クリスマスの朝に/「日本近代の修養」と「自分磨き」とか/「自分は自分、世界は世界」:属するとか属さないとか

Posted at 22/12/25

12月25日(日)晴れ

昨夜は9時半ごろ休み、起きたら3時過ぎだった。寝床の中で少し体を整えたあと、風呂に入って昨日まで片付けられなかったところを少し片付け、風呂に入っていろいろと情勢を確認する。4時過ぎに車を確認したらフロントウィンドウが凍結しているのでエンジンをかけて温める。外はすごい星空。気温はマイナス6度くらい。

ガソリンを入れるのと、東京に帰る切符を買うのとで出かけたのだが、駅に行ったら券売機が発売中止になっていた。なんでまた、と思って時計を見ると5時前。多分5時にならないと券売機が作動しないのだな。こちらにも都合があるのに、とぶつぶつ思うが、まあ仕方がない。国道を車を走らせて隣町まで走り、ガソリンを入れに行った。昨日と打って変わって全く雪がないので快適な走り。この車はカーブするときに少し異音があったのだが、先日修理してもらったらそこも含めてかなり調子が良くなった。給油して、隣町の駅に行って切符を買う。まだ駅自体が準備中の雰囲気だったが券売機は動いていて、切符を買うことはできた。

なんだかやることがばたばたと多くて昨日の朝は「2.5次元の誘惑(リリサ)」の更新を読むのを忘れていたのだが、読んでみると驚きの新展開でまさかの地味メガネさんがラスボス。ただものではないとは思っていたが、本当にただものではなかった。連載で登場したのは61回、2020年10月だから2年ぶりの伏線回収。次回この人が語られるだろうから、楽しみだ。

ジャンプ+日曜日の更新では、「全部ぶっ壊す」が今日で最終回。私はこの作品とても好きなのだが、地元では単行本が当日に手に入らない時もあり、入手に苦労する時もある。書店を3軒くらい回れば大体手に入るのだが。こういうことに関してはやはり東京との格差は感じる。マンガに関しては昔ほどではないのだが。

日本近代の「修養」という問題を考えたいと思っているのだけど、テーマとしては先日買った「修養の日本近代」が近いとは思いながらなんとなくのアプローチの方向性の違いを感じてまだ読めていない。修養と教養の関係とか、修養と現代の自分磨きや自己開発あるいはオンラインサロンなどとの関係など、どういうアプローチをすればいいのかと思うのだけど、修養を教養に近いもの(ある種の二番煎じとか強要階級のお下がりのようなもの)と考えるのか、民衆世界独自の世界観を持った処世術、「立派な社会人」になるためのものと考えるのか、みたいな話もあり、その辺は学問的・思想的なイニシアチブを持つ人たちと民衆のカリスマみたいな存在との違いとか、多分自分自身にとってわかりにくく感じるところであるのだろうなと思う。

というか今考えていて思ったが、私はもともとその辺のアイデンティティの持ち方が中途半端なんだなと思う。アカデミアに入ってどうこう、みたいなことをあまり考えずに自分独自の道をいく感じが最初から強かったのだけど、まあその結果アカデミアにも属していないし民衆世界の人でもないというアイデンティティの持ち方が難しい感じのポジションにいるのだなと思う。ここはあまり自覚していなかったが、ある種の「やりにくさ」みたいなものがずっとあったのはそのせいだなあと改めて思った。

自分は自分、世界は世界、というのは若い時は割と平気なのだが、素裸のままで世界の荒野に立つというのは歳をとってくると割合堪えることで、何かの集団や界隈に属している方が自分とは何かという問いに悩まされずに済む。

まあそれなりに責任のある仕事をし、親族的にも責任のあるポジションではあっても、そこにアイデンティティを持てるかというとそういうわけでもないし、まあせっかく生まれた日本という世界について掘り下げていきたいという感じはあるが、「誰に伝える」「誰に残す」というものが明確にあるわけでもないから、まあこの世界に自分という存在としてあることをどう考えるかみたいなことをもう少し突き詰めておいた方がいいかなという気はした。

まあそういう「砂粒のような個人の不安」というものはまあ自分だけの問題ではないだろうし、まあ何をどう考えたらいいのかはまだよくわからないけどちょっと考えていきたいと思った。

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