忙しい時のカレー/日常生活の中にいる妖精さんを見つける/人間の不完全さをどう書くか/イメージファイル

Posted at 11/11/26

【忙しいときのカレー】

なんだか忙しい。昨日母が転院して今日はその手続きなどもあってもう一度峠を高速で越えて出かけた。やることがあるとどうしても起きるのが早くなってしまって、今日も起きたのは5時台だった。昨日妹と話した家の中を片付ける計画を簡単にラフスケッチしてメモを作り、それからモーニングページを書いた。それから病院に持って行くものを用意したり母が書き忘れていたお歳暮の林檎の宅配の伝票を書いて生活クラブに連絡をとったり、洗濯物を畳んだり洗濯機の掃除をしたり、仏壇に線香を上げたり鯉に餌をやったりして朝食を食べたのが9時過ぎ。出来合いのスーパーのサンドイッチでも少し加熱するとわりと美味しいなと思ったり。

今日はマイナス1度まで下がったので、どこへ行ってもまずストーブをつけなければいけないのだけど、灯油が切れていてタンクから補給したりしてそういう仕事が冬は増える。あとお金関係のことはいろいろと気を使うな。車で移動して面倒なのはなかなか入りやすいところにキャッシュコーナーがないこと。お金を卸すという一事でもやる仕事が多いときはすごく面倒な感じになってしまう。こんなときに家の近くの道が数か月間昼間通行止めになっているので迂回しなければならない。出かける前からふらふらだったのに10時前に家を出て生活クラブの供給場所に寄り、国道を飛ばしてインター近くのサークルKまで行ったときには何か大丈夫かなという感じになっていた。トイレを借りて水を買って高速に乗って飛ばす。

高速に乗るまではちんたらしているが高速に乗ってからは速い。しかしまず昨日行ったスーパーに寄る。駐車場がぐるぐる回って5階まで上がってから降りてくるシステムで、なんだか手間だ。2階で昨日買ったのと同じ型のパジャマを買おうとしたがもうサイズがなくなっていたので少し違うのを買う。銀行は結局店外に出なければならず、少し歩いてお金をおろし、また店内に戻って駐車場へ。私はなぜか駐車券をとったら日よけのところにはさんでそのまま忘れてしまう癖があり、駐車券を持たずに店内に入って無料のスタンプを押してもらうときになって慌てることが多い。そんなこんなで手間がかかり、病院を11時に出るつもりで出かけたのに病院についたのが11時を過ぎていた。荷物を持って行って母と少し話をし、ナースステーションで書類を出したり書いたりして、病院を出たのは11時40分を過ぎていた。

地元に12時半までに戻らなければならないが、昼食もまだだ。車を走らせながらどうしようかなあと思ったが、高速に乗る区間は一区間なのだがその間にサービスエリアがあるのでそこの食堂でカレーを食べればいいと思いつく。SAに入って食堂の券売機の前に行くと子どもがただじっと料金表を見ている。「買わないのかな?」と声をかけたらお父さんが慌てて「すみません!」とどかせた。土曜日だからなあ。450円のカレーの食券を買ってカウンターで渡したら1分待たずにカレーが出てきた。5分で食べ終えて店を出たのはまだ12時前で、やれやれと思う。それから口直しのお菓子を買いトイレに寄って車を飛ばす。高速を降りてからまた例によってちんたらした車が前にいてなかなか進まなかったが、時間ぎりぎりに着くことができた。何だか毎日これではなあ。


【日常生活の中にいる妖精さんを見つける】

とまあこんな具合に忙しいのだが、こういうときこそ自分の時間を確保し自分のやるべきことをやって自分の世界を枯らさないようにすることが大切だ。その面では少しずついろいろなものが開けてきている感じがあり、日常のいろいろなところにも美しいものや楽しいことが見いだせる傾向が出てきている。それはまあいえば妖精のようなもので、忙しい日常の中にふっときらめくものが見つかることがあるなあと思う。

そういう心理になれてきたのは『エヴァンゲリオン』を見て何かの呪縛が吹き飛んだところがあるからなんだろうと思う。私はほんと自縄自縛が強い人間なのだけど、エヴァに関しての自縛の仕方は本当にひどかったんだなと思う。目にするものの3割くらいが目に入らない状態になっていた感じがする。ひどい視野狭窄だったのが、全然見えるようになってきた。毛嫌いしていたのに、正直わりと面白いじゃないかと思っていて、そういうふうに思えると、今の文化全般を肯定的に見られるようになってきている。これは自分にとってかなり大きなことだったんだなと思う。

エヴァに流れ込みエヴァから発しているさまざまな流れが見えてきている感じがする。いままで頑なに認めないスタンスだったけど、エヴァンゲリオンは事実として既に古典なんだなと思う。いままではその流れを水に流れを否定しようとしているようなところがあって、考えてみれば無理な話だったなと思う。穏やかな気持ちで幅広くものをいつくしむ目で見られないと、妖精さんは現れない。妖精さんがいない国では幸せは探せない。

「マッチ売りの少女」は幻を見て死んでしまったかわいそうな子の話だとずっと思っていたけど、ある種の妖精さんを見られた幸せな子だという感じ方だってあっていいよなと思った。


【人間の不完全さをどう描くか】

エヴァは人間の業を描いている部分が大きいけれども、小説というものもつまりは人間の不完全さを描くものなんだよな。

問題はその不完全さをどう描くかだ。その不完全さは人間存在そのものの欠陥に由来すると考えるのが「神話」であり、よってそこで展開するドラマは運命をめぐるものになる。神との対立だったり、宿命をめぐるドラマだったりする。エウリピデスとかだが。エヴァンゲリオンにはそういう要素も明らかにあって、そういうものを現代小説で描けるのは基本的にSFくらいだと思うのだけど、まあゲーテとかドストエフスキーとかはその領域に入り込んでいると言えなくはない。「少年よ神話になれ」というのはあながち誇大広告ばかりでもない。

その不完全さが「個性」に由来すると考えるのが純文学や私小説、純粋な近代小説だということになるだろう。あるリアリティを持った一個の人間のドラマ。自分だけにしかない自分の個性を引っさげて、自分自身のありようが生み出したドラマを生きる。もちろんいろいろな外的な障害はあるにしても、ドラマの本体はその中でその人間がどう生きるかにある、というのが近代文学だろう。事件や障害や設定はそのドラマを描くための触媒に過ぎないと考えるべきだろう。

だから個性のよい面を描くことも可能なわけで、欠陥と感じられる面がなければリアリティには欠けるけれどもそれを補って余りある美点、バイタリティや強さや自由さが描ければそれは圧倒的な作品の魅力になる。エヴァンゲリオンでも各人に明確なキャラクターが与えられていて、本格的な心理ドラマの構造になっている。特にその「強さ」の面が感じられるのが赤い服の二人、アスカとミサトということになるけど。

また、その不完全さ、人生の不完全さが「誰か悪いヤツ」がいてそのせいだと考えるのが大衆小説だと考えてもいいのかもしれないと思う。もちろんエヴァンゲリオンにもそういう存在はいて、まず最大の「悪いヤツ」は父ゲンドウなのだが、委員会だのゼーレだのよくわからないけど悪者っぽいのがいるし、またそれとは別に本質的な敵として「使徒」が出て来る。使徒の元締めは神なわけで、はっきりは言ってないがエヴァンゲリオンは人間と神との戦いなんだろう。そこは神話的でもある。そして加持に象徴される敵だか味方だかわからない人間がいろいろ出てきて、それは主要な登場人物の中でさえ二重性がある。一番シンプルなのがシンジとアスカだから、やはりこのドラマの主人公とヒロインはシンジとアスカなんだよな。

人間は不完全だからこそドラマが生まれる、その弱さ・不完全さを克服してより素晴らしい自分になりたい、素晴らしいものを作りたいというのがみんなの願いであり人間の希望なわけだ。

だから人間の不完全さに関心を持ち、それをいとおしむなり毛嫌いするなりして描きだすことができなければ小説にはならないのだが、私はその不完全さのかなりの部分が生理的に受け付けなくなっていて、その面で書けるものがものすごく限定されていた感じがする。エヴァを見終わって私が解けた呪縛というものの本質は多分そういうことだと思う。幅広くいろいろな不完全さを書きたいと思う。


【イメージファイル】

それと並行して、妖精さんをもっと捕まえなければいけない。何か美しいもの、something beautiful を見つけてコレクションして行かなければいけないと思った。 美しいと思う言葉を見つけては書く。豊かな言葉の園を作る。詩の美しさの本体はポエジーだが、小説の美しさの本体はなんだろう。『きことわ』なんかは音楽的なものを感じる。音楽的というか、音楽で表現された情景的というか。間接的なのだ、美しさが。どんどん間接化することによってより曖昧に、よりぼんやりした、ローランサンの絵みたいな美しさが現れている。あれはポエジーというのとは少し違うな。『アカシヤの大連』なんかはすごくポエジーを感じるのだけど、『きことわ』はそういうのとはかなり違うからなあ。

まあ色々と、自分が美しいと思うものを集める。言葉でも絵でも写真でも音楽でも漫画でもアニメでも。『風の谷のナウシカ』とか『ランドリオール』とか『ピアノの森』とかにはその心の底からぞくぞくするような場面があるから、それをコピーしてスクラップして行く。ドアノーの写真集の子どもの写真とか。やり始めると、これは絶対素敵なものになると思った。雑誌とかならそのまま切り張りすればいいし。ああそうか、小説とか言葉でもそこをコピーして貼り付ければいいのか。自分の字で書くのもいいけどそうやる手もあるな。

そうやってスクラップを増やして行けば、それは美しいものを書くときに汲んで来るべきいずみのようなものになるなと思う。楽しくなってきた。

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by Luke Peterson

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