Z世代について考える(続き):自分と違う部分と違わない部分/計画性の中に4分の1くらいの「行き当たりばったり要素」を入れる/仕事が押して生活サイクルに乱れが出る

Posted at 26/01/30

1月30日(金)晴れ

昨日は仕事が長引いて、家に帰ったのは11時半を過ぎていて、夕食を食べ終わったときには日付が変わっていた。それでも終わってない仕事があってうまく寝付けず2時くらいになってしまい、起きたら6時半で全てが押せ押せ。とりあえずゴミをまとめて車で出しに行こうとしたが、フロントガラスの凍結が解けるまでに少し時間がかかった。作業場のゴミもとって職場まで走り、ゴミを処理してからセブンに出かけ、週刊漫画Timesと水素焙煎コーヒーを買い、一度作業場に戻ってトイレの水の流れ具合を確認。あまり行かないので凍結する可能性があるので、少し確認したということ。家に戻ってきて、昨日の仕事の続きをやり、8時になったので朝食を食べるがパンを買い忘れたのでまた餅である。レンジに40秒かけたら爆発していたので今度は皿に乗せて30秒かけたが少し足りない。そこからトースターで焼いてもいいのだがもう20秒追加でチンしていい感じに爆発したのを食べることにした。あとは目玉焼きと卵スープである。

で、とりあえず仕事の目処が立ったのでできたものをメールで送り、それから少し休んで、ブログを書き始めたのはもう10時前になっていた。まだどうも体の調子が変なので先に入浴して、今ブログ/noteを書いている。

午前中にやるべき用事はいくつかあり、午後にも用事があるので今日はなるべく手短に書こうと思う。

***

Z世代の話を昨日全部書けなかったので「特徴」とされることの後半を少し考えた。

「消費傾向としては「モノ」より「コト(体験・経験)」を重視し、共感できる「推し」にはお金を惜しまない」とか、「仕事観としてはワークライフバランスを重視し、自己実現や社会貢献につながるやりがいを求める」とか、「保守的かつ現実的」で失敗を避け、事前に情報収集して選択する傾向がある

というあたりである。

この辺り、自分と違うと感じたのは「コト=体験」が自分の糧となるものとしての体験ではなく、「消費」として捉えられていることかな、と思う。基本的に自分の学生時代には「観光」という概念がなく、つまりは知らないものを見にいく、知らないことを経験しにいく、という意味で野次馬ではあるのだが、そこで何かを得られる、少なくとも知らなかったことを知れる、という体験が得られるということを思っていたので、「旅行=観光」という概念が基本的になかった。

しかしそうなると逆に「自分の勉強になりそうなところを選んで行く」ということになるし、観光名所であってもなんだか意義が少なそうだなと感じるところはあまり行かない、という傾向になっていた。この辺を改めさせられたのは女性と付き合ってからで、一緒に旅行しても自分の行こうとするところは面白くないらしく、仕方ないからいろいろ考えてこういうところは面白いかな、とか有名だし行ってみるか、みたいな視点で行き先を選んだりするようになり、逆にそれで結構知見が広がったということはあった。まあ基本的には好きな人と行けばどこでも楽しいわけだが、「観光」というのは自分の中では割と新しい概念なわけである。ヨーロッパに行った時もバックパックで美術館や建築ばかり回っていた、という種類の旅行だったので。

まあ時々書いているが観光というのは旅行する方には楽しいと言えば楽しいが、地元の人にとっては結構迷惑な面があるわけで、本当に住民のほとんどが観光業に関係しているような地域ならそうでもないのだろうけど、イベントなどがあって街に人が溢れたりすると日常のペースで生活できないのでちょっと面倒なわけである。これは銀座とかもそうで、日常的に気晴らしや買い物に行っていた街が観光客で溢れかえるようになり、コーヒー代もインバウンド値段とかになってしまうと、やはり足は遠のくようになる。最近は帰郷しても丸の内や神保町には結構行くが銀座はあまり行かない。まして渋谷や新宿や池袋は東京の反対側ということもあり、かなり億劫になってしまっている。

「推しにお金を惜しまない」というのも最近よく見かけるようになった消費性向だが、これもそんなにはよくわからない。まあプロ野球や相撲でもそうだが自分の贔屓を決めておいて応援するのは楽しいわけだが、そこにそんなにのめり込むというほどでもない、いや大学1年の時に日本ハムファイターズがリーグ優勝した時にはプレーオフには通い詰めたけれども。「推し」という感覚はやはり基本的にオタク的なムーブだと思うし、自分はそんなにそういう意味でのオタク気質はないのでやはりちょっと違うかなとは思う。

「仕事観としてはワークライフバランスを重視し、自己実現や社会貢献につながるやりがいを求める」というのはそんなの当たり前だろ、とどちらかと思うのだが、「ワークライフバランスというのは取ろうとは思うがあまり取れないもの」という感じだったなと思う。自分は演劇だとかものを書くこととか自己実現という意味ではむしろそちらに傾いていたから仕事でそういうことを求めるというのはそんなに濃くはなかった。ただ結果としてそういうものが得られたり社会貢献しているなと思ったりやりがいがあったりするということはあるが、大体そういうものは自分がそう思っていても人から評価されることは結構難しいことだというふうには思っているところはある。

「保守的かつ現実的」で失敗を避け、事前に情報収集して選択する傾向がある、というのは自分でもそういうところはあるからこれもよくわかる。ただ、事前の情報収集というのは結構難しくて、結局は自分でネットなどで調べるよりもそのジャンルにおいて信頼できる人に任せた方が失敗が少ない、という経験則があるので、情報収集はほどほど、というのが違うところだろうか。これは兄弟や甥姪などを見ていてもそこまで調べるかと思うくらい調べているので、むしろ私はアバウトに調べて現実の中でどう対応していけばいいかを勘でこなすという方が大きい。私は思想的には保守だが資質としてはとても飽きっぽいので常に新しいものを求めているところがある。この辺りは伝統に安住した落ち着いた暮らしができる人が羨ましい。ってZ世代の話でもなんでもなくなってきた。

つまり、計画性の中に少なくとも4分の1くらいは「行き当たりばったり要素」を入れたい、というところがあるわけである。もちろんやり切らなければいけない命題みたいなものはなるべくその要素は減らしたいのだが、そういうものに限ってわからない部分が多く「ええい!」と気合を入れてやることになる。また、疲れていて今日はルーティン通り過ごしたい、という日に限ってアクシデントが発生するわけである。イベントも最近は空振りが多く、出かけるのも面倒な感じも出てきている。まあ、「人に会う」というイベントは大体は何かしら得るものがあるので良いのだが。

若者は非合理性を嫌うとか理不尽さを嫌うみたいなことはこれは自分も新人類世代だから当時は同じようなことを言われていたし、そんなに目新しいことでもない気がする。退職代行とかも私は民間企業に就職したことがないからわからないけれども、まだそんなにしがらみが生まれていない段階なら使うことも検討したんじゃないかという気もしなくはない。

書いてみたが、疲れているせいかなんだか当たり前のことばかり書いている気もする。最近エンジンの掛け方とかクールダウンの仕方とかがだいぶ下手になってきている感じがあり、その辺もまた老いなのか、やる気の問題なのかを考えなければいけないなと思ったりしている。

自分の中や外に新鮮なものを探すことも大事だし、それを新鮮と感じられる、評価できることも大事だと思う。私の場合は疲れていると後者の感覚が鈍くなり、結果的に前者もうまく捉えられない感じがするので、まああまり変に疲れないようにはしたいのだが。


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