空白の一日/作家の役割

Posted at 11/08/23

【空白の一日】

昨日。昨日は何というかちょうど空白になった一日だった。一昨日の疲れが残っていて午前中は本調子ではなかったし、読んでいた本も『バルテュス、自身を語る』を三ヶ月くらいかけて読みきり(買ったのは4月3日、読み始めたのは5月17日。震災の影響で自分の中が不安定になっていて、どうもペースがつかめなかったらしい。それをようやく読み終えたというのはちょっと感慨がある)、一定なんとなくもたれていたものがなくなって、五十嵐大介も全部読んでしまったし、いつも読むものもないという状態だった。果たして本を探しに行くのが正しい態度なのか迷ったが、一昨日はかなり自然に触れたし町が恋しいということもあるし、モーニングページ用の原稿用紙ノートを買うという目的もあって日本橋丸善へ出かけた。

諸怪志異 第三集 燕見鬼編 (コミック叢書SIGNAL)
諸星大二郎
光文社

最初にマンガを物色していたら、諸星大二郎『諸怪志異 燕見鬼編』(光文社コミック叢書シグナル、2011)が出ていて、中途半端になっていた燕見鬼編の万年楼のくだりに50ページ書き下ろしで完結するということだった。最近諸星を読んでてもがっかりすることが多いので少し躊躇したのだがやはり未読の話が載っているというのは魅力なので、結局購入。結果的に、これは思ったよりずっと面白かった。諸星大二郎がまだこんな面白いものを描くというのは、不遜な話だがすごくうれしくて、なんだかニコニコ顔になってしまった。

それから立ち読みして、なんとなくひかれた吉本隆明『真贋』(講談社文庫)と谷川俊太郎『夜のミッキーマウス』(新潮文庫)を買った。

真贋 (講談社文庫)
吉本隆明
講談社
夜のミッキー・マウス (新潮文庫)
谷川俊太郎
新潮社

どちらも一世代前の、というか学生時代に読んだような人たちなので最近避けていたところもあったのだけど、今回は「なんとなくひかれる」という引力を信頼することにした。『真贋』では前書きのエピソード、いじめられっこが反撃したときに下駄で殴られて、「誰もが生死を賭けて自分の人生を生きている」ということに気づかされたというエピソードにひかれた。また谷川俊太郎は「ああ/あああ/いい」というくだりに詩のパワーを感じてしまった。特に後者は多分一度図書館で借りて読んではいるのだが、また今読んでみると感じ方が違う気がする。

【作家の役割】

そのときに思ったのが、今差し当たって取り組むべき対象が見えないのなら、心に違和感を感じたこととか心の中にふっと入ってきたことについて書こうと思ったということ。そうしながら少し考えていると、本来、愚痴でもなく、悪口でもなく、そういう心に違和感を感じたことを書いたりすることも作家の役割のひとつなんだということに気がついた。それは悪いことだけではなく、心に映ったことを書く。それにはできるだけ曇りない目で見たことを書いたほうがより多くの人の役に立つ。

作家でも、偉そうに訓示をたれたり親切にハウツーを書いたりする人たちがいて、まあそれはそれで需要があるんだしいいのかなとも思うけれども、本来作家というものの役割はハウツーを書くことではないし、ましてマニュアルを書くことではない。「作家の仕事」はそれを読んだ人に「考えさせること」だと思う。だから、「より多くのことを、より深く考えさせる作品」こそが「成功した作品」なんだと思う。もちろんそのためにはいろいろな技術がいるし、描写の出来不出来とかもいろいろな意味で「みるべきところ」だとは思うけど、作家が動かすべきは人間性のより深いところであるわけで、表面的に面白いとか感動したとか言うのだけでは不十分だろう。

だからまあ、まずは心に引っかかったいろいろなことを書くこと。それが結果として小説になるか、ブログになるか、詩になるか、あるいはそれ以外のものになるかは分からないけど、今取り敢えず取り組む明確なものがないならまずはそういうものを書き溜めて、ウォーミングアップと貯金をしておくということが今やるべきことだなと思った。

そう思うとなんだか元気になって、必要以上にツイートもしてしまったのだった。

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