ものを書く場所/アートや学問は不要不急ではない

Posted at 20/10/05

今日は10月5日。季節の経つのは早い。この前更新したのが1日木曜日なので、金土日と三日間更新できなかった。金曜日は毎週忙しいので仕方ないのだが、この土日は近くで草刈りをやっていて、草刈機の音がかなりうるさい。今日もまだやっているので、少し場所を変えて書いている。ものが集中して書ける場所というのはそんなにたくさんあるわけではないので、この機会に少し増やせたらいいかな、とは思う。

しかしこういうのは、微妙な机の高さとか椅子の高さ、お気に入りのクッションがあるかないかなどでかなり左右されるので、結構面倒臭いのだよな。だから一度お気に入りの場所ができるとなるべくそれを維持しようとする。しかし「○○がないと○○できない!」というのが多いのは人間としては弱点なので、なるべくそういうものは増やさないようにしようと思うのだが、しかしあった方が生産力が上がるならあったほうがいいわけで、まあその辺もバランスだなと思う。あれば生産量が上がるが、なくてもできる、くらいにはしておかないといけないと思う。

先週は胸の筋肉が痛いところがあったのだが、今週は背中が痛い。少し目を酷使した感もあるし、右手は少し腱鞘炎っぽい。まあ、この年になるとどこかしらいつも痛いのは仕方がない、という感じにはなっていて、大したことがなければ忘れてしまうくらいの痛みなのだが、微妙な疲れや痛みを見逃して少し重い感じの不調になることもあるから、痛みは囚われてもいけないが無視してもいけない、みたいなこれもバランスという話になってくる。
今朝スピリッツの「ダンス・ダンス・ダンスール」を読んでいて、ブランコが潤平に実業家のパトロンを紹介するのだが、その関連でRoyal College of Artとか、ダイソンの創業者がそこを出ていて学長を務めたこともあるとか、MBAよりもMFA、つまりMaster of Fine Artの学位が重視されるようになってきているとか、現代はVACUの時代(Volatility(変動性・不安定さ)、Uncertainty(不確実性・不確定さ)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性・不明確さ))だとか、最近欧米のビジネスシーンとかから関心が離れていたけれども、やはりこの世界は面白いなと改めて思ったりした。「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか?」という本を以前少し読んだが何を言いたいのかよくわからなかったのだけど、こういう話を読むとこういうことかと合点がいくなと思った。

千葉雅也氏が「日本のエスタブリッシュメントは学歴エリートで固められているからそれに食い込むにはネオリベ的な生き方をするしかない」みたいなことを言っていて、まあなるほどそれはそうかもしれないとは思ったが、いかにもせせこましいなあと思う。

実際のところ、本当のエスタブリッシュメントは麻生太郎氏とか安倍晋三氏とかを考えても、「学歴エリート」なんてものでは全くないのだよな。多分ネオリベ的に生きないと上昇できないというのは、いわゆる氷河期世代の人たちの感覚なのだと思うが、我々はもう少し上のいわゆるバブル世代なので、あまりそうは思わない。旧来のエスタブリッシュメントは茶室の腹芸とかが重要だったわけだが、我々の世代だとセゾン文化に代表される現代美術的なものにも価値を見出し始めているわけで、ただそのアートをめぐる状況が社会的な余裕のなさも加わって、かなりストップした状況になっているとは思う。

アーチストや美術研究者の中にはかなりレベルの高いことをやっている人もあるように感じるが、まだマーケット的には成熟していない。美術品の売買の二次市場ができてないのが大きい。こういうのは本来、気鋭の若手レストランオーナーとかホテルオーナーとかが他との差別化を図るために気合の入ったコレクションを作ったりするものだと思うのだけど、日本のネオリベには全然そういう余裕のある人たちがいなくて、というよりそういうものに価値を見出す能力に欠けていて、まあそこら辺にもいつまで経っても日本のビジネスが三流っぽく見える理由はあるんだろうと思う。この辺は中国や韓国の方が進んでいるくらいだと思う。

平成に入って無意味なリストラを進めたのは団塊世代の責任だが、その流れを止められずただ受け継いだだけで、自分たちは逃げ切れるからというような感じで経済をダメにしてしまった責任は我々1960年前後に生まれた世代にあるんだろうと思う。リストラで経済が発展するはずはないのだが。

我が国ではアートとか学問とか科学とかいうと、なぜか「不要不急の」という枕詞がつくのだが、それだけ余裕のない国になってるんだなと思う。衣食足りて礼節を知ると言うが、金持ちになっても「10億円預金しにいく」動画を撮ったりSNSで金をばらまいたりしているのが日本の代表的金持ちというのでは、100年経っても第一次世界大戦の時の成金の絵、1円札に火をつけて「どうだ明るくなったらう」とやってるのから全然進歩していない。

アートや学問というのは不要不急のものではなく、そこに人間としての価値みたいなものが現れる場所なのだが、そこに背を向けることがカッコいいみたいになっているネオリベたちを見ていると、長くはないだろうなと思うしかない。

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by Luke Peterson

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