守られている感とか美味くてやばいとか/黒人、フランス語、ジャズの三題噺/ふみふみこ「ぼくらのへんたい」の魅力

Posted at 13/03/20

【守られている感とか美味くてやばいとか】

昨日。出かける前に東陽町駅で刃物振り回し事件があったことを知るが、まだ家にいた時間だったので私は影響はなかった。地下鉄サリン事件の時も(今日はちょうど18年だそうだ)場所的にはけっこうかすったが影響はなかった。こういうときは何かに守られているのかなということを感じたりはする。私は財布とかを落としてもほとんど出て来る人なので、けっこうそういう「守られている」感はあるのだ。先祖なのか、もっと高いところにいる神さまなのか、その辺のところは分からないのだけど。

昨日は行きがけに近くのパン屋でスモークハムのサンドイッチなどを買ったのだが、これがびっくりするほど美味しく、自然に「やばい」という言葉が浮かんだ。何度も食べたことあるはずなのだけど。この時感じた「やばさ」というのは、美味しすぎて食欲が刺激されてつい食べなくてもいいものを食べてしまうのではないかという感じのやばさだった。

【黒人、フランス語、ジャズの三題噺】

東陽町で東西線に乗って大手町で降りる。今日は19日だったということを思い出し、『コミックリュウ』の発売日だし、昨日大塚英志を読んで興味を持ったプロップ『昔話の形態学』がないかと思って丸善丸の内本店に行ってみたのだ。『昔話の形態学』は全然置いている気配がなく、関連書籍を調べて見たが読む気になりそうな本ではなかったので買わなかった。『コミックリュウ』は買ったのだが、評論的なものを何か買おうと思って探していたら、海外文学の評論のところで『二グロと疲れずにセックスする方法』という本があって、何だこれと思う。これをぱらぱらっと立ち読みしてみたら、評論ではなく小説だった。その時読んだ印象では70年代初めのサブカル的な黒人文化の世界が描かれている感じがして、私もマリファナの話題ばっかり扱っていた頃の『宝島』とかを中高生のころに溜まり場みたいなところで読んでいたので、(考えてみたら変な経験を持ってる中高生だ)なんとなく親近感を感じ、買ってみた。

ニグロと疲れないでセックスする方法
ダニー・ラフェリエール
藤原書店

最初のころにマイルス・デイビスとかフロイトとか出て来るのでアメリカ黒人の話かと思ったら、原題や著者がフランス語で書いてあって驚く。フランスのアフリカ移民の話かと思ってもう少し読んでみると、作者がハイチ出身だということが分かった。ハイチか、そりゃ何というか最貧国で政情も不安定でそういう場所の話なのかな、でもそれにしてはインテリっぽい話が多いなと思って読んでいると、実はモントリオールでの話だった。黒人、フランス語、ジャズという三題噺で一体どこが舞台なのか頭の中で二転三転してしまったが、これは日本でも公開されていた『間違いだらけの恋愛講座』という映画の原作でもあるらしい。邦訳の出版は去年の12月で、だから新刊書として並んでいたのだが、評論のところにあってこの題名では一体何かと思ってしまう。まだ少ししか読んでいないが、何と言うかどっぷりインテリアナーキーな感じの黒人文学という感じだと思った。そして思いのほか日本への言及が多い。作中人物が読んでるのが三島由紀夫だし。いろいろ調べて見ると、フランス語圏では注目されている作家のようだ。ル・クレジオのようにノーベル文学賞を取れそうな人ではないかもしれないが、興味深い作家ではあると思った。


【ふみふみこ「ぼくらのへんたい」の魅力】

月刊 COMIC (コミック) リュウ 2013年 05月号 [雑誌]
徳間書店

特急の車中ではこの本と『コミックリュウ』のいつも読むいくつかの作品を読む。しかし今月の白眉はやはりふみふみこ「ぼくらのへんたい」だ。本当に面白いというか何と言うかこういう場面が読みたかったんだよなあという感じで、もう10回以上読み返している。

ぼくらのへんたい(1) (リュウコミックス)
ふみふみこ
徳間書店

魅力のある作品とは何か、売れる作品とは何か、というようなことを考えていて、たぶん、文学文学した作品は批評家には褒められてもあまり売れないだろうし、じゃあどんなのを目指せばいいんだろうなあということを考えていたのだけど、やはり「ぼくらのへんたい」は面白い。

昨日ツイッターを読んでて『売れないマンガ家あるある』というまとめを読んでいたら、「新人さんの新連載を読み、それが売れるか売れないかの判断を、編集者が過去のケースを並べて推測しようが、売れっ子漫画家が売れる理屈をいっぱい語ろうが、「あ、ボクにない華があるから売れるね」の一言で瞬時にわかってしまう。で、当たる。で、うらやましい。」というのがあって、なるほどそうだな、と膝を打った。そう、要するにそうなのだ。当たるかどうかは基本的にその作品に「華」があるかどうかだ。石川啄木や太宰治、古くは西行などは、文壇の主流からは外れているけれども今も昔も日本人に愛され続けている、それは他の作者にはない「華」があるからだ。そして批評家はそれをあまり評価して来なかった。

それ(と言っても主に西行だが)を例外的に高く評価し、正当に位置づけようとしたのが白洲正子だった、と私はそんなふうに思ったのだけど、彼女が『両性具有の美』を日本の美意識の中心に据えたのはやはり慧眼だったなと最近では思う。

両性具有の美
白洲正子
新潮社

ふみふみこの選ぶ題材は性的マイノリティのものが多いのだけど、ホモセクシュアルで禿げの中年教師とか、わざとそういうかわいいけど華という点ではちょっとね、というあたりが多かった気がする。しかしこの「ぼくらのへんたい」はまさに中学生男子、稚児の世代、世阿弥の言うところの「時分の花」の真っ盛りであり、三人の主人公、中一のまりか、中二のユイ、中三のパロウのうち、ユイとパロウは思春期の悩み真っ盛りなのだが、唯一まりかが本当の意味での性同一障害「間違って男として生まれて来た」と確信していて、しかも一番本当にきれいでかわいい。(三人とも男としても美しく、まりかの幼なじみのあかねに「どこのイケメンパラダイスだよ」と言われているのだが)このマンガの華はあれこれあるが、やはりその核になるのはこのまりかの魅力であると私は思う。このマンガは本当に、けがの功名なのかもしれないが、本当の意味で華のある作品なのだ。

華というのは確かに、ジャズおたくと住んでるスケコマシの売れない黒人作家にもあるかもしれないのだが、やはり日本人に受けるのはこの手の華であり、そういう意味ではBLややおいというのは正統的な日本文化をある意味受け継いでいるところがあるのだろうと思う。(まあ表層的な印象はあるけれども)

まあ両性具有の美であるかどうかはともかく、(でも考えてみたら啄木とか太宰とか、最近では村上春樹なども、ある意味両性具有性を持った存在が大きい感じがする)そういう華のあるキャラクターを押し出した売れそうな作品も書いてみたいと思うのだった。


【愉気の会】

今日は午前中松本に出かけて「愉気の会」に参加。いつも高速で行くが時間的に余裕があったので下の道を言ってみたら時間がぎりぎりになってしまった。しかし今日はかなり集中して実習ができたし、自分の身体的にもかなりいい影響があった感じがする。行ってよかったと思う。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday