ミュシャのカレンダーとか原敬日記とか

Posted at 19/01/03

あけましておめでとうございます。

正月はばたばたと一日が過ぎ、東京に戻ってきて、二日はずっと寝正月という感じで腰が痛くなったりしながら一日を過ごした。夕方丸の内までは出かけて本を二冊買い、カレンダーを買った。カレンダーは迷ったけれども、結局ミュシャにした。最初はルノアールにしようかと思ったのだがあまりいい絵がなくて、結局「これがいい」と思う絵があったミュシャのものにしたのだった。田舎では地元の企業からもらうカレンダーで農協のものとか印刷会社のものとかを掛けているのだが、東京ではもう少し雰囲気のあるものにしたいと思うのだけれども、やはり普通の市販のものではなかなかそこまで気にいる物はない。

ブログの方は、忙しくなってくると自動的にストップするようになってきた。これは毎日書いているモーニングページもそうで、最近は気がつくと1ヶ月書いてないとかそういうこともよくある。これは習慣づけの部分が大きいので、朝に落ち着いた時間がないとなかなか書けないし続かない。気忙しい日々が続くとなかなか書けなくなってしまう。

でも、こうして何日も相手もまた書こうという気になるのは、自分としても悪いことではないと思う。ここ数年、なかなかブログが書けなかったのはある意味昔のような野心が一度散り去ってしまったからだと思うのだが、なんだか自分の中でもまた再び動き出しそうなものを感じるのは、時代そのものがどこかしら動き始めた感じがあるからだろう。大正が終わることで明治が本当に終わり、「明治は遠くなりにけり」と謳われたように、平成が終わることで昭和が本当に終わる、その終わりが、そして新しい何かが始まりつつあるのかもしれないと感じている。その新しい何かの始まりに何か関わることができれば、かなり面白いことになるのだろうと思う。

日記を書き続けて何日も空いて、というと昔はもう書き続けられなくなることがほとんどだったが、今はブログという形でネット上に常にあり、誰でも見られる形で残っているということもあって、またいつでも書き始めようという気持ちになるのは昔とは違うところだと思うのだが、こんな風に一度中断してもまた書き始める気になるのは、昔「原敬日記」を読んだことがあるからじゃないかな、とも思う。原も非常に長期間日記をつけた人だけど、おそらく忙しいと思われる時期にはかなり中断していることも多い。何日も中断してまた書いて、みたいなことも結構あって、ああ、日記というものはこれでいいのだな、と安心させられる。また、原は雌伏の時期の長い人で、外国人宣教師の僕として旅行の供をしたり、様々な時期があるのだが、天津領事時代に北洋海軍の李鴻章にへつらう日本人が多かった中、対等に交渉したことを日記に記していたりして、そのあたりかっちょいい人だなと思う。原の日記は研究者だけでなく、政治を志す人とかにも読んでもらいたいと思うところが多い。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday