マンガにおける異種交配:「寝坊する男」「ドリブルヌッコあーしちゃん」と「キルアオ」

Posted at 25/06/14

6月14日(土)曇り時々雨

昨日ちょっとーいろいろと考えなければいけないことがあって、まあそのせいもあって今朝は早く起きてしまったのだが、4時ごろに起きていろいろやってから5時15分ごろ出かけてガソリンを入れに行った。信号のところでふと横を見るとスズメがいて、なんだか最近見てなかったよなと思ったら2羽のスズメが車の前に出てきたので追い払った。強く生きてほしい。

隣町に行ってガソリンを入れたが、172円でアプリのクーポンで7円引きだったから165円。まあこのくらいで落ち着いてくれるといいのだけど、イランとイスラエルの戦争も始まりそうなのが懸念材料ではある。なんとかエスカレートしないでもらえると良いのだが。

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今朝読んだマンガでは「寝坊する男」がよかった。人間の善性についてのかなりシリアスなやり取りの中に、ちょくちょくギャグを挟む手法がいい。ギャグが挟まれてもその問い自体の深刻性は消えないのだが、やはりギャグによって浄化されるものはある。浄化、というのもある種の救済なのだろう。

この作品は恋愛コメディ的な要素(ラブコメというにはちょっとシリアスな気もする)とアクション的な要素が最初から含まれているのだけど、前者を好む読者は後者の要素を嫌い、後者を好む読者が前者の要素を嫌う、という現象がコメント欄などを見るとあった。これは「ドリブルヌッコあーしちゃん」でも、スポーツ漫画の側面についてあれこれ言う人と健康なエロス的な部分に苦情を言う人の声が初期の感想欄には溢れすぎていたけれども、そう言う人たちがさった後に「あーしちゃんポエム」の言語感覚を愛でる人が残った感じなのだが、すでにもう物語がたたみにかかられていて、ちょっとこれは残念に思った。

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ラブコメ×アクションとかラブコメ×スポーツ×ポエム(文芸)とかのジャンルの異種格闘技戦というか異種交配というのはマンガでは常に試みられているし、そこでうまく幅を広げられると良いのだけどファン層の融合があまりうまくいかない場合もままあるわけで、作者さんも編集者の方もどちらを向いて作品を作ればいいのか迷っているのかな、と感じさせられる場合が結構みられて、可能性のある作品がうまく結実しなくて残念だな、と思うことは多い。

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成功している作品を見るとそれがうまく行っているというか、最初から自然な形で融合していることが多いわけだけど、最近すごいなと思っているのは「キルアオ」で、殺し屋×学園ラブコメ×ミステリーみたいなふつううまくいく感じのないものが「中年の殺し屋の主人公が何らかの薬の作用で中学生に」という設定を生かすことで成り立つというのが面白い。また自分が中学生になったことで「学ぶ意欲」が改めて起こったり、ヒロインのノレンに対する感情も「本当は中年の自分が中学生のノレンとそういうことになるわけにはいかない」というポリコレ的な意識がうまく物語にはまっているというのがいいと思った。

こういうポリコレ的な要素は基本的に物語や作品全体をつまらなくすることが多いけれども、「それもまた一つの設定」としてうまくこなしている感じがして、そういうのならいいな、というふうには思った。そして実はノレン自体もまた主人公と同じように薬で若返らされている可能性も示唆されているから、この関係が恋愛として成就する可能性もあるというのもまたいいなと思う。

この作者さんの「黒子のバスケ」は読んでいないからわからないけれどもキャラクターに執着する女性が事件など起こしたという話は読んだことがあり、そのくらいファンを熱狂させる手腕はあるわけで、やはりフィクションを書く人、特にマンガ家はすごいなと改めて思う。

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by Luke Peterson

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