『空電ノイズの姫君』2巻:リアルと作品世界の境界線を消すもの

Posted at 18/05/02

小説や漫画を読んでいる途中にこのまま進むと何か嫌なことが起こるのでは、という感じがしてきて四を読めなくなることがときどきある。一番顕著に起こったのは三島由紀夫の『青の時代』を読んでいて転落してく感じがありありとしてそれ以上読めなくなった。

考えてみると、それはいわゆる「フラグ」というやつなのだなと。「フラグ」という言葉が出来たのは最近、1990年代のことではないかと思うが、それに似た現象は当然フィクションというものが出来てからずっとあっただろう。

子どもの頃から私は「ああ、これからこの主人公が恥をかく」と感じる場面が来るとテレビを消してしまったりその場から逃げたりしていた。

冬目景『空電ノイズの姫君』2巻を読んでいてちょっとそんな感じがしてきたので読むのを中断している。ということだけ書いてまた続きを読もう。
読んだ。そうか、こういう展開になるのか。もっと凄いことが起こるのかと思ったけど普通と言えば普通のことが起こった。でも普通だからこそ痛い。でもこうやって大人になるんだよなとは思う。

そんなふうに感じるのは、読んでいるこちらが作品世界に入ってしまっているからなのだが、冬目景さんは読み手を引き摺りこんでしまう書き手だなと思う。こちらの感じているのと同じくらいリアルな世界を描写して現実との境界線を意識させなくして、そこから自分の感じていることより少しだけ先の、少しだけミステリアスな知らない世界、少しだけシビアな世界、そして魅力的な世界をとても描く。現実の延長線上のようで、リアルなしかし個人的な作品世界を描き出す。

少し「ピアノの森」に似ている感じがするなと考えて思ったが、割合オーソドックスなマンガの線である「ピアノの森」に比べるとお洒落で大人よりの線で、その分心にビンと跳ね返る感じがする。

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by Luke Peterson

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