交換と互酬/無限の沃野

Posted at 11/03/10

忙しいのと、ごちゃごちゃいろいろ考えていてなかなかブログに書けるほど考えがまとまらない。ちょっと何というか、自分の中で脳内配線のつなぎかえみたいなことが起こっている。

それを起こしている本は、一冊は以前読んでまた読み直している桜井章一の本、もう一冊は大澤信亮『神的批評』の柄谷行人のところ。柄谷がマルクスを引用しつつ展開している「交換」の議論が、今までまともに考えて来なかったことで、とても大事だと思いつつ考える思考回路が出来ていなくてすぐ思考停止になってしまっていたりする。しかしこの「交換」ということは桜井章一の言う「相互感」というものと通底するものがあって、すごく広がりを感じる。

柄谷の議論はどうしても「等価交換」という方に行ってしまうのだけど、「等価交換」というより「互酬」と言うべき世界もあるわけで、そのあたりの感じについて自分としてのとらえ方を決めたいなという感じがある。この議論は観念的なものという感じが殆どしなくて、むしろ「行動」とか「生き方」という問題と関係してくるのだと思う。頭で考えることよりも、自分が現にどう動いているのか、自分を動かしているものは何なのか、それをどうとらえ、どういう生き方、どういう行動を選択して行くのかということととても近いところにあるように思う。その自分への問いかけの仕方に自分が慣れてないところがあって、そういう土俵をどう作るかというところからやらなければいけないという感じなのでちょっとうまく対応できてない感じがする。

うんうん唸りながら少しずつ書くかもしれないが、なかなか書けないかもしれない。意味も通じにくくなるかもしれないが、とにかく何も書かないのもどうかなとも思うので、とにかく書いてみようと思う。少しずつでも。

観念的な話、概念的な話はそれから演繹したり帰納させたり思いつくままに書いたりといろいろな書き方が出来るが、自分の観念ではない部分にいちいち問いかけつつ書かなければならない話になると、本当に言語化に慣れてないのだなと思う。でも多分そこに、無限の沃野があるのだろう。

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