日本中世史における歴史の連続性の強調と「修正主義」/敗戦・戦後改革のイデオロギーを離れた研究

Posted at 19/05/15

本棚を、というか積んである本を少し整理しようかと見ていたら一番上に呉座勇一編「南朝研究の最前線」が載っていて、ああそうか、この本は編者が呉座さんだったんだなと思いながら他の本もパラパラと見ていたら本郷和人さんの「上皇の日本史」や亀田俊和さんの「南朝の真実」も出てきて、なんだか現在の私のタイムラインを先取りして本棚ができていた、というかその辺を買っていたからこそ現在のタイムラインになっているのだなとちょっと面白かった。
少し色々ぱらぱら読んで思ったのは、南朝・建武政権の政策は革新的とか異形であるとか言われていたけど、実は鎌倉時代からの継続性がある、という指摘が多いという印象を受けた。これは、戦国史でも織田信長は必ずしも革新的ではなかった、という指摘とも通じていて、今の日本中世史の研究動向はどちらかというと今まで革新的とされてきた人物や時代の、前時代との連続性を強調する方向になっているなという印象を受けた。

私が20年ほど前にフランス革命の研究をやっていた頃、当時の主流というかそれまでの主流のマルクス主義的なフランス革命の革新的意義を説く研究に異議を唱え、アンシャンレジームとの継続性をより強調するフランソワ・フュレらの研究が流行っていて、私も大いに賛同していたのだけど、それはイデオロギー的な闘争の側面もあって、フランス革命の革新的な価値を貶めようとするものだという従来の主流派から「修正主義」という攻撃を受けていた。

その伝で行くと、今の日本中世史の研究動向は、まあ雑な言い方だが「修正主義的」ということになる。だから後醍醐天皇を異形のカリスマに、織田信長を革新的な異端児にしておきたい人たちからは攻撃を受けるわけだけど、しかしその辺りは21世紀現在の現実の政治には絡んでこないので、「修正主義」と呼ばれることもないが、しかし一部の歴史作家や歴史愛好家からは非難を浴びることにはなっている。

まあ傾向としては、「革新の時代」の前時代との断絶性を強調したい人は進歩主義=革新主義者、連続性を強調したい人は漸進主義=保守主義者ということはあるようには思う。この辺りの視点から明治維新や敗戦と戦後改革についても考えてみると色々出てくるとは思う。

実際のところ、農地改革は戦前期から和田博雄ら一部の社会主義的な革新官僚に案があったもののその実行がGHQの権力を待たなければできなかった部分があるし、恒久平和を唱えた憲法9条も戦前に幣原外交を展開した幣原喜重郎から出てきた部分もあり、敗戦は大きな社会変革のきっかけであったことは確かだが、全てがアメリカに押し付けられたものというのも一面的な見方だろうとは思う。

この辺りは天皇制の維持も含め、本当はもっと検討されてもいいところだと思うが、左右ともに敗戦とGHQによる革命的改革に目を奪われすぎているところはあると思うので、もう少し内部の自生的な動きにも注目した方が良いように思う。まあ、この辺り最新の研究者による研究はあまり読んでないので自分の認識の妥当性はわからないところもあるのだけど。

それから、ソ連やコミンテルンの影響なども史料的にはなかなか難しいところはあると思うし、陰謀史観と誤解されないような研究が難しい面もあると思うが、当然ながら見ていきたいところではある。この辺りの研究がイデオロギーに縛られず、史料のみを手掛かりに進められていくには、まだ十分歴史になってないのかもしれないのだけど。


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