自民党総裁選に思う:保守派の抱える屈託と「アンチ・アンチリベラル」の岸田・石破・小泉路線の屈折

Posted at 25/10/04

10月4日(土)

今日は自民党総裁選の日なのだが、おそらくはそういうことがあって自分の中でいろいろ考えたことを書きたいと思う。

現代の保守派と呼ばれる人には、屈託があることが多い。徹底した戦後民主主義教育が行われている中で人として成長し、素直にそれを受け取れば「リベラル」が出来上がるような仕組みの中で、我々は生きているわけで、実際にはそうならず、「思想の多様性」というものが生まれている。それは自分の育った学校等環境の中であるとか、成長するに応じて感じる社会の中であるとか、社会に出てから感じる様々なシステムの中、資本主義システムや福祉システム、公権力のシステムなどの中で感じる違和感や不適切感、その中でシステムがおかしいと感じるだけでなく、自分が受けてきた教育の内容や社会通念とされるもの、メディアが伝えるものなどに対して本当にそうなのか、という気持ちになって行くことによって「自分で調べ、考える」ことによって自分の思想が形成されるとともに、「自分は今まで何をやっていたのか」「自分は今まで何を知ろうとしてきたのか」ということに対して忸怩たる思いを持つことになるからだと思う。

現代の保守派と言っても年齢層は様々なので、またその生育した環境、都市なのか地方なのかというのもまちまちだし、家庭環境も様々だからなぜ彼ら彼女らが保守派になったのか、ということは一概に言うのは難しいだろう。ただ彼らの多くが感じているのがリベラル・左翼に対する批判・不満だとは言えるだろう。

とはいえ、実際に戦後の長期間にわたって日本の政権を維持してきたのは自民党だった。通常自民党は「保守」と言われることが多く、戦後政治を確立したと言える吉田茂は「保守反動」という言葉が代名詞になっていた。しかし彼が戦後権力を握ることができたのは彼が「親英米派リベラル」であったからだ、ということは忘れてはならないだろう。

第一次世界大戦後の欧米の国際協調路線、つまり帝国主義ではなく国際協調を国際関係の基調としていこうという路線を支持した勢力、原敬や牧野伸顕、幣原喜重郎らの路線の中に吉田もいたわけである。それゆえに吉田は戦時中投獄され、そして逆に戦後はそれが勲章になって、彼の政権を組織することができたわけである。

もちろん彼が作った権力が常に「進歩的」であったわけではなく、特に米ソ対立の中でアカデミズムや報道の世界で主導権を握った左翼勢力からは強く批判されていた。しかしそれゆえに基本的に「親英米リベラル」が「日本の保守」であるということになったわけである。

もちろん吉田にしても単純な親英米派ではなく、左翼勢力に「臣茂」と揶揄されたようにその本質は明治以来の国家体制に信頼を置くリアリストであったというべきだろう。リアリズムの中でリベラリズムをどの程度導入していけばいいかというのを慎重に図りながら、政権を維持して行くのが戦後の自民党政治であったと言える。

しかしそれだけに左翼勢力からの批判は常に行われてきた。しかし戦後すぐの左翼勢力が政権を握ったりあるいは経済運営に関わったりするだけの実務能力を持っていたのに対して、数十年の間政権から遠ざけられていた社会党はだんだん現実離れした主張が主になっていった。理想主義的な主張をもとに集合した人たちの中では実務能力を持ったものよりもイデオロギー的に正しいとされる人たちが権力を握りがちであり、またその主張が国民にも受けやすいという面があった。

戦後の資本主義陣営と社会主義陣営が対立する中で、結局はこの対立は資本主義陣営の勝利に終わり、社会主義勢力が退潮して行く中で新たに「親英米リベラルの日本保守」に対抗する基軸として現れたのが「改革」を唱える勢力で、これは基本的に「新自由主義とそれを強化するポリティカルコレクトを追求する勢力」であったと言っていいだろう。「改革」は戦後の民主主義にさらされていた自民党政治の中で蓄積してきた様々な矛盾を解消することを唱えたものであって、それ自体は理屈に合っていないことはないのだけれども、ただその改革が何を目指すのかがその勢力の中でも呉越同舟であって、旧来型の左翼から強い新自由主義的主張を持つ勢力、あるいは自民党に対抗する立場からの従来型の反米的な平和主義思想などもまた取り込まれて、シンプルな労働者のための政党がなくなるということにつながったのだが、「国民総中流」と言われた当時には「労働者のための政治」という考え方の重要性がマスコミも含めて見えなくなっていたのだろうと思う。

実際のところ、現代の保守派はさまざまなきっかけで学校や社会の中で支配的な「現代的リベラル」に対して違和感や不信感を感じることによって保守派になることが多いと思う。現代の保守派は「保守派に生まれる」のではない。「保守派になる」のである。

そして、そのきっかけは皆さまざまだとは思うが、綻びの見えてきた自民党政権が下野した時、あるいは他党と連立を組んで政権の一部が左翼リベラルに渡ったときに、彼らに対して感じることがきっかけになることが多いように思う。

私などの年代(1960年代)生まれにとって大きかったのは社会党首班の村山政権だった1995年の諸事件、阪神大震災やオウム真理教事件において彼らが「何もできなかった」ことである。社会党政権は自衛隊の派遣もできずに被害を拡大させ、オウム真理教事件では宗教への干渉に対する批判を恐れて結局は自民党の野中国家公安委員長が剛腕を振るうことになった。つまり私などの世代にとっては、というか正確には私自身にとっては「社会党・左翼は無能である」ということが保守の考えを持ち始める上での大きなきっかけになったということである。

その後は結局は主に公明党との連立政権が続き、自民党自体が新自由主義化した小泉政権時代を経て、2009年に成立した民主党政権は「本格的な日本リベラル政権」であったと言われるが、事業仕分けや東日本大震災での原発に対する対応など、あまり科学的とはいえない理念に先走った現実的でない対応が多く、また景気もリーマンショック後のどん底から立ち直れなかったことも含めて、「民主党は題目ばかり唱えて余計なことをする」という印象が強く残った。これはおそらくはネット社会になったことも大きいだろう。政権のやることに対するちょっとした批判がすぐに拡散されるようになったということは、メディアがそれを媒介していた時代とはまた違う現象であったと思う。

そしてこの時代はのちの第二次安倍政権によって「悪夢のような民主党政権」と批判されたわけだが、安倍首相はそうした戦後史の流れを踏まえつつ批判は自由にさせながら日本的保守、つまり「親英米リベラル」の路線に保守色を加えることで幅広い支持を獲得することに成功したために、最長の長期政権を実現したわけである。

しかし安倍退陣後、特に安倍暗殺後は自民党の雲行きもおかしくなってきている。岸田政権では安倍暗殺をきっかけに社会党が怖くてできなかった(統一教会に対する)宗教弾圧がまかり通り、LGBT法案が以前は保守派とされてきた自民党議員たちの手によって可決されるなど、自民党のポリコレリベラル色が加速してきた。こうした趨勢の中で戦後左翼的主張の強い石破政権が成立すると、国民は自民党支持から離れ、新たに労働者本位の主張をする国民民主党や、伝統的保守の色合いを加味した右派政党の参政党が大きく支持を伸ばすことになった。これらは安倍政権時には自民党が包摂していた勢力であったのだが、岸田・石破の左派リベラル路線が自民党を牛耳るようになることによって離れていったわけである。それにより自民党は少数与党に転落し、国民の支持を失いつつある。

そしてその出直しの総裁選が今日行われる。安倍路線を継承し、より広い国民の統合を訴える高市氏に対し、夫婦別姓を唱える左翼リベラル的な小泉進次郎氏が優勢だと伝えられている。そしてこの総裁選の中で、小泉陣営は高市氏を中傷する「ステマ」を行なったり、あるいは自民党員である人の党籍を勝手に剥奪するなどの「手違い」が行われていたことなどが広く知れ渡り、批判されているが、自民党内ではそれに対する批判は盛り上がってはいないようである。高市氏が同じ党内の人に対する批判を控えているからだろう。その姿勢は美しいけれども、批判しないということはそれを受け入れていると受け取られる可能性もあるわけで、安倍元首相のようなザックバランを装ったリーダーシップに比べると高市氏は少し大人しすぎる感じはある。

問題は、「社会党政権は無能」であったし、「民主党政権は余計なことをする」のであったのに対して、「自民党はよくないことをする」という印象が国民に定着しつつあることだと思う。自民党に対する批判というものは戦後ずっと「自民党がよくないことをする」という形の批判であって、その度に自民党は国民に頭を下げながら日本的保守の姿勢を貫いてきたわけだけれども、ここにきて「保守」の部分を投げ打つ傾向が支持を失わせているばかりか「よくないことをする自民党」という古い印象が左側からだけでなく右側からも強まっているということだと思う。

もともと小泉進次郎議員は「進次郎構文」などと言われるように能力的な部分で批判されてきたが、環境大臣の時には太陽光推進やレジ袋有料化、現職の農水大臣では農家を敵に回す備蓄米の放出など、「余計なことをする」という印象が加わった。今回の総裁選挙で「よくないことをする」まで加わってしまったら、「無能で余計なことをするだけでなくよくないこともする」総裁ということになり、これでは国民的な支持は難しいだろう。

総裁選がどういう結果になるかは今の時点ではわからない。日本にとって良い選択になると良いのだが、と思ってきたけれども、今朝はもう少し引いた気持ちになっている感じはある。

ただ、日本がどうなっても我々は生きていくわけだし、ある種の解放に浸る人も出るのだろうと思うけれども、人は生きているうちはさまざまなことから本当に解放されるということはないわけで、毎日の生活を生きて行くわけである。より多くの国民にとって希望の持てる選択をするのが政治家の義務だと思うので、それを考えて自民党の国会議員の人たちには選択していただきたいと思っている。

***

書いていて思ったのは、高市氏の路線は「自民党保守派」と言っていいと思うのだが、岸田・石破・小泉路線のようなものをなんと呼べば良いのか、「自民党内左派リベラル」というのではどうもしっくりこない感じがあるし、「高市だけはダメだ」という岸田前首相の言でいえば「自民党内反保守派」という感じなのだろうか。もともと保守というのはリベラルに対するアンチという側面があるから、そのアンチということは「アンチアンチリベラル」みたいになるわけで、より屈折している感じはする。この辺りはもう少し考えたいと思う。

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