発想の手段としてのドライブと書くこと

Posted at 20/05/16

今日はあまり天気が良くないのだが、そのせいか気温はやや高めだ。ただ降ったり曇ったりのいちにちになりそうで、最高気温はあまり上がらない。こういう日はこういう日でいいなと思う時もある。今日はわりと肯定的に受け止めている。

というのは、緊急事態宣言の解除で長野県でもかなりいきなり人出が増えて、人はたくさんいるし車は多いし、で昨日はかなり疲れてしまった。毎週水木金はなぜかすごく疲れるのだけど、昨日は輪をかけていた感じだった。

今朝は4時45分頃に起きて一風呂浴びた後車で出かけ、その辺を走ってきた。最近は毎日の日課になっているのだが、かなり気分転換にもなるしいろいろ考えが進んだりする。「Artists' Way」にものを発想するのに高速道路で車を運転している時、というのがあってそりゃ危険なんじゃないかと思ったことがあったが、実際、注意が散漫になるわけでもなくアイデアがポコポコ湧いてくる時がある。そういうときは最寄りのコンビニの駐車場に入ってそれを書き留めるのだが、机の前に座っていても出てこないような発想がそういう時に出てきたりすることはある。店内に入って何か入り用なものはないかと探すと結構あるし、まあ生活サイクルとしてわりとうまく動いている部分だなと思う。

昨日書きかけて結局アップしなかった内容は、ちょっとネガティブな部分があったからやめたのだけど、メインで書きたかったことは頭で悶々と考えていても出口が見えなくてもノートにそれを書き出したりこういう風にPCに打ち込んだりしていると思ったより整理されることがあるということ。まあ、いわゆる「見える化」ということでもあるが、書くことによって思い出したりもともと自分が考えていたことが何だったかが確かめられたりすることがある。

最初こうしようと思ってやっていた気持ちとか狙い、ビジョンのようなものがいろいろやっているうちにわからなくなってきて見えなくなったりしがちだから、書くことによって自分の中に紐づけられていた色々なことがどわっと出てきて「そういえばそうだった」ということになるということだな。

これが「見える化」と言えるのかどうかはよくわからないが、頭の中や体のどこかで感じている「感じ」や「記憶」がうまく引き出せるとそれはとても気持ちいいことがある。それをなるべくうまくやりたいと思うのだけど、まあ、うまくいく時といかない時があるな。でもドライブと書くことはそのための手段として今のところ二つある。

昔は散歩もそうだったのだけど、ちょっと体力が落ちてきたことは大きいな。まあ歩くのは歩くのでいいんだけど。

パートナーとか仲間を探す、というのもちょっと方向性が見えた。当たり前だが、立場の近い人とか趣味や主張が共通している人、というのが近い人間関係として持っていれば楽な部分なのだよな。どうしても自分はそういうことより「面白い!」とか「すごい!」とか「勉強になる!」ということを基準に人を選びがちで、そういう人はそういう人で自分を発展させる時には必要なのだけど、今は自分の抱えている色々なものを軌道に乗せる、ないしはなるべく外れないように走らせることが大きい時期なので、それだけではダメなんだよなあと思い直したりしている。当たり前のことなのになかなかそういう事に思い当たらないのだよな。

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