目を労る/「ずっとやりたかったことはなんですか?」/「あなたの知らない重大情報を私は知っている!」

Posted at 24/03/25

3月25日(月)雨

昨日は一日割とゆっくり過ごしていた感じ。先週はずっと忙しかったしおそらく今週も忙しくなるので、自分のペースを取り戻すためにはゆっくりするということは大事だなと思う。目が疲れているなと思って蒸しタオルで目を温める、というのを何度かやっていたら実際疲れているということが自覚されてきた。整体でも目の不調が他の不調になって現れていると言われたから今自分の身体のケアすべきポイントは目なのだなと思う。どうしてもつい酷使してしまうのだけれども。

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なんだろう、いろいろなことに目が行っていて関心のあるもの一つに絞る、みたいなことがあまりできない感じに昨日からなっているような感じがある。文章というものはテーマがないと書けないから一つのことに絞ることができないと書きにくいわけだが、まあ開き直って「一つのことに絞れない」というテーマで書いているわけである。

これは普段取り組むべきことを決めて取り組んでいることの反動なんだろうなと思うのだけど、とりあえずそれをし終えると「自分は何をやりたいんだっけ?」と思ってしまうことが多い。疲れていると何もやる気がないということもあるが、少し元気だとやりたいことが多くて選べない、という感じになる。手当たり次第できるほどの体力はないのでいろいろ考えてやることを決めることになるが、考えている間に日が暮れてしまう、みたいなことも割とあるので、とにかくなんでもいいから動く、みたいな風になることもある。

今ひとつ考えついたのは、「やりたいことは何か」と考えるだけでなく、というかそれで「これだ!」と思えればそれをやればいいのだが、「ずっとやりたかったことはなんだっけ」と考えるという手もあるなということ。これは「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」という本の題名を今思い出したということもあるが、結構やるつもりでやり損ねていることというのは多いから、そういうものの中から手をつけることを選ぶ、というのもありだなということではある。ちょっとそういう方向でまた考えてみよう。

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ビジネスの人はよく学校の先生や大学の教授などについて「世の中を知らない」という言い方をするが、それは彼らの世界での人間関係やお金やものの動きやその暗黙のルールみたいなものについて知らないということで、ビジネスの人が子供たちの実態とかについて知っているわけではない。

ロシアがウクライナの大きな地域を支配するのは彼らからしたら当然だとか、そういう話が財界の人とかからオフレコで出てくるというのはあるだろうなとは思うのだけど、それもまた一つの意見に過ぎないという視点も大事だろうと思う。

あなたの知らない重大情報を私は知っている!というのはまあそうかもしれないのだけど、それだけが全てではない。非人道的な戦争を国際法違反で無神経にやる人達とさも当然みたいな顔をして付き合っていくことが良いこと、あるいは得策なのかどうか、ということも考えに入れておいたほうがいいだろう。これは紛争ダイヤモンドなどの問題にも関わってくるけれども、「正義」というものも時に無力ではないこともある。暴走して手をつけられないこともあるのだけど。

結局のところ理想と現実はうまくバランスをとりながら進めるしかない。というのは、ある理想というのが誰にとっても理想であるとは限らないからだし、どの時代にも通じる普遍の理想みたいなものも必ずしもあるわけではない。それがあるとするのが宗教だけれども、宗教もすべての人が共有するものではないからそれに依拠する正義は当然対立することになるのは無視することは難しいだろう。

理想主義者にも現実主義者にもそれぞれ弱点や見えていないところはあるし、対立と抗争、妥協と和解を繰り返しながら神ならぬ人間は進むしかない、ということもまた、ある種の普遍の真理ではあるだろう。

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