激しい雨/ポエジーの新しい形/人を喜ばせたいという気持ちと生きることの重み

Posted at 12/11/17

【激しい雨】

呆然自失状態でツイッターを続けているときがある。ただ、その時の自分の中が完全に乾いているときもあれば、何かが煮えたぎっているときもあり、今はわりと後者の方だ。小説の執筆は進んでいるのだが、進めば進むほど盛り込みたいことが周りから降るように湧いて来て、まあそれは楽しくて仕方がない。それにしてもよく降る雨だ。

今日は気がついたら小説を13枚も書いていて、自分でちょっと驚いた。どうも疲れて何となくバランスが変だなと思うことが多いのだけど、まあ創作をするということは敢えて自分をアンバランスにするという面もあるので、まあそのくらいは仕方ないんだろうなと思う。

【ポエジーの新しい形】

ツイッターを読んでいて暁方ミセイさんという詩人を知る。知ったというか、以前もどこかで読んだ覚えがないことはないのだけど、今日読んでいて凄く自分の中に入ってきた、というかポエジーの新しい形みたいなものをそこに発見して震撼した。処女詩集『ウイルスちゃん』(思潮社、2011)も入手して、読んでみたいと思う。

ウイルスちゃん
暁方ミセイ
思潮社


【人を喜ばせたいという気持ちと生きることの重み】

それから『MOKU』のバックナンバーを読んでいて秋山木工という会社と秋山利輝と言う人物を知って感銘を受けた。凄く単純なことなんだけど、一流の人間、選ばれたという意識のある人間は誰でも人のために、人を喜ばせるために、人を驚かせるために、自分の仕事をしたいという意識を持っている、という話にはじめてピンときた。それは昨日少し話をしていて、ある仕事を続けるためにはどうでなければならないかと言えば、相手のあるその仕事をして相手がよくなったり癒されたり喜んだり、そうさせてあげたい、そうさせてあげることに喜びを感じるかどうかだ、ということを言っていて、その言葉が自分の中で何か化学変化を起こしたところがあったんだなと思った。

たとえば看護婦と言う仕事は患者が可哀想だと思い、同情に酔ってする仕事ではない。やはり患者をよくしてあげたい、健康を回復させてあげたい、普段の生活に復帰させてあげたいと言う気持ちを持って看護する仕事だろう。そういう意味では「よくしてあげたい」「救ってあげたい」という「気持ち」は普通の意味での同情心とかと同レベルの感情ではない。同情は誰にでもできるが、よくしてあげたいと思ってそれに取り組むことは誰にでもできることではなく、気持ちだけでなくそのためにたくさんの技術や知識を身につけ、経験を積んでいかなければならない大変な仕事なのだ。その上で「何とかしてあげたい」という気持ちを持って仕事に取り組み、よくなったことを心から喜び、よくならなくてもその残念な気持ちは心にしまって、また別の患者さんをよくしてあげることに取り組んでいく、そういう言わばプロとしての感情であり、誇りなのだ。

「思ったよりずっといい主義」と言うのを少し前に書いたけれども、要するにそういうことで、どんな人でも喜ばせて上げられる、そういう力を養いたいと思う、ということだと思った。どんな仕事ならばそういうふうに思えるか、ということは人によって違うけれども、そういう仕事と出会うことは大事なことで、今そういうことを意識出来ているということ自体が幸せなことだと思った。

書いてみて思ったのだけど、「人を喜ばせる」と言うことは子どものころから自分にとってすごく当たり前のことで、特段そこに喜びを感じたりするようなものではなかったから、だから逆にそういうことの価値が分かってなかったのだなと思う。相手を喜ばせても嬉しいんだふーんだったし、喜ばせてもらってもなんだか当たり前のことをしてもらってるような感じで特段の感想を持たない、考えてみればどうなのこの子、というような子どもだったなあと思うと汗が出そうだ。それが故に外界に対しての関心が薄くなり、自分の世界にいることの方に新鮮な喜びを感じていたんだなと思う。大人になると生きて行くためには自分の世界の中だけにいることもできないからその喜びと生きることの重みが結びついて来てようやくそういうことが理解できるようになるんだなと思う。恵まれた人間の戯言だなあとは思うが。だからまあ、私などはエジソンとかフランクリンとかと同じで10歳ぐらいで自立の道に入った方がよかったのかもしれないなあと思う。もっと早くから生きることの重みと人を喜ばせることの喜びをリンクさせられれば良かったんじゃないかという気がする。

秋山氏は職人はコミュニケーション能力を持ってなければいけない、彼女ひとりを満足させることもできないようではだめだ、彼女は最低でも7人もて、とか言ってるのが可笑しかった。でも職人に限らず、自分に仕事を頼みたい気持ちにさせるような力は誰にでも必要なわけで、そういう能力を磨くと言うのも大事なことだ。しかしそのためには当然だが自分の人を喜ばせる力に誇りを持っていなければならず、また奢りを持っていてはだめで、その力を真摯に磨いて行くことが当然の前提になると言うことだなと思う。

今日は亡き父の78回目の誕生日。一番小さい姪っ子の7歳のお宮参り。あいにくの雨だが、楽しくやれただろうか。

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