ハマスのやりすぎとネタニヤフのやりすぎ

Posted at 24/03/17

3月17日(日)晴れ

いろいろひと段落し、一方では新しい段階へのスタートを切った感じもして、取りあえす一休み兼新ステップの準備を進める、みたいな感じになっている。

昨日は朝ガソリンを入れに隣町まで行って朝のパンを買って帰り、ブログを書いて朝食、更新してから出かけてクリーニングを取りに行ったり買い物をしたり。帰ってきて作業場の雑誌をチェックし、仕事は新しいことがいくつかあって、いろいろ進められたし夜は帰ってきてから作業場の整理を思っていたところまで終わらせて、「ブラタモリ」の指宿の回の録画を見ながら夕食。眠気が来てうたた寝をしてしまい、1時頃ちゃんと寝床に入って、5時半ごろ起きた。

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昨日自分が書いたTwitterの投稿を読み返していたのだが、書いてみたいテーマがいくつか出てきていて、さてどれにしようかと思う。

1.ハマスのやりすぎとネタニヤフのやりすぎ、日本人の感覚と国際的な感覚

2.専門家が自分の専門の医療問題や国際問題を自分ごととして語ること。その難しさと求められるもの。

3.アメリカにおける1988年のプロザック(抗うつ薬)の開発と1990年代における心理学のポジティブ志向化

4.「葬送のフリーレン」における大魔法使いゼーリエと孫弟子フリーレンの関係

5.甲州街道の宿場町・内藤新宿から八王子まで

書いてみるとどれも一筋縄ではいかないのだが、アイデアの素描くらいはしておこうかと思う。

1.ハマスのやりすぎとネタニヤフのやりすぎ

Twitterを見ているとイスラエルのガザに対する虐殺的な軍事行動を支持する人が案外多く、彼らは国連や国際社会がパレスチナ人を支援することに批判的であることが多いのだけど、なぜそのように考えるのか、と言うのはつまり自分はそう考えないからなのだが、その辺のところを考えてみた。

最近の現象面だけ考えると、昨年の10月27日のハマスの越境攻撃で、彼らはかなりひどいことをやったようだ。ようだと言うのは私は残虐映像とか画像とか見ないようにしたので実際のところはちゃんとは掴んでいない。それがどの程度実態を反映しているのかも含めて。日本の支那事変中の南京事件でも、マスコミ等によって誇張された「英雄的」虐殺行為みたいなものが戦後は一転して戦犯裁判での過酷な厳罰に繋がっている例とかもあるから、その辺については慎重にみるべきだと思っている。

日本はそう言う例を経験して、戦場での残虐行為は許されないと言うことがかなり国民の意識として徹底している国だと思う。だから戦争の記憶自体が風化し、逆にそうした教訓のみが語られていることはドイツにおけるホロコーストの記憶と同じで、右の人も左の人もそうした残虐行為には敏感だし、特に1970年代に新左翼がテロ活動で支持を失い、暴力的なものを否定する風潮がとても強くなったために、いわゆる暴力団なども社会的な地歩を絶たれる法改正も行われて、返って半グレや外国人暴力集団系への裏社会的な意味での抑えが効かない状態にすらなっている。

ただ日本ではそれが「国際基準」みたいに意識されているけれども、現実には虐殺行為や虐待行為は後をたたないわけで、そう言う表の基準みたいなものと裏の基準みたいなもののギャップが現実には存在するのだよなあと言う感じはする。

ハマスの虐殺行為はそう言う意味で、イスラエルがこれまで行ってきた弾圧行為やオスロ協定・国連決議違反の西岸地区への入植活動を踏まえると、それなりに容認とまではいかないが黙認されるべきと言う雰囲気もなくはない。これは911の同時多発テロと同じで、アラブ世界では正当な報復行為だと感じている人も少なくはないだろうと思う。

イスラエルの報復行為はその後間もなく始まり、徹底的な破壊活動が継続して行われ、何万人ものパレスチナ人が犠牲になり、また100万人以上が非人道的な状況に置かれているが、イスラエルはその手を休める意思はないようである。アメリカではバイデン政権が基本的にネタニヤフを支持し続けてきたこともあるが、大統領選挙の年になり、今度はより強硬なトランプ政権が復活する可能性が見えてきたために、ネタニヤフはバイデン政権への嫌がらせのためにより戦争を継続すると言う方向性が見えてきて、民主党上院のユダヤ系議員がネタニヤフを正面切って批判すると言うような新たな段階に入ってきた。

911後のアメリカもそうだが、現在のネタニヤフの殲滅的な作戦はつまりは「国家の威信を傷つけられたこと」の要素が大きいだろう。もちろん犠牲者を出したイスラム過激派的なテロに対するテロ行為の鎮圧という目的もあるけれども、それ以上に国防省を攻撃したり、アメリカのシンボルであったニューヨークのツインタワーを瓦解させるというこれ以上ないアメリカ国家に対する侮辱に対し、アメリカは断固として報復せざるを得なかったというのも日本ではあまり語られてきていないが認識しておかなければいけないことだと思う。

今回のハマスの越境テロに関しても、イスラエルが完全に油断していたことは確かである。イスラエル・パレスチナ間ではオスロ合意による二国家解決が国際社会が承認した解決路線であるのだが、ネタニヤフのような保守的なポピュリストにとって、それは受け入れられないから国際協定違反の西岸の入植を進めることで事実上の領土化を進め、テロを防ぐという名目で分離壁を築くという事実上の侵略行為を行なっている。彼らにとってはパレスチナ自治政府を代表するアッバス議長とファタハの権威と権力を削ぐことがメインになってきたから、その反抗勢力であるハマスに対しては軽く封じ込めておいてむしろガザからの出稼ぎを認めるなどの対応をしてきていた。完全に油断していたと言っても間違いではないだろう。

今回のハマスの攻撃はつまりはその油断をついたものであり、そういう意味でイスラエル国家の威信をコケにしたものである。アラブ世界でもそれを評価し喜ぶ人が多かったのは事実である。テロリスト組織の中でも「イスラエルの鼻を明かした」ハマスに対する評価はかなり高くなったし、それにより彼らに対するアラブの金持ちからの資金援助もより期待できる状況が生み出されたと言っていい。

ただ、ハマスはやりすぎた。

彼らの主観的には正当な報復行為であり、これくらいやっても足りないと思っているだろうとは思うのだけれども、イスラエル・パレスチナ間の一応の平和合意であるオスロ合意による平和的解決を辛抱強く支持しようとしていた人々にとって、ハマスの側からのテロ行為は容認できない、と感じた人が多かったのだなというのが感想である。イスラエルの方がずっと侵略行為をやっているのだけれども、常態化していたのであんとなく黙認する雰囲気になっていたのだろう。

だからハマスにしてももっとやり方があっただろうと思うのだが、彼らは何が国際社会に受け入れられにくいかという感覚がやはりちょっと麻痺していたのだろうなとは思う。

しかしこれに関して、どうも「ハマス側が一方的に悪い」という人たちが思いのほか多いのは、日本特有の理由もあるのではないかという気がすることは上にも書いた。

たとえば、北朝鮮は工作員を日本その他に送って中学生女子を含む民間人を拉致したり敵対する韓国の好機を墜落させたりするなどの非道なテロを国家単位で行なっている。日本ではそれは全く容認できないものとされているが、時間が経過したこともあり、北朝鮮国家は中国やロシアの支援もあって核開発もミサイル開発も順調に進めていて、日本の世論の動きとはギャップがあるのが事実である。

逆に言えば、そうしたテロ行為すら、積み重ねの上では国際関係の一つの要素にすぎなくなっていくのが現実ということである。ハマスのテロもネタニヤフの強圧姿勢の前には相対的には大きな問題ではない、ガザの人間の全てがハマスではないのだから、それを攻撃するのは理不尽だという方向に行っている。ただこれもある種のフィクションが含まれていて、こうした目にあったパレスチナ人がハマスでなくてもイスラエルに敵愾心を持ち手段が他になければテロに走ることは十分あることだが、そこまでは考えないようにしている、という面も事実である。

ただ、アメリカにしてもイスラエルにしてもそうだが、決して風化させないと決意しているレベルの問題がある。それが「国家の威信」の問題である。

日本は敗戦以来、その点については弱みを握られてきているのでなかなか表立って語られることは少ないのだが、世界においてはいまだに最も重要な問題であることは忘れられるべきではない。

イスラエルは攻撃を受けて直ちに対応できず、正直言って醜態を晒した。それを嘲る声も多く届いただろう。ネタニヤフが報復を決意したのはそうしないと政権が維持できないということもあったが、イスラエル国家を侮辱されたということは、敵だらけの中東においてユダヤ人国家を維持する上で、傷ついたイスラエル国家の威信を回復することは絶対条件だったということもある。

だからネタニヤフにとって重要なのは人質を取り返すということもなくはないが、より重要なのは舐めた真似をしたハマスを根絶やしにすることの方になるわけである。

だからネタニヤフにとって、ガザ攻撃においてやりすぎということはなく、ハマスの抵抗を徹底的に無力化するまでは終わらない。そしてガザの抵抗が終わることはパレスチナ人が最後の一人になるまでないだろうという見通しから考えれば、虐殺しか答えはないということになってしまう。イスラエルのやりすぎの本質はそういうことだろうと思う。

「停戦して総選挙を行い、イスラエルの民意を問え」という提案は、民主主義的な文脈ではある意味正しいが総選挙というのはつまりは平和化された内戦なわけで、イスラエルにとっては大きな隙を作るということであり、一度隙を突かれて醜態を晒したイスラエル国家としてはそれはできることではないだろう。

平和構築というのは双方がある程度の余裕を持って相手の立場や考え方も一定程度は容認できて初めて可能なことだから、現状での解決がかなり難しいことは確かだろう。ただ、最終ゴールとしては2国家解決しかないと私も思うので、そうした方向に進むことを願うしかない、というのが現状なのだろうと思う。

現状は相当厳しく、国際社会の理想は各所で破壊されている。戦争中もそうだが、戦後の世界がどうなるのかもかなりの歪み・軋みが残ったものになるだろう。これはウクライナ戦争についてもそうなのだけど。

場合によっては1990年前後の「冷戦終結」以来のパラダイム変換が起こる可能性もある。一応は平和な時代が終結して、「新たな戦争の時代の始まり」ということである。そうならないことを願いたいとは思うのだが。

そして日本人としては、横田めぐみさんをはじめ拉致被害者が1日も早く帰ってくることを祈る。これは国際社会の理不尽に対する認識とは別の、日本人としての祈りや願いとしてである。

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さて、1.だけで十分長くなってしまったので今朝はこのくらいに。2.以降についてはまたどこかで書けると良いなと思う。


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