「ふつうの軽音部」と21世紀の日本ロック/インドにおける仏教の滅亡/日本に都合のいい「冷戦構造の復活」と「再多極化への備え」

Posted at 24/03/24

3月24日(日)霧のち曇り

1週間の疲れがだいぶ出たようで、昨夜は9時半ごろ休んだのだが、起きたのは4時で、6時間半、自分としてはかなり長時間ちゃんと寝た。それからいろいろやっていて、気がついたらもうすぐ10時なのだが、さてようやくブログを書こうというところにまで辿り着いた。

昨日は午前中墓参りに行こうと思っていたのだけど大雪になってそれどころではなく、どうなるかなとおおっていたが午後には止んで、気温はそんなに低くはないので道路の雪は大体とけた感じ。ただ、今朝少し車を運転して諏訪湖の向こう側の方まで行ったのだけど、諏訪湖は霧の中に沈んでいて、また詰んである丸太のままの木材とかの上に雪が降り積もっていて、街の中よりも冬っぽさが強くなっていた。

https://shonenjumpplus.com/episode/9324103659665796332

今朝は起きてすぐジャンププラスで「ふつうの軽音部」を読みに行ったのだが、その後もずっとルーキーに連載されていた最初の形と今のジャンプラ連載版を往復しながら読んでいて、情報量が増えて理解が進んだ感じがした。また出てくる曲もアンディモリの「エブリシングイズマイギター」やあいみょんの「君はロックなんか聞かない」、銀杏boyzの「あいどんわなだい」などYouTubeで聞いてみて、2000-2010年代のロックって全然聞いてないなと改めて思った。でもそれぞれどれもいい曲だなと思ったので、これを機会に「ふつうの軽音部」を羅針盤に聞いてみるのもいいかなと思った。

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インドにおいて仏教が滅びたのはヒンドゥー教の勢力に押されたことと、イスラム教の奴隷王朝に滅ぼされた、という話はどこかで読んだのだけど、改めて調べてみてインド仏教の拠点だったヴィクラマシーラ僧院が1203年に奴隷王朝によって破壊されたのがインドにおける仏教滅亡であったのだなと知る。具体的な年号までわかるとは思わなかった。またもう一つ有名なナーランダ僧院もその10年前の1193年に奴隷王朝によって滅ぼされているということを知り、12世紀終わりから13世紀の初めが仏教滅亡の画期であったということを理解した。その直後にモンゴル帝国の草原制覇が始まるが、インドにその影響が及ぶのはティムール帝国以降だから、モンゴルが信奉することになるチベット仏教がまたインドで伸長する機会はなかったのだな、と思ったり。いろいろ歴史のあやというものはあるなと思う。

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田中宇さんのニュース解説を昔はずっと読んでいたのだが、途中から陰謀論的な見方が強くなっていてちょっとどうかと読むのをやめたのだけど、彼がアメリカには「新冷戦派」と「多極化推進派」がいるというのは割と妥当なんじゃないかと最近思うようになっている。

中国の成長やアジア諸国の成長、イスラム過激派などが多極化の要素だったのだけど、最近では欧米サイドの新自由主義圏とロシア・中国サイドの権威主義圏に再び二極化していてイランやハマスがロシアについたのは割とその流れを加速している感じがある。アフリカもロシアの影響が強くなった。

アメリカの利益がどちらにあるかといえば多極化してそれぞれと自由貿易ルールでやれるのが一番だと思うが、中国やロシアはアメリカのルールでやるのをよしとせず、またフェミポリコレLGBTリベラリズムを否定することで多くの支持を得る見込みがあるのでそれで多数派を形成しようという方向はある。

中国やロシアの攻勢に対抗するために冷戦的な封じ込めの方向にアメリカの政策が転換してきていて、これからどうなるか。冷戦派の軍事重視は当然マッチョ的な方向なのだが、ポリコレリベラルとどのあたりで妥協できるのか。

キリスト教超保守派とLGBTはペドフィリアを切ることで妥協しその方向で表現狩りも進んでいるのが日本にも影響が出てきているけれども、これは冷戦下のマッカーシズムを彷彿とさせるところはある。

日本は冷戦後の多極化過程で方向性を見失って迷走した感じがあり、アメリカも日本の利益を回収することを優先して中国の産業化を許容したわけだが、中国が大国化しコントロールが効かなくなると一転して日本に肩入れを始めて日本も復調しているわけで、つまりは日本は冷戦型の方が繁栄はしやすいということは言える。これは日本が軍備を持っていないということが大きいわけで、多極化した世界ではアメリカは味方についてくれないから経済的な力も落ちるのだけど、その中では日本の国際的な発言力は一歩一歩伸長してきているわけで、まあ平成の政治家たちもある意味頑張ったとは思う。

欧米もテーマは「反移民」になりつつあり、これは多極化の限界みたいな話とロシアが悪い意味で底力を見せたことで生み出された大量のシリア難民爆弾・アフリカ難民爆弾が効いている。

日本が多極化した世界である程度の地位を持つためにはロシア・中国・アメリカも一目置かざるを得ない程度の軍備は持たざるを得ないわけで、その具体的な例はトルコだと思う。トルコはNATOの中でも独自の発言力を持ち、EU入りを諦めたことでヨーロッパに圧力を持てるようになった。核を持たずにあれだけの影響力は持てるわけで、トルコは日本の進路についての一つの見本たりうるのではないかと思う。

トルコは大陸の要に位置し、それゆえに巨大な陸軍国家であることがその重みを持たせているわけだけど、日本は周りが海だから重要なのは基本海軍、もとい海上自衛隊の増強だろうと思う。シーレーン防衛と中露を自由に太平洋に出さない実力を持つことが重要だと思う。アメリカ第七艦隊の肩代わりをできる程度の力は持ちたいところ。

まあ私などは物心ついた時から30前後の時期まで冷戦構造が続いていたから特に特異な状況だとは思わない、という感じはあるのだよな。核戦争の脅威が一応はなくなったというのが冷戦終結の大きなメリットだったとは思うが、軽武装日米同盟の路線が冷戦終結で雲散霧消しそうになったのは第一次世界大戦後に日英同盟が失われたのと同じくらいの危機だったのかもしれないと今にしては思う。

日本はそれから孤立化→敗戦の道を辿ったが、失われた30年はずっと経済敗戦ではあり少子高齢化で国のもといもやばくなってはいるが、自国の軍備を強化しつつ日米同盟の重要性も再認識されてきたのは単純に日本にとってはプラスだっただろうと思う。

日本には米英間のような「生まれた時からの同盟関係」みたいなものはないので(もちろんこれは第一次大戦後イギリスの没落とアメリカの勃興で実現したものだが)とにかく強固な同盟関係を持ち続けることは生き残るためには必須だろうなと思う。ただ再び多極化してきたときにアメリカに頼らずに自立できるだけの国力は持っていないとやばいということではあろうと思う。

日本が日清・日露の両戦争で二つの陸軍超大国に勝利を収められたのは、海軍大国であるイギリスと日英同盟を結んでいたことはもとより、アメリカが好意的に仲裁に入ってくれたことが大きかったわけだけど、日本の国内的には「陸軍超大国に勝った」ことによって長州閥の陸軍が強くなりすぎたことが言える。

その結果満洲をはじめとする中国権益に強くこだわるようになり、満洲鉄道をめぐるアメリカ側の申し入れを拒絶したり、中国を思い通りにしようとする方向に動いたことが米英の反発を買ったことが失敗の原因として大きかったのだなと思う。第一次世界大戦の結果、ロシア・中国・ドイツ・オーストリア・トルコといった陸軍超大国が衰退し、米英の海軍超大国が覇権をはっきり握ったことによって、近衛文麿など反英米のスタンスを取る人物が日本で力を持ってしまったことも大きかったかもしれない。

日本は戦勝五大国の一角を占めたとはいえ非欧米人の国家であり、また国力においても1.5流の国であったことは確かで、欧米と肩を並べようとして背伸びをしすぎるところもあったのは確かだろう。そうした歪みが朝鮮における植民地政策や対中政策などに現れていたこともまた確かだろうと思うし、左翼のいうような形ではなくても歴史から学べることは少なくはないと思う。

現在は比較的安定した日米関係によって安全保障上の問題はそんなに大きくはないが、それはアメリカの軍事力の存在を前提にしているからで、そのプレゼンスがなくなったら一気に日本が危機に陥ることは間違いないだろう。アメリカが東アジアないし西太平洋に軍事的重点を置いているのはアメリカの都合なのだから、それが変われば瞬時に引き上げる可能性も忘れてはならないと思う。その時のために備えることは、国の生存には欠かせないことだろう。

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