「神聖なこと」を書こうとしている/人生の見直し方/芸術の歴史におけるそれぞれの役割

Posted at 12/05/04

【「神聖なこと」を書こうとしている】

まとまった文章を書こうとしているので、なかなかブログの方が更新できない。本は少しずつ読んだり、以前読んだものを読み返したりしている。人が生きるということはどういうことなのか、ということについて書こうと思っている。すごく大きなテーマになってしまったので大変なのだけど、今までにもう取り組んでいるべきテーマだったと思うところもあって、少し遅かったなとも思う。だから書く内容も一度には降りて来ない。少しずつ、断片が天から舞い降りてきている感じがあるのだけど、まだそれらを組み合わせて一つの図柄が描けるほどにはピースがそろっていない。

こうして書いていてふと気付いたのだけど、自分はけっこう神聖なことを書こうとしているのだと思った。神聖という言葉がぴったりくるかどうかは分からないのだけど、俗っぽいことではないという意味で。私は小説の方でも敢えて俗っぽいものを書かないといけないと思っていたところがあって、でも今日考えていて実はあまりそういう意味で俗っぽいものに興味はないんだということに気がついた。書こうとしている種類の小説が書けなくなるのは多分そういうことなんだと思った。自分の興味のあること、関心のあることがそういうことではないから、行き詰ってしまう。関心が持てないことを書くのはやはり大変だ。

そう、小説を読もうとしても、俗っぽいものというのに結局興味が持てないので、途中から読めなくなってしまう。ある種のなんていうのだろう、神聖さというか人間がこうあらなければならない真実に迫ろうとしている部分というか、そういうものが感じられないと読む気にならないし、逆に一見全然そうでないものでもそういうものが見えると強く魅かれてしまう。一番微妙なのは村上春樹で、彼は私が感じる真実というものを決して書いていないし、また敢えてそこに迫ろうとはしていないように感じる。でもそういう意味での真実とか神聖さというものがある、存在するということはちゃんと知っていて押さえていて敢えて触らない、という感じがする。村上春樹に対する私のアンビバレントな感情というのはそういうところに由来するんだと思う。

【人生の見直し方】

「正しい失敗」の法則 (PHPビジネス新書)
堀紘一
PHP研究所

いろいろな本を読んでいるが、今読んでいるのは昨日買った堀紘一『「正しい失敗」の法則』(PHPビジネス新書、2012)と以前買った伊東乾『指揮者の仕事術』(光文社新書、2011)、それからamazonのマーケットプレイスに注文して先日届いた宮下夏生他『世界のトップ・コレクター』(新潮社、1993)。これはサイン本だった。どれも読みかけ。

生き方、というものを考えるときに、集団や組織に属するか否か、というのは大きな選択肢で、ユニクロの柳井社長の本を読んでてすごいなと思いつつ組織に属するのはたいへんだなと思ったのだけど、堀氏の本は就職前後や30歳前後の若者の見えていないことについて説明しているところが多くて、こうしたら人生を見なおせる、方向性を変えられるということに関する考え方が書かれていて、私が書く内容にもヒントになることがあるかなという気がする。


【芸術の歴史におけるそれぞれの役割】

指揮者の仕事術 (光文社新書)
伊東乾
光文社

『指揮者の仕事術』は買ってあってしばらく読んでなかったのだけど、たまたまぱらぱらっと読んでみてベートーヴェンの第9交響曲がこれだけ頻繁に取り上げられることになったのはワーグナーがドレスデンで復活再演したことがきっかけだったという話が面白かった。私は音楽家どうしのエピソードというのは子どものころに読んだ伝記以上の知識がないので、ワグナーとベートーヴェンの深い関係というのは全然知らなかったのだ。確かに第9交響曲という巨大なスケールの交響曲を演奏するためにはこれだけ盛ん(特に日本でということらしいが)に演奏されるようになった今では想像もできない困難があって、それをワグナーの実行力によって実現したというのはなるほど、著者の言うように芸術家というのは一種のベンチャー企業家なのだと言っていいなと思った。クリストのような現代美術の芸術家たちが大きなプロジェクトを実現して行くような感じでとらえても大きくは違ってないということなんだなと思った。とくに第9交響曲というのは我々一般の日本人が想像するよりもはるかに大きな問題性を抱えていて、欧米ではそう頻繁に演奏されるものではないという説明を読むと、この作品のある種の異形性をきちんと認識できて、それを風物詩のように演奏する日本もまたある種の特異性を持っているのだと再認識することもできるなと思った。

世界のトップ・コレクター
宮下夏生
新潮社

『世界のトップ・コレクター』はまだ冒頭のブーフハイムの章しか読んでないが、ナチス時代にドイツ表現主義の作家たちが被った惨禍について詳しく読めたのが印象的だったし、ワグナーが取り上げなければ第9がこれだけ評価されることがなかっただろうということと同じように、ブーフハイムが保存に尽力しなければドイツ表現主義の足跡自体が現代にほとんど残らなかった可能性もあるということが分かって、コレクターというものが美術史上においていかに重要な役割を担っているかということがよく分かった。彼らが負っているものはまさに歴史的使命なのだ。そしておそらくはそうしたコレクターに注目されなかったために散逸し失われてしまった作品や集団もまたあるだろうということも容易に想像された。個人の熱意と運命の力によって今の美術史が成り立っているのだということを知ると襟が正される思いがするし、芸術の世界が作家だけによって成り立っているのではなく、それぞれの人々にはそれぞれの役割があるのだということを考えさせられた。それは一つの宇宙なのだと。

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