「岩波新書解説総目録1938-2019」を読んで戦前戦後の学術と出版のことなどをつらつら考えたり

Posted at 23/11/17

11月17日(金)雨

夜更けから雨が降っていて、そのせいか少し暖かい。最低気温は6度を超えているようだ。暖かいと言ってもこの時期の朝としては、という話なのだけど。少し車が汚れていたので雨が降ってちょうど良いかな、とも思っている。

昨日はそれなりに忙しくて本をあまり読めていないのだが、最近父の本棚から出てきた新書を確認していくために銀行に行ったついでに足を伸ばして信州楓樹文庫へ行き、「岩波新書解説総目録1938-2019」を借りてきた。結構分厚くて驚いたが、考えてみたらこのくらいの冊数は出ているなと改めて思う。東京へ行った時に買おうとも思っているのだけど、見てみたいと思うのもあって借りてきたのだけど、これは順番に読んで行っても面白いようには思った。

岩波新書が最初に出版されたのは1938年、つまり昭和13年だが、すでに前年に日中戦争は始まっていて、日米戦争が始まる3年前である。その時点で時代に即した教養的な内容の普及版の書籍を発行するというのはやはり志が高かったのだなと思う。

昭和13年11月刊の最初の岩波新書の中には、斎藤茂吉「万葉秀歌」上下のように私も持っているものがあるし、中谷宇吉郎「雪」のように読んでみたいとは思っていたがまだ読んでないものもある。そのほか著者・訳者は矢内原忠雄・津田左右吉・寺田寅彦・尾崎秀実・武者小路実篤・高橋健二と当時の一流の学者や新進気鋭の学者たちが並んでいて、出版社側の意気込みとともに当時のアカデミア全体からの期待のようなものも強く感じられてラインアップを見ているだけでワクワクする感じがある。

今は岩波新書には文学作品は納められていないわけだが、この時のものには小堀杏奴編「森鴎外 妻への手紙」や里見弴・山本有三・久保田万太郎・横光利一・川端康成らの小説や短編集も並んでいて、そういう感じだったのだなと思ったりする。目録は番号順に並べられているのだがその中で何本か出版時期が遅くなっているのがあって、これは予定はしていたけど原稿が間に合わなかったとかそういう理由なんだろうなと思ったり。特に遅くなっているのが半年遅れの尾崎秀実「現代支那論」と一年半遅れた三木清「哲学入門」で、両者とも近衛文麿のブレーントラストだった昭和研究会のメンバーなので、第1次近衛内閣が総辞職する前のこの時期は忙しかったのだろうなと思ったり。

父の持っていた岩波新書は1960年代、昭和30年代後半から40年代前半のものが多いのだが、最初から辿っていくとある意味での日本の学術史の素描みたいなことができるのではないかという感じはした。

その他ザーッと見ていくと岩波文庫に比べて自分が読んだなと懐かしく思う本が多い。今ではその分野である種の古典となっている本、例えば宮崎市定「雍正帝」(1950)などがポッと出てきていて、ああこの時期の著作だったのか、と自分の中での時代的な位置付けができたりする。岩波新書は各時期の若手から老大家までいろいろな人が書いていることがあるが、その分野の草分けのような人が書いた著作も結構あって、後で古典化したりすることもあるわけで、その学者にとっても誇りだし岩波新書にとってもその全体に重みを加える存在になるわけで、編集者の目の確かさを感じさせるものだなと思った。

楓樹文庫から書店に回って「EDENS ZERO」の29巻を買い、昼食の買い物をして帰宅。田中空「タテの国」の2巻が届いていた。朝買ったヤンジャンとDモーニング、ジャンプ+などはちゃんと読んでいるのだが本を読む時間が取れなかったなと今振り返ってみて思う。さてこういう時はどのようにすればいいか、とまた考える。


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