中身をうまく受け入れやすく表現していると思う。衣の裾から鎧が見えることは時々あるとは思うけれども。

昨日の記者会見や自民党の役員会での表情を見ていると笑顔が消えていて、総選挙という大ヤマを乗り越えていよいよ本番、と言うことなんだろうなと思う。リューマチが痛いからかもしれないのだが、選挙前のにこやかな雰囲気が消えている。政治家は休んだ方がいい時に休めないのが辛いところだが、休める時にはちゃんと休んで体調を整えて取り組んでもらいたい。

女性として高市さんほどの権力を握った人が日本史上いるだろうかと考えてみると、北条政子が直近の例かも、と思った。彼女も承久の乱で鎌倉武士達を鼓舞して316議席を取る大勝を収めたわけで、鎌倉幕府はそれで基礎が固まったわけだが、北条泰時のように新しい政策も打ち出していくことになるわけで、現代の政治家は大変だなと思う。

高市さんが勝って中道が負けたのは何故かと言う話で、「高市さんはdisらない」と言うことを言われていた。野党の側はどうしても政権批判が中心になるが、逆にいえば一般の有権者、特に若い人には「自分たちが何をやりたいのか全然言わなくてdisってばかりいる」と見える、と言う話は本当にそうだろうなと思う。今回、参政が伸び悩み中道が大敗しれいわや社共が壊滅したのはその辺の有権者の空気を読みきれなかったのだと思う。

中道大敗に対して恨み言を言う知識人や大学の先生の発言など読んでいても、少数者だけがひどい思いをしているのに救われない、みたいなことを書いていたりして、「人間、生きていればみんな大変なんだよ!」と言うことに対する同情や共感がないのが致命的だなと思った。それに対して、高市さんの演説は一人一人に語りかけてこう言うことをやりたいのでやらせてほしい、と聞こえるから、よしわかった投票しよう、となるのだろうと思う。ネットでレスバする中高年と違って特に若い人は人をdisる言葉は自分に対してのものでなくても大変苦手なんだろうと思う。その辺りに対する共感と理解がないことは大きい。

また、「ママ戦争止めてくるわ」を使う人たちに対しても、今の若い人は日本から戦争を起こすような状況というのは現在の国際情勢からあり得ないと言うことを知っている。だから、あり得ないことを大真面目にいうからオカルトっぽく聞こえて嫌がられるのだと思う。

より現実的な中国やロシア・北朝鮮の脅威について考えることを優先することを共通理解にすべきだと思うが、「日本が戦争を起こすのを止める」と言うカビの生えた信念が戦後民主主義の教義になってしまっているので、それを変えられないから若い人がついてこないと言うことはあるだろうと思う。

これに関連していえば、私は「チームみらい」の安野さんにはほとんど共感しないのだけど、一つだけそうだなと思ったのは、「憲法九条が現実から乖離しているから、憲法という国の基本法の権威が損なわれているので、改正すべきだ」ということを言っていたことで、これはなるほどその通りだと思った。

法学者の間でも憲法学者というのはちょっと独特の目で見られるというか、あまりいい感じに言われないことが多いのはそういう「教義っぽい」というか現実的でないことを金科玉条にしているというか、現実面をどう処理するかが法学の問題なのに宗教論争ばかりしているという印象があるようだ。

国がどのようにあるかを定めるのが憲法であり、だからこそ憲法は「国体」と同じconstitutionの訳語でもあるわけだから、それ子を日本の国体を定める憲法を権威あるものにするために、そこを現実的なものにしなければいけないというのはまさにその通りである。「必ずや名を正さんか」と孔子も言うように、まずは現実を支配する字義通りのものにしなければ権威は生まれない。これはその通りだと思った。

中道≒立憲民主党は何故負けたのか、と言うことについての考察。これは全くその通りだと思った記事とそれに言及した連ツイ。

https://president.jp/articles/-/108861

https://x.com/Yaruo2024/status/2020816118005346798

「組織票に依存する選挙では、候補者の言葉は「政策」より先に「関係性の確認」として受け取られる。その作法を理解していなかったこと自体が、今回の選挙の構造的な弱点だった。」

「組織票」とは何か、どう言うものか、と言うことについて私もあまりちゃんと考えて来なかったと言うことがよくわかったのだが、これは労組や会社の組織票などのように利益で結びついているものと、宗教団体、特に創価学会による組織票というものは性質が違うということがよくわかった。

創価学会の人たちは前回まで自民党と一緒にやってきていて、政策については疑問を感じながらも「持ちつ持たれつ」という関係性から頑張って応援してきたのだろうと思う。それが今回は急に立憲民主党の候補を応援するようになったわけだから、まずは「この候補者はどういう人なのか」「我々とちゃんとうまくやってくれる気があるのだろうか」ということが一番気になるのは言われてみたら当然のことだと思う。

それであるのに自分たちが複雑な思いを持つ小沢一郎を持ち上げたり、「通り一遍の経歴紹介や政策論ばかりで、私たちの心に寄り添うような言葉がまったくなかった」りすれば、がっかりするだろう。

「例えば『同級生に学会員がいて、そいつが良い奴だったから学会の印象も良い』とか、嘘でもいいから学会員に寄り添う姿勢を見せてくれたら、私たちだって『じゃあ応援してみようかな』という気持ちになれる。」というのは本当に人間性の機微で、いくら宗教団体だって人間の集まりなんだから、応援したいという気持ちにならなければ「今回はこの人に」と積極的に他の人に働きかける気にならないわけである。

一方で辻元清美参議院議員は、「過去に公明党や創価学会と激しく対立してきた経緯があるが、今回の選挙戦初日には応援に入った街頭演説で深々と頭を下げ、これまでの非礼を詫びることから演説を始めたという。この「けじめ」が関西の学会員の琴線に触れ、一定の支援を引き出した」というのだが、これはある意味政治家として当たり前のことであって、それすらできているのが辻元さんくらいだったという方が驚きである。

読んでいて、「こんなことで立憲の議員が当選するはずがない」と思ったし、逆にいえばそういう意味で人の心がわからないからこそこの時代に左翼とかリベラルとか言ってられるのだろうとも思うので、まあ宿命だったのかもしれないとも思った。多分この辺は、創価学会の人たちに対するのと労働組合の人たちに対するのとでは若干の違いがあるのだろうとは思うのだが。

いずれにしても、旧立憲民主党の議員達が「人の心を理解し、それを励ますような言葉をかけ、この人ならやってくれる」と感じさせる、少なくともそのように振る舞えるようにならなければ、中道改革連合の試みは失敗に終わるだろうと思った。そんなに難しいことかなという気もするのだが、左翼のヒトビトや立憲れいわの議員達の振る舞いを見ていると、まあ難しいんだなと思ったりはした。


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