どうしようもない自分

Posted at 11/05/26

昨日から内面的な部分が大荒れで何をどうしたらいいのかよくわからないのだが、まあなんというかこういうのも模索の一環なんだろう。感情がいろいろな方向に飛び火してうまくおさまりがつかないのだが、行動自体は積極的に、そして落ち着いてしている。

今までの心を落ち着ける訓練のようなものが、心を落ち着けるというよりは心を縛りつけるものだったなあと思い、そのいましめを解いてみたら心が暴れまくっているという感じだ。感情的には暴走していても理性的には割と落ち着いている。今までは普通、感情が暴走すると理性がそれに惑わされてどうにもならなくなるのだけど、理性は理性で感情の動きを冷静に見ている感じはある。まあここでこうして書いているのもそういうことがあるからだけど。

自分がどういう人間か、というのが今までずっと見えなかったのが、昨日からタガが外れて何かどうしようもない自分というものが見えてきて、それにどう対処して行ったらいいのか今までの経験、つまり縛り付ける一方だったものが役に立たない、というかそういうふうにはしたくないと思っていて、さてどうしたものか、という感じになっている。

どうしようもない自分、だと思うのだけど、その感情の在り方みたいなものがけっこう美しいな、と思ったり、そういう冷静に自分を観察している部分もある。とりあえず自分の感情の動きを誤魔化したり隠したりするのをやめてみると、自分の心というのはこんなに荒れまくっていたのかと呆然としたり呆れたり。同じか?いや少し違う。

むかし書いた詩がすごく自分の心の本質を表しているということに気がついたり。

  哀しみ

なくした心に何かが残ってた
飛行機が一筋白い雲を弾いて行った

こんな詩だった。正確には今は分からないのだけどこんな感じだった。

書くと心が落ち着いて来る。何か直接的なことを書けば心が動くというわけではない。心の中は震災後の部屋の中のようにめちゃくちゃなのだけど、でも心に勢いがあるのを確かに感じる。この勢いは、今までずっと忘れていたもの。

何かを書くには、特にフィクションを書くには、心の勢いが必要だ。勢いをなくしてしまわないようにしたいと思う。

感情の秘密、心の秘密、創造の秘密、もともとそういう隠された秘密を書きたいと思っていたんだ。それを忘れないようにしないといけない。それを自分自身にも隠してきたのは、そうしないとこの社会の中で生きていけないと思い込んでいたから。

でもこれ以上隠せない。もう時間がない。書くしかない。

この世界で生きていくために客観的な自分を身につけたのだけど、この世界で何かを創造するときには客観的な自分には一回休みをしていてもらわないといけない。どうしようもない自分が本当の自分なら、どうしようもない自分にしかものを作りだすことはできないのだ。

客観的な自分とどうしようもない自分を使い分けつつ、生きていくしかない。

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