『いやらしさは美しさ』/淡々と年を積み重ねる/松田聖子の老け役

Posted at 12/05/07

この連休は4日金曜日の夜に上京し、5、6、7と久しぶりにゆっくりと東京にいる。父が健在だったころは毎週こういうスケジュールで東京でもいろいろ活動できる余裕があったのだが、最近は在京期間があっという間に過ぎてしまってどういうところに問題があったのかわからないまま充実しないで日々が過ぎていた。今週は土曜日に夕方出かけた日本橋の丸善で以前からちょっと気になっていた早川義夫『いやらしさは美しさ』(アイノア、2011)という本を買い、丸善のカフェでiPhoneで「サルビアの花」を聞いたりしてこの人はすごいな、と思った。早川義夫が60年代末のフォークブームの先駆けの一人であったことは知っていたけど、早川自身の曲はほとんど聞いたことがなかった。いや、たぶん少しは聞いていたのだと思うが、中学生や高校生の頃の自分が好きになるような曲ではなかったと思う。今ではすごいなとは思うがすごく聞きたいかといわれるとどうかなとは思う。でもすごい人だ。

音楽の人、とくにポピュラーの人は言葉の力がすごい、ということは昔から思っていた。最近の歌手のことはわからないけど、70年代から80年代の自分がとくにポピュラーを聞いてまた自分でもギターを弾いたり歌ったりしていた頃、ミュージシャンの書く言葉、話す言葉はすごいなといつも思っていた。早川はフォーク時代が過ぎ去る前に音楽から足を洗い、小さな書店の店主になって、90年代に店をたたんで音楽の世界に復帰した。その行動について、彼はこういう。「歌いたいことがあるから歌う。歌いたいことがないなら歌わない。それが歌っていることなのだ。声を出さなくとも歌は歌える。僕は歌わなかった二十数年間、実は眠っていたのではなくて「歌っていたんだね」と思われるように今歌いたい。」本当にそうだと思う。それが歌っているということなんだ。歌にしがみついて生きるのも一つの生き方だけど、しがみついては生きていけないほど歌が好きなんだ、という人だっていたっておかしくない。

いやらしさは美しさ
早川義夫
アイノア

昨日は午後友人に会いに出かけた。本郷で待ち合わせをして目当ての喫茶店に行ったら禁煙席が塞がっていたので予定を変更。天気が良かったから安田講堂の前の広場で缶コーヒーを飲みながら話をしていたら、急に暗くなってきたので場所を変え、古くからある洋菓子屋の喫茶コーナーへ。間一髪で大雨になり、激しい風が吹いていた。竜巻とまでは行かなかったが東京ではなかなかないような大雨だった。1時間くらいだろうか、話しているうちに嘘のように雨が上がり、また本郷の駅に戻って別れた。今書いている文章の構成表のようなものを見てもらったのだけど、まあこれではどういうものかわからないなと後で思った。

あぶさん 100 (ビッグ コミックス)
水島新司
小学館

帰りに大手町で降りて買い物をして、丸善で本を物色して気になっていた水島新司『あぶさん』100巻(小学館、2012)を買った。あぶさんはもうしばらく新刊は買ってないのだけど、時々読みたくなる。何かすごく印象に残ることが書いてあるわけではないのだけど、キャラクターたちが淡々と年を積み重ねていく感じがいいのかなあという気がする。

夜は『平清盛』を見た。近衛帝崩御後の後継者選定会議。ここに藤原頼長(山本耕史)が喪中で出席できなかったというのは浅学により知らなかった。美福門院(松雪泰子)の演技が印象的。決定後の後白河(松田翔太)の得意満面、絶望の崇徳(井上新)、呆然自失の鳥羽(三上博史)の演技も見応えがあったが、白拍子乙前を演じた松田聖子の老け役の凄味がある意味圧巻。そう、松田聖子の老け役は想像の範囲外だった。田中絹代のような演技派ならともかく、元アイドルがガチな老け役というのはすごいなと思う。

ツイッターで指摘されて気が付いたのだが、この人物の前身は実は白川帝の愛妾の祇園の女御だったという設定になっていたのだった。NHKのHPを見ると今後もかなり重要な役どころがあるようだ。しかしいずれにしてもこの役を松田聖子がやるというのはやはりすごいことだと思う。

右カラムの猫温度計がどうもうまく動かないので、「点取り占い」に変えてみた。謎のご託宣をお楽しみください。

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