自分の描いた絵に恋することができなければ/「バーナード嬢曰く。」8巻:「ブレーメンの音楽隊」とは何だったのか/エプスタイン・ファイルとかクリントンとか「常人仮面」とか

Posted at 26/02/28

2月28日(土)晴れ

一月は行く、二月は逃げる、三月は去る、などというが、今日で2月も終わり。明日からは3月だ、と思うと確かに早い。2026年ももう6分の1が終わりである。最近はずいぶん暖かくて、2月の末に降雪を心配していた年が嘘のような感じがする。令和ももう8年。21世紀も4分の1が過ぎた。年月が経つほどに確かに世の中も世界も変わっていて、自分の中の自己同一性も同じなのか変わってきたのかよくわからないところもある。肉体的・身体的にはやはり経年劣化のようなものはあるが、私は相変わらず私なのだし、そこは不思議な感じはする。

昨日は午前中母を松本の病院に連れて行く。いろいろと教訓を得てきたので、今回は高速を使ったがあまりスピードを出さずに、80キロを守って走行した。ビュンビュン追い抜かれて行くのだが、少し早く走ると母に身体的な負担がかかるようで、少し時間がかかっても体に影響が出たら本末転倒なので。今回はその他のこともいろいろ注意して用意していたこともあり、特に支障が生じずに通院することができてよかった。昼過ぎに母を施設に送り届け、ツタヤへ走って「ギャラリーフェイク」40巻、「バーナード嬢曰く。」8巻、「BLUE GIANT MOMENTUM」7巻、「ありす、宇宙までも」6巻を買った。帰ってきて昼食を取り、銀行に出す書類があったのですぐ職場に行って書いて提出に行き、お金をおろそうと思ったが月末でATMがすごい行列だったので、セブンに行っておろした、帰ってきて一息入れた。

夜は12時ごろ入浴して寝たが3時ごろ目が覚め、腕が痛いので起き出して脚湯をし、体が緩んできたのでバスタオルを補助に当ててとりあえず寝たのだが、起きたら6時だったのでそれなりには寝られたと思う。お茶を飲んだり着替えたりした後で車で出かけ、隣町のセブン併設のスタンドに給油に出かけ、丘の上のデイリーに行って塩パンとゴーダチーズの塩パンを買って帰ってきた。

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昨日は「バーナード嬢曰く。」8巻を読んでいたのだが、ちょっと感動してしまったエピソードがあった。「137冊目 ブレーメンの音楽隊」なのだが、主人公の町田さわ子が図書室に臨時に置かれた長椅子で寝転んでグリム童話を読んでいるのだが、そこに神林がやってきて会話になる。

「ブレーメンの音楽隊」というのは不思議な話で、「ブレーメンにも行かないし音楽隊にも入らない」というのは全くその通りで、私も子供の頃読んだときにブレーメンという知らない街の話が出てくると思っていたのに出てこなくて拍子抜けしたことを思い出したのである。それを町田はこう解釈する。

「つまり「ブレーメン」も「音楽隊」も「ここではないどこか」の言い換えでしかないって、言葉にしてないけど互いに理解してるんだ。だから安住の地を見つけたら躊躇なく旅をやめちゃう」

これは衝撃というか、そういうふうに考えたことはなかった。しかしドイツの話というのは「ハメルンの笛吹き」にしてもそうだが、確かに「ここではないどこか」への憧れのようなものを感じるものは多いのだよなと思う。

そして町田は読む。ロバが仲間に誘う場面で、「それならブレーメンに行こうじゃないか。お前さんは夜の歌が得意だろうから、一緒に街の音楽隊に入ろうよ。」と。

「年老いて居場所を無くし、死を待つだけの状態でこんな誘われ方をしたら、その時点で救われちゃうしその先何が起こってもハッピーエンドじゃん。泣けるしズルいよ」というのである。さらに、

「私が死を待つだけの孤独なおばあちゃんになったら、神林に誘いにきて欲しいな。「それならブレーメンに行こうじゃないか」って」

町田が落とした文庫本を神林が拾い、その神林に手を伸ばしながら町田が言うのを受けて、神林は「悲しいこと言うな」と言うのだが、「ふふふ。起こして」という町田に対し、神林は手を差し伸べてその手を握る。

引用し過ぎてしまったけど、これはこの作品を8巻まで読んできて一番感動したくだりかもしれないなと思った。

「それならブレーメンに行こうじゃないか」。反芻してしまう。

子供の頃にはわからなかったけれども、そう言う話だとわかってしまう、と言うかもうそう言う話だったんだと思ってしまっているのだが、これがわかると言うことは自分が歳をとったと言うことなんだなとも思うし、またそう言うことを女子高生たちの会話として描写するのは「ませ過ぎ」のような気もするが、それをまた見ている作者さんもまたある種の実感であるのかもしれないなとも思った。作者の施川ユウキさんは天竜川の下流の浜松出身で、今年49歳。なんだなとWikipediaを調べて思った。

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https://x.com/Kouhei_Takeoka/status/2027226596101493126

https://x.com/chick3T/status/2027302939535327666

これは言われてみてなるほどと思ったが、日本人や他のアジア人にはもちろん自民族の性的魅力に溢れた女性(男性もだが)を描くイラストレーターや漫画家、絵師は山のようにいるわけだし、白人にも白人のセックスアッピールに溢れた女性像を描く人たちはたくさんいるけれども、黒人に黒人女性の性的魅力に溢れた絵を描く人というのは言われてみるとあまりよくわからない。「ブラックウォッシュ」というのは「ホワイトウォッシュ」の言い換えの文化概念だけど、弥助騒動でもそうだったが「サムライ」という魅力的なガワを借りてきて黒人にもそういう人はいたんだ!みたいな感じで、民族ないし人種独自の魅力を描こうとする人をあまりみない気がする。

「もはや黒人本人より日本人のほうが、黒人キャラを魅力的に描くのは上手くないか?みたいな意見を耳にするわけですよ/これ、シンプルに「描いてるお前自身が自分の絵で抜いてないから」に尽きると思ってんですね」

で、この指摘なのだが、「描いてるお前自身が自分の絵で抜いてないから」というのは露悪的な言い方ではあるけれども、本質を突いていると思う。つまり、そこに自分の欲望だとか理想だとか好きな気持ちだとか性癖だとかこういうのがいいという気持ちだとかが注ぎ込まれてない、溢れていないということであるわけである。

そこにはもちろんポリコレ的woke的な桎梏や制約があるからそれをやり切れていないということで、イデオロギーによるアートの抑圧の典型例ということになるのだとは思う。

しかし、そういう抑圧がもしなくても、うまくそういう表現ができないことはある、というかどういうものが良い絵かということで言えば、例えば「自分はその絵でシコれるか」、もっと穏当な言い方をすれば「絵に描いた美女に自分が恋することができるか」という話なのだと思う。考えてみるとそういう話は古来「ピグマリオン」をはじめとして江戸時代の説話にもあるし、芥川龍之介とかも書いてそうな感じである。

もちろん、そういう自己完結的な話を超えてそれが表現として多くの人に刺さるものになってこそではあるのだが、作者自身がそういう魅力というものについて自分にどう届くか、どう刺さるかを知らなければどんなにうまく書いてもAI絵のようなものになってしまうだろう。

こういう欲望を刺激するというのは例えば食欲でもそうで、いわゆる「シズル感のある絵」という言い方があるが、そういう絵が多くの人に受けるということでもある。食欲が刺激される絵というのは食欲を解放するわけだから、ついでに他の欲望も解放されがちで、そういうところにフェミニストが噛みついたりする例もあったりはするわけである。

これはもちろん絵だけではなくあらゆるジャンルでそうで、文章でも魅力的な文章というのは欲望に自覚的であることが多い。これは文章が芳醇であるということであって性的であるということでは必ずしもない。それを抑制する力とか、それを相対化する批評力とか、それをブラッシュアップするスタイリッシュさとか、いろいろあるけれども元にあるものが痩せていたらそれらもあまり意味をなさないだろう。

Twitterを見ていると特にオタク女子、腐女子の人たちのそういう会話が溢れていて、ちょっとどうかと思うことも多いのだが、男のそういう会話のようなカッコつけたところがない(というかSNSで本当に本音を爆発させてたらフェミに重爆撃を受けるだろう)ところが観察対象としては興味深いところはある。

というようなことを考えていた。

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少し書き出すと書きたいことを書き切る前にパワーも時間も無くなってきたのだが、今朝のNHKラジオのニュースで気になったことが二つあったので手短に書いておきたい。

https://www.asahi.com/articles/ASV2W6667V2WUHBI024M.html

一つはエプスタインファイルの関連でクリントン元大統領が議会に呼ばれて証言しているのだという。昨日はヒラリー元国務長官が証言していたが、大統領経験者が議会に呼ばれて証言するというのは史上初のことなのだそうだ。

この問題はネットでは盛んに論じられていたがいわゆるオールドメディアではほとんど取り上げられていなかったのだけど、流石に元大統領の召喚ということになると無視もできないとNHKも考えたのだろう。あるいはイランでの支局長拘束の失態から目をそらそうという意思もどこかにあるのかもしれないが。

この問題はなんというか欧米社会のさまざまな面に絡んでいて一言で論評するのは難しいのだが、主にヨーロッパの政治家や王族、アメリカではリベラル系、民主党系の人たちの名前が主に出てきているという点である。一つ思ったのは現在が共和党政権であることで、司法省が明らかにしている膨大な文書の一部は民主党関係者のものが多く出ているということがあるのではないかということだった。

トランプ大統領の名前も出てきているが、少なくとも深い関与を示すものはないようだし、民主党側には不満が燻っているようにも感じられる。次にアメリカが民主党政権になるのはいつのことかはわからないが、その時により共和党側に偏った形で文書が公開されるかもしれず、そうなるとまたこの話は再燃することになるかもしれない。

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もう一つは、「マンガワン」で連載されていた「常人仮面」の原作者が性加害で訴えられ、有罪判決を受け、また損害賠償請求でも敗訴になっていたことが明らかにされた件である。

https://kai-you.net/article/94757

https://x.com/turu_yosi/status/2026921152086712828

これについて、作画家の方がTwitterでコメントをされているのだが、現在の分業体制でのマンガ制作ということに関しては時々起こる残念な事態である。「常人仮面」は一応完結していて最終12巻が発売されたばかりのようだが、今後回収ということになるようだ。

これについて思い出されるのはジャンプに連載されていた「アクタージュ」で、好きな作品だっただけに同様な経緯を辿って連載打ち切り・単行本回収になったのは読者としては非常にダメージがあった。作画家の宇佐崎しろさんも完全に貰い事故でお気の毒だったのだが、その後もなかなか作品に恵まれなかったけれども今ではようやく「魔男のイチ」でヒットを飛ばしている。鶴吉さんもお気の毒としか言いようがないが,マンガの世界から離れることなく新しい作品に挑んでいってもらえると一マンガファンとしては嬉しいとは思う。

人間の性をめぐる世界というのは本当に多様でいろいろあるなと思うのだが、これはつまりは人間という存在が抱えるある種の業のようなものであるから、人間という存在がこの世にある限り、なくなるものではないのだよなとも思う。

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