ビル・ゲイツの割引券/焼け野原と復興/大事にすることと手放すこと

Posted at 19/06/25

朝起きて散歩しながら、なるべく頭をからっぽにしつつ、頭に浮かんでくることをつらつらと考えたりしていたのだけど、ビル・ゲイツが大金持ちになった後もファストフードで割引券を使ってる、というエピソードがあって、これはどちらかというと揶揄的にとらえられてるような気がするのだが、これはどちらかと言えばライオンがネズミを相手にする時も全力で戦う、という話に近いんじゃないか、と思った。つまりむしろゲイツの凄味としてとらえるべきなんじゃないかと思ったということ。

数えられないくらい資産を持ってるゲイツが1ドルの割引券にこだわるというのはある意味ユーモラスな話であって、むしろそこを面白がるべきだという気もするが、でも本質はそこで手を抜かない、戦う姿勢だというところにあるのだと思う。

もちろん大らかに散財するのも金持ちとしては悪くないが、そういうことは寄付に回してるんだろう。ビジネスと生活と慈善をきっちり分けるというスタイルは多分わかりやすいからだと思うし、日常をルーズにしない仕組みとしては悪くない。普通のレストランで食事をする時にどれくらいチップをはずむのかとかはわからないが、多分仕事に対して正当な評価はするんだろうと思う。

後書こうと思って考えていたことがあったんだけど忘れてしまったな。

今までの自分の人生を振り返ってみて、わりと焼野原だなと思うところがあり、でもまあそれならそれで復興に立ち上がればいいんだよなと思った。いったん死んだのなら今度は過去にとらわれることなく生きればいいことだし。人生をリセットするという発想は好きではないが、もうリセットされてるんだと思ったらそこから生き直せばいいだけだ、ということではないだろうか。

そして全力で生きられる道を行けばよい。

戦いが終わった後というのは、勝ったにしても負けたにしてもやはりダメージはあるわけで、そこからの復興というのは必要になる。そこで全く新しい道が開けるならそれでもいいし、戦いの最中に芽を出した様々なものを花開かせたかったらそれでもいいのだと思う。

ああそうか、これが坂口安吾が『堕落論』で言ったことなのだな。生きよ堕ちよと。

これから堕ちるということより、もう堕ちてしまったのだから、もういったん死んでしまったのだから、新しく生まれなおせばいい、ということなんだろう。

全力で生き切ったものにのみ安らかな死がある(野口晴哉)、という言葉があるが、落ちても死んでない以上はまた全力で生きなければ、安らかに死ぬことはできないわけで、全力で生きるための条件を整えるのは若い頃よりは大変にはなっているけど、なお自分の力を伸ばせるような生き方をし続けることが大事なんだろう。

小狡い立ち回りをして少しでも楽をしよう、少しでも得をしよう、というようなさもしさが生きている過程で身についてしまっているのがどうも気持ち悪くて、その辺を捨てていく、その辺の垢を落としていくことが多分生き切るうえでは大事なんだろう。

何を大事にし、何を捨てていくかはまあいえば人生の断捨離みたいなものだが、まあこの言葉にもとらわれない方がいいだろう。

自分として、きちんと評価できるものは残し、自分にとって価値がない、ないしはマイナスになると思われるものは離す、ということはそんなに簡単ではない。ときめかないものを捨てるというこんまりさんのメソッドも悪い魅力にときめいてしまうのも人間だという点ではそれだけだとちょっと難しいものがあるかなとも思う。

覚醒剤はやめなければと思っていても中毒患者はなかなか手放せないのと同じように、自分にとってマイナスだと思っていても手放すのが難しいものはあるし、そこは自分が何の中毒になっているのかを見極めないといけないわけで、難しいところはあるのだけど、こんまりさん的に自分にとってよりプラスになるもの、わくわくドキドキさせてくれるものを積極的に取り入れて行けば、そういうものが本当に価値がないなら手放せる、というようなことなんだろうと思う。まあこの辺はある種自分に対する精神病理的なアプローチでもあるのだろうけど。

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