大林太良「神話学入門」を読み始めた:合理主義と学問的方法/ギリシャ的合理性とキリスト教と日本の合理主義/「神話とは何か」

Posted at 23/11/16

11月16日(木)晴れ

今朝の最低気温はマイナス0.3度。このくらいなら「すごく寒い」という感じがしなくなってきた。暦の上では立冬も過ぎて冬の入り口だけど、風情としては晩秋で、桜の木や落葉樹は紅葉から冬の枯木立に姿を変えつつある。山の上の方はもう雪が降ったようだが、諏訪でも平地ではまだ大丈夫な感じ。まだタイヤは冬用に換えていないのだが、なるべく早めに換えたほうがよさそうではある。

昨日は「知的生活の方法」を読み終え、その影響もあって父の蔵書の整理を新書から少しずつ始めたのだが、どうも新書というものは自分と相性がいい感じがして、面白そうだと感じられるものがいくつも出てきている。

昨日新たに見つけたのが大林太良「神話学入門」(中公新書、1966)なのだが、これは面白い。神話というものは面白いなと昔から(子供の頃から)思っていて、日本神話(出雲神話や記紀神話)とか「諏訪のでんせつ」「聖書物語」みたいな本も好きだったし、学校でも神話を取り上げないのが不思議だと思っていた。「ナルニア国物語」や「ドリトル先生シリーズ」などが好きだったのも、恐らくはその延長線上なんだろうなと今思えば思う。全てのファンタジーがそうというわけではないけれども、「人間のあり方」を問うようなものは好きで、そういう意味ではダンテの「神曲」もその延長線上で読んでいたのだなと思う。つまり、神話とかファンタジーとして「神曲」を読んでいたということだ。

その神話を学問的に研究することが始まったのは、「神話の没落」とともにだった、というのはなるほどと思うとともに表現がかっこいいと思った。つまり、ギリシャ時代からすでに神話研究は始まっていた、というわけである。ギリシャ時代にはすでに「物事を合理的に考える志向」が起こっていて、その合理主義的なものの見方が神話に接した時の反応として「不合理なものとして排除する」という志向が起こる一方で、「合理化して説明する」という志向もまた起こった、それが神話研究の端緒であった、というわけだ。

これは面白いなと思ったのだけど、つまりは神話というものには当然ながら不合理性が含まれているわけで、それを「合理的に」どう受け取るかというところから研究は始まっている、つまりある種の「戦い」として最初から神話研究というもの自体がある、ということなのだなと思う。

また、考えてみると「研究」というものは全てそうだなということがわかる。つまり、この世界、この宇宙というものは合理的に考えて説明のつかないことで満ちているわけで、それを説明しようとする情熱こそが「研究」である、と言えるわけだ。そしてその方法としては思弁とか文献研究、情報収集、記録などさまざまな試みが行われてきたわけだけど、そういう人文学的方法から学問というものは始まっているわけだ。また法や人間社会のあり方に関する社会科学的方法、観察や実験からその背後の原理を洞察する自然科学的方法もすでにギリシャ時代に起源があると考えることはできる。

ただ、そうした方法には常に人間的限界があるわけで、その先をどう説明するかは難しい。「わからないことはわからない」と宣言するのがある意味科学的方法なわけだけど、それをどうにかして非合理の領域に踏み込んで説明しようとすることもままあり、特に宗教的な分野においては「神の意思である」などと説明したりすることもあったわけだ。

また、神話というものはそうした人間理性と対峙するものではあったが、哲学や宗教(信仰)というものは人間理性そのものに依拠しているところがあり、だから哲学や神学は思弁性によって膨大な体系を生み出したわけだけど、本人たちはそれによって真理に近づいたと考えるわけだけど、そうした膨大な形而上的思考も哲学なら実践、宗教なら信仰という形で現世に還元されなければ社会的影響力を持ったものとして生き残ることはできないだろう。

ヨーロッパ世界においては合理主義的思考の起源としてギリシャを考えるのが一番考えやすいのでちょうどいいのだが、インド世界や中国世界、また日本において「合理性」がどのように扱われてきたか、また「合理主義」と言えるような哲学的基盤があったのかどうか、というのはまた考えられなければならないだろうなと思う。

キリスト教の神学研究そのものがギリシャ以来の合理主義的態度によって支えられてきたということは確かで、この辺りは日本の前近代の神話研究や神道研究そのものが仏教という体系に支えられて進められてきたこととある意味似ているが、仏教は合理性のみの思想ではなく、また特に大乗仏教はそうしたものではない思弁的な部分が大きいから、神道の教義体系がキリスト教ほど合理的に破綻しにくいものにならなかったというところもあるなと思う。ある意味明治以降にそれをやろうとした節もあるが、近代国家の確立と同時に宗教を確立するというのは至難の業で、その結果作られた国家神道体系は「宗教でない超国家主義」とみなされ神道指令で排除されそうになり、「神道は宗教である」という装いを慌てて取って神社本庁という組織をつくることによって生き残ることができた、という感じになった。日本においてなかなか優越的な宗教が確立されなかったのはその確立自体が遅くなったから、ということなんだろうなと思う。

ただ合理主義そのものはすでに江戸時代にはそうした志向ははっきりとあったし、古くは平安時代においても「やまとごころ」というのは中国の諸制度を硬直的にではなく柔軟に運用する心構えのことを指していたわけで、そういう意味での合理性の芽生えというものはかなり早かったようには思う。また諸制度も「実情に合う」ことを常に目指されていて、武家法である御成敗式目や戦国大名の分国法、武家諸法度やさまざまな御触書などが作られて運用されていったわけである。

合理主義に反対する思想としては神秘主義、ロマン主義、実存主義などが挙げられるが、合理主義的進歩主義に対しては保守主義があるわけで、それも進歩主義に対する保守主義と、それ以前の非合理性の方を重視する保守主義があるから、そこらへんの混同をしないようすることが重要だなと思ったり。

まあこの辺りのことで考えるべきことはまだ相変わらずたくさんありそうである。

神話研究の話に戻ると、神話とは何かという説明において、倫理的なものや自然現象を寓意として表したものであるという「寓意説」と「神とは功績の多い人間である」と判断する「エウヘメリズム」があるという。寓意説というのはアリストテレスなどがその立場だというが、例えば日本においては「天岩戸」神話は日蝕を表す、みたいな考え方だろう。それに対して「エウヘメリズム」はプラトンなどがその立場に近いようだが、古事記に書かれたことは全て本当にあったと考える、神は人であるという本居宣長の考え方などがそれにあたるのかなと思う。「伊邪那岐命の古墳」などが存在したりするのもそういう方向の捉え方なのだろう。

その後18世紀頃から神話学はアメリカインディアンの神話に触れた宣教師たちの報告や中国の哲学や宗教が知られるようになってきたこと、またケルトやゲルマンの神話が視野に入ってきたことなどから「聖書の神話」と「ギリシャ神話」という二つの伝統的な素材だけだったものが急激に視野が広がったことによってまた盛んになってきたということのようだ。その中で取り上げられているのがヴィーコなのだが、この人に関しては私はデカルトの合理主義に対する批判者とのみ認識していたので、またその全体像を捉え直さないといけないなと思ったりしているところで、とりあえず今朝はここまでにしたいと思う。

***

昨夜はだいぶ目の疲れを感じたので、蒸しタオルで目を温めるというのをやったのだがこれがうまくいったようで、11時半に寝たのだが起きたのは5時半で、久しぶりに目を覚さずに6時間も寝られた。この所の睡眠がうまくいかないことが多かった現象の一つの理由が目の疲れだということのようなので、しばらく寝る前にこれはやってみたいと思う。

「リンカーン」「修道院」も並行して読んでいます。

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