「ブルーピリオド」:それが青春だったのか/努力と戦略

Posted at 19/06/26

「ブルーピリオド」は絵を描くこと、具体的に今は藝大受験がメインになってるマンガなんだけど、元々がピカソの「青の時代」からとった題名でもあり、その青にはもちろんいうならば青春とか若さというものが含まれていることはいうまでもない。
というか、私はあんまりそういうことを意識して読んでいないのだけど、先日出た5巻の中に進路に迷って迷走している友人の龍二(ユカ)に付き合って小田原に海を見に行き、そこで二人で裸の自画像を描く、というような展開の中で龍二の苦しみの告白を聞く、というような展開で、逆に主人公八虎も吹っ切れて新境地を開けそうになる、という話なのだけど、そのことをどこかで作者さん本人が「あまりに青春の展開でこっぱずかしい」みたいなことを書いていて、ああそうか、それは青春なのか、とびっくりしたのだった。

というのは、まあ全く同じではないが、私も似たようなことがあって、それは多分20歳の頃だったと思うのだけど、まあ展開は全然違うんだが、人生はこういうこともあるよなというようなことだったのだけど、なんだそれが青春なのか、と思ったりすると、ある意味青春っていつまでも終わらないんじゃね?という気もしたりして、それもまたアレなのか、という風にも思ったりした。
アフタヌーンの最新号が昨日出たので電車の中で読んでいたのだが、藝大受験二日目と三日目で1日目を体調不良で半分以上棒に振った八虎が自分の弱点=普通すぎること、を克服するためにあらゆる手を打っていくのが面白く、作品の作り方もなるほどと思ったけれど、スケッチブックの作り方というのは初めて見たが、多分これはあまりにど直球な作り方なんだろうなとは思ったけれどもとても面白かった。

二日目の帰りに世界くんが八虎に自信持ってかける人が強いなと言われて「自信なんかないよ、事実だから。俺が絵が上手いのは」と言って、「違うな。矢口さんはご飯食べたりうんこしたりするのを褒められたらソレに自信持てるの?俺はムリなんだけど」と答えていて、相変わらず凄いこと言うなとは思ったが、多分私はそう言うことを褒められてもなんだか自信を持ってしまう程度にはおだてられれば木に登る豚なんじゃないかとは思った。まあもちろん誰が褒めるかにはよると思うけど。って言うかそう言うのもある意味変な奴であることは確かだな。

まあこの言葉が言いたいのは、自分にとって当たり前のことは褒められても嬉しくないと言うか、なんか変な感じがすると言うことで、これは5巻にも出てきた「自分の強みは自分ではわかりにくい」と言う話と同じところもあるのだけど、まあそれをそう言う言い方をするのが世界くんだと言うことで、確かに藝大受験は「上手い人が受かる」とは限らないものだから、その見えない正解に向かって努力するしかないので、自信なんか持てないと言うのもまた事実なんだろうとは思う。

今回の24話は色々な意味で面白い、興味深い、今までの伏線の解決だったり信頼とか夢の源が「大切な人からもらった絵」だったりするところがいいなと思った。過干渉の八虎の母親は、いつも八虎のことを「やっくん」と呼ぶのだけど、この受験最終日だけは「楽しんできてね!八虎!」とこのマンガが始まってから初めて名前で呼んでいて、自分がどうにもできないところで戦っている息子に対する精一杯の激励が熱く、受験生の親というのは大変だなと改めて思ったが、その母の手に八虎が藝大受験を言い出し大反対する母を説得した母を描いた絵が握られていて、それが信頼を形にしたものなんだなと思う。

また、その前の晩に八虎が寝る前に見ていたのが八虎が美術に取り組むきっかけになった美術部の森先輩から送られた天使の絵、祈りの絵で、それをおでこにぽす、と当てているのも良かった。八虎にとって、夢であり先達として憧れである森先輩(女子)に対する思いがそれだけなのか、はまあわからないんだが、彼女の言葉「あなたが青く見えるなら、りんごもうさぎの体も青くていいんだよ」が導きの糸になって迷いが晴れる展開が大事なところで出てくるので、本当に大事な人なんだなと思う。

八虎は自分の「普通すぎる」という弱点を「努力と戦略」で乗り越えてきた、という気持ちがあったが、それを世界くんに「認められた」ことでそれこそを自分の武器だと思っていいんだ、と思うところは感動的だった。

まあこのど直球なスケッチブックと作品の結果がどう出るのかはわからないけど、一つこれで彼に方向性が見えたわけで、今後の展開がさらに楽しみだ。

で、もう一つ思ったのは、今の現代美術というのまさに「努力と戦略」によって作品を生み出していくのが主流になってるんじゃないかという気がちょっとしたということ。少なくとも、戦略のない作品はなかなか評価されない気がする。つまり、今のアート界には天才は必要ない、と言ったら言い過ぎだが少なくとも絵が天才的にうまい、というだけでは十分に評価は受けられない、のではないかと思う。ということは、八虎のような方向性がむしろ、というか現段階ではまだ泥臭すぎるけれども、花開いていく条件を持っているのかもしれないという気がする。

まあアートに関しては芸大に受かればそれで終わりということは全然なく、その後行方不明になったりする人も多いらしいので、その後がますます大事になっていくわけだけど、藝大入学後も主人公八虎が花開いていくさまを読んでいきたいなと思ったのだった。

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by Luke Peterson

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