昨日やったこと・今日やったこと/作家に「帰依」する

Posted at 11/08/24

【昨日やったこと・今日やったこと】

ここのところ毎日いろいろな意味で忙しいので、ブログもあれをやったこれをやったくらいしか書けない感じになっている。出来ればその時思ったこととか今考えていることなどまで書きたいのだが、なかなか時間と余裕がない。昨日はぎりぎりまでブログを書いてから出かけ、丸善には寄れなかった。特急の中では結局、疲れが出て寝てしまっていたし、起きていた時もiPhoneで青空文庫の芥川龍之介「少年」を読んでいたので買った本はほとんど読んでいない。

仕事もまた馬鹿に忙しく、10時まで暇なし。帰って食事をして風呂に入ったらテレビをつけっぱなしにして寝てしまっていて、ちゃんと寝床に入ったのは12時半になっていた。今朝は5時半に起きてモーニングページを書き、気になっていた部屋の前の草を刈ったり。あまり暑くなかったのだけど、7時を過ぎて日が差し込んで来ると途端に暑くなったので作業をやめた。

朝食後、母と話して大叔母の見舞いに行くことにした。自宅からは車で30分ほどの高原地帯にあり、病院自体は駅の近くにある。こちらの方に車を走らせるのは初めてなので母にナビをしてもらって行ったのだが、新しいバイパスができていて少し勝手が違ったみたいだった。大叔母は亡くなる間際の父を思い起こさせる表情だったけど、父がほとんどものが喋れなかったのに対し、大叔母は少しは話せたし、元気だなと思った。同じ年でまだまだ元気な人も多いし、回復してくれるといいけどな、と思う。

病院を出て、少し遠回りして帰ることにし、八ヶ岳の麓をぐるっと回っていく。天気が良ければ富士山も見えるというのだが、あいにく雲が出ていて富士山は見えなかった。実家の周りと違って農村地帯で、なだらかな高原の丘陵にのんびりと畑が広がる。こういうところで生活している人たちは、うちのような町場で生活している人たちとは考え方や感覚が違って当たり前だなと思う。途中一度車を止めて、山の写真を撮ったりした。

美しい日本の私 (講談社現代新書 180)
川端康成
講談社

帰ってきて一休みし昼食。1時半にディーラーで定期点検の予約をしていたので早めに済ませ、食後の一休みをしたあとでかける。どうも眠い。結局少し早めについて、車を預けて近くの書店で本を物色。結局、川端康成『美しい日本の私』(講談社現代新書、1969)と宮田紘次『うたたね姫』(エンターブレイン、2011)、それから古書で大崎善生『聖の青春』(講談社文庫、2002)を買った。

うたたね姫 (ビームコミックス)
宮田紘次
エンターブレイン
聖の青春 (講談社文庫)
大崎善生
講談社

ディーラーに戻ると間もなく点検が終わったということで、払い込み書類をもらって帰る。帰るのコンビニで料金を払い込み、自室に戻って休憩してから職場に出た。


【作家に帰依する】

一つ思ったことを書いておこうと思う。このブログの文章は毎日300人内外の方に読んでいただいているのだが、まあ自分なりにスタイルをもって書いてはいるのだけど、こういう文章の書き方のルーツはどこなのかなと思うと、結局20代のある時期に河合隼雄の文章を毎週書き写していたことにあるのかなと思った。河合隼雄の思想に共鳴したとか方法論が好きだったとかそういうことよりも(当時はもちろんそういうこともあったのだけど)彼の文章、文体が気に入っていたということなのだと思う。これはどういえばいいかなと思ったのだが、つまり文章という点で河合隼雄に「帰依」した、というのがぴったりくると思った。文章の呼吸とか、話題の転換の仕方、点マルをどれくらい、どんなふうに使うか、どれくらいで行を変えるか、人の文章を書き写すということで、そういう多くのことを吸収することができる。もちろん河合の文章に比べれば私の文章は練度が低いし、ほとんど見なおさないでアップロードしているから変なところもたくさんある。しかしそれでもある程度の人数の方に読んでもらえる文章が書けているとしたら、基本的なところを河合から吸収したそのベースがあるということが大きいんじゃないかなと今日考えていて思ったのだった。

それじゃあ私の小説の文章の「師」は誰だろうと思うと、これという人がいない。つまりこういう文章のように誰かに「帰依」して文章を書きうつしたりした経験はないし、この人の文体がすごく好きだ、という人が特にいたわけではない。文体よりも表現や内容や思想や物語や、そういう方に気が取られていたなと思う。

私の小説は、ブログと違ってあまり多くの人に読まれた経験がない。少数の友人に読んでもらったり、本当に信用できる人に読んでもらったりしたくらいだ。もちろん文学賞に応募した時の下読みの人たちは読んでくれてはいるだろうけどなにか反応があるわけではないので自分が何に気をつければいいのか自分の文章がどれくらい書けているのかということも見当がつかない部分が多いのが現実だ。しかし賞というものに応募する以上ネットにオープンにして誰にでも読めるようにするわけにもいかないし、またできれば落ち着いて読んでもらいたいわけで、そのためにはどうしたらいいのかなあと考えている。

まあこれ自体は別の問題なのだけど、それでも読んでもらっての感想、反応を自分なりに考えて、やはり文体=ボディがまだ弱いのではないかということを感じたのだった。これを強化するための一つの方法はやはり誰かに「帰依」するということなのだけど、正直「帰依」したいと思う作家はなかなかいない。いちおう候補として考えているのが橋本治とジェームズ・ジョイスなのだが。橋本はとある短編集、ジョイスは『ダブリン市民』。村上春樹のように浸食力の強い文体に敢えて帰依してみるという恐ろしい冒険も考えられないことはないが、まあとりあえずやめておこうと思う。ただ、今念頭にある短編集も『ダブリン市民』も手元にない(東京にある)ので、さしあたってどうしようかとは思っているのだけど。

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