パーソナリティ障害について学んでみようと思ったこと。

Posted at 18/07/30

いろいろ思うところがあって、少し「パーソナリティ障害」について勉強、というか先ずは本を読んでみることにした。

心理学、あるいは精神医学というものに対し、私は今までかなり偏見を持っていて、どのくらいのことが分かっているのかあるいはどのくらいの有効性があるのかについて疑う気持ちの方が強く、また「人間」に対するアプローチとしてこちらの方面からのアプローチの「価値」のようなものを、文学や哲学、あるいは宗教に比べて低く見積もっているところがあった。

これは文系あるいは表現系の人の中にはそれなりにある傾向ではないかと思う。

心理学にしろ精神医学にしろ、目標は「個人の社会への適応」であり、大ざっぱに言えば社会の側から個人を変えようという試みであるように思う。それに対し、文学や哲学・宗教は個人の側に立ち、個人の救済を図る試みであるように思う。そちらのサイドに自分は立ちたい、という思いが強かったように思う。

このことはそんなに簡単には掘り下げられないが、他にも人権思想の立場から個人を尊重するという法思想的な運動方向もある。しかしこれも大きくは社会の側からのアプローチであることもあり、必ずしも個人の側がうまくそれと接しきれないところもないわけではなかった。また、アプローチをかける側も個人への理解が最終的な目的ではないのでやや傲慢になるところもあったように思う。

最近になって、というか歳を取ってそういう若さゆえのこだわりみたいなものが薄れてきたということもあるのか、以前は否定していた「社会の側からの個人へのアプローチ」も見直してもいいかもしれないという気持ちも出てきた。

今考えてみると、そのためのステップになったのが経済学の有効性について見直す機会があったことだろう。

日本の左派は、国民の貧困問題が解決したかに見えた70-80年代くらいに、経済の問題にあまり言及しなくなり、マイノリティの権利など経済より政治的な方向へのコミットが中心になるとともに、経済への関心を急速に失っていった。むしろ、経済はお金に関することであり、お金に関して言及するのは汚い、という風潮が強くなってきていた。

私は左派的な環境の中で育ったこともあってそういう影響はかなり受けていて、経済政策が国民生活に大きな影響を持つという実感をあまり強く持てないでいた。その蒙を開いてくれたのが毎日新聞の栗原裕一郎さんへのインタビュー記事だった。

アベノミクス=金融緩和政策がなぜ効果を上げたのか、今までなぜそれが行われなかったのか、栗原裕一郎さんのインタビュー記事を読んだのをきっかけにいわゆる金融緩和派の方々の言説を読み、ブレイディみかこさんらの言説を読んでヨーロッパの左派ではそれが主に主流の経済政策になっていること、日本は野党が新自由主義政策の方に振れたために返って保守の安倍政権によってそれが実現され、しかし大企業や資産家の支持をも集めるがゆえに政策としてぶれたものになっている現実などを読んだ。

古典派経済学が1930年代の大恐慌を克服できなかったためにケインズ派が先進国の主流となったが、1970年代オイルショック後のスタグフレーションをケインズ派が取り扱えず、新古典派の構造改革・成長戦略路線にとってかわられたこと、しかしケインズ派でもケインズの著書にある「流動性選好」の再発見などがあって、「失われた20年」の不況を抱える日本に対し有効な処方箋を書き得たこと、など、現代社会におけるマクロ経済学の重要性について見直すことができた。

このことは、自分が世界を認識するための足場を広げてくれたように思う。そして、そのほかの分野についても知っていきたいと思うようになってきた。

心理学・精神医学についていろいろと読んでいると、私は結構いろいろなものに対して好き嫌いがあるのだが、好き嫌いによって学んだり学ばなかったりするのはあまりよいことではないと思うようになってきたのだが、その心理学の「隠れた主張=人間はバランスが重要」に対する拒絶感が弱まってきたのはそういう経済学に対する認識の変化があったからだと思っている。

私の高校大学時代に一番一般に読まれていた心理学はフロイト派だったと思うが、大学で心理学をやろうとするとネズミの実験、つまりワトソン派行動主義になってしまうというのがあって、心理学自体にはあまり関心は持てなかったのだが、河合隼雄氏の著作を読んでユング派には心魅かれるものがあった。とはいえ、著作を読むこと以上に踏み込んでは学習しなかったけれども。

近年になって様々な精神病理的な背景を感じさせる事件が起こり、それとともに心理学・精神医学系の一般書・啓蒙書も様々に出版されたり、アメリカにおける犯罪のプロファイリングなど精神医学を実際の法秩序維持に生かそうとする動きがあったり、私の周辺でも学習障害について勉強する人、臨床心理士の資格を取ってカウンセラーになったりする人がいたり、そのほか心理学や精神医学について知っておくべきだと感じさせることがいろいろにあったりして、学ぶ動機のようなものは知らず知らずのうちに蓄積されていったように感じる。

今回、パーソナリティ障害について少し読み始めて思ったのは、人間には色々な人がいるけれども、そういうことに対する圧倒的な蓄積というものが、この分野にはあるということだった。それをどう判断するか、何が妥当か、そこからどういう理論を組み立て、どういう治療を含む救済策を取るのかということは難しいことも多いけれども、圧倒的な量の事例の蓄積に関しては読んでいてすぐ感じ取れることができた。私個人が体験してきた人間との出会いは、決して少なくないと私自身は思っているけれども、それでもこの学問分野・臨床分野全体が蓄積してきた事例数と比べれば圧倒的に少数なのは当たり前のことで、新たに出会った人に対する戸惑いがこれらの分野を学習することでそれなりに軽減しうる可能性があるのではないかと思うことができた。つまり、理論科学としての面にも増して経験科学の面での重要性を認識したということだ。

私は結構占いなどが好きで、占い師の方々が書いた本などもそれなりに読むのだが、そこには占い師の人たちが接してきたクライアントについていろいろと書かれていて、その事例が彼らの占いのある意味での根拠を補強しているわけだけど、やはり事例量の厚さに関しては心理学・精神医学という学問分野の蓄積には及ばない。まああたりまえのことだけど。

経済学に関しては高校や大学初年度の講義やそれなりにではあるが自分で読んできた蓄積があるから少しは理解できたということもあるのだけど、心理学や精神医学については一番初歩のところから学び直さないといけないなと感じている。

とりあえずそのために買った本は岡田尊司『パーソナリティ障害』(PHP新書、2004)。先ずこの本から読んでいる。最初はKindleで読み始めたがKindleは私にとってマンガ以外はどうも読みにくいので新書版も購入した。それから町沢静夫『自己愛性人格障害』(駿河台出版社、2013)。最初は自己愛性パーソナリティ障害に関心を引かれたのだがいろいろ読んでいるうちにパーソナリティ障害(人格障害)はカーンバーグによれば強迫性・回避性・依存性・演技性・自己愛性・妄想性・ジゾイド・境界性・反社会性・失調型と分れて記述されているけれども共通する要素も多いようなので、自己愛性に限らず学んでみた方がいいと考えるに至った。

それから春日武彦『援助者必携 初めての精神科 第2版』(医学書院、2011)。これは医療者・援助者の立場から患者・対象者とどう接していくかという視点で書かれていて、人格障害だけでなく統合失調症やうつ病、アルコール依存症などについても取り上げられている。このあたりのことに関しては私は常識的なことしか知らないけれども、むしろ「医療者・援助者」がどういう姿勢でこの問題に対しているのかということを知ることが重要のように思った。

自分のような立場では対象者に対する対し方も知っておいた方がいいけれども、医療者援助者に対する対し方もまた、知っておいた方がいい場合もあるかもしれないとも思ったこともある。

ほんとうは『DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引』(医学書院、2014)も買おうと思ったのだが、もう少し勉強してからの方がいいと思い、今回は買わなかった。

少しずつ読みながら勉強していきたい。

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