自分の本当にやりたいことを見失うのはなぜか

Posted at 19/06/28

人が生きていくということは色々なものを失ったり、あるいは得たりしながら歳を重ねていくものであるわけだけど、色々な節目節目の変化で失うものや得るものというのは様々にあるなあと思う。

子供の頃は本当に周り中がやりたいことだらけだったのに、大人になってみると何がやりたいのかわからない、という感じになるのは何故なんだろうと思うのだが、環境の変化や自分の心境が様々に変化したり乱れたり自分の殻に閉じこもったりすることによって諦めざるを得なかったりなんとなく遠ざかったりしてしまうことはあるだろう。

だいたいやりたいことというのは一つではない、というか子供の頃などはなんでもやりたくて仕方がなかったのだけど、少しやったらこれはもういい、と思うことも多いわけで、子供の頃のままに心の赴くままにその時やりたいことをやっていられればいいのだが、なかなかそうもいかないのは、人は大人になったらどうやって飯を食っていくかを考えなければならないからなわけで、貴族なんかはそういうのはないから自分のやりたいことを心の赴くままにできた、という人も多いのだろうなと思う。よく言われることで言えば、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」などはなんとなくやりたくなって始めたらあんな大著になってしまった、みたいなことを言うのだけど、貴族でない我々は本当に自分のやりたいことに対するアンテナみたいなものを常に磨いてないと、わからなくなってしまうのだろうと思う。
2008年ごろ読んで感動した本に「ずっとやりたかったことをやりなさい(原題 The Artist's way)」というのがあって、今でもその本で読んだモーニングページというのは書いているのだけど、最近そう言えば「やりたいことのアンテナを立てる」という本来の目的を忘れていたなと書いていて思った。

まあこの本に書いてある方法論とは少し違うのだけど、人生のあるピリオドにおいて、つまり例えば引っ越しとか転校、あるいは進学とか就職、病気とか結婚とか離婚とか、そういうような節目で何を失って何を得たのか、ということを考えてみると、自分が何をやりたかったのか、そして今はそれにどんな気持ちを持っているのか、というようなことがわかってくるのではないかという気がした。まあヒマにあかせてちょっとそんなことをやってみたいと思う。というかヒマなんか全然ないので作りながら書くしかないわけだけど。

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