安易につながらない

Posted at 11/03/08

 久しぶりに小説を書き始めた。最近書いていた明るめの小説ではなくて、自分の中の一番どろどろしたところを書いている。黒いゴムのようにねばねばして、今のところ救いはない。

 自分の中のある部分が腐っている感じがして、それはある種の社会性のようなものと関係があると思うのだけど、そこのところを補修するために書いていると言う感じがする。問題解決をするのに今までのやり方をとにかく徹底してみて解決をはかるというやり方もあるが、別の発想によってイノベーションによって解決するというやり方もある。小説を書くというのはイノベーションによって解決するという方法に似ている気がする。違う考え方から自分自身の中を整理するというやり方もあって、それはそれで何かを突破する可能性はもちろんあるのだけど、それでも心のそこに溜まった澱のようなものには結局触らずにただ沈殿していくだけ、という感じになることが多い。小説を書くということは、ある意味その心の器の形そのものを変えるような感じがあり、書くことによって何かが変わったり変わらなかったりするのか、書いてみないとわからないのだけど、少し書いてみることで何かが変わるかもしれないという気もする。この種の小説は書き始めたときはダンテの『神曲』みたいなつもりで地獄に降りていく感じで書き始めるのだけど、どうも一ページほど書いたものを読んだら堀江敏幸の『熊の敷石』を思い出した。まあつまり悪夢なのだが。

こういう文章は書いても、ブログのようにはすぐには読んでもらうわけではないし、作品として形にならなければなかなか日の目を見させることもなく、つまりは少なくともすぐには目を通して誰かにつながっていくわけではない文章で、ブログのすぐに読んでもらえる快感に慣れてしまうととても我慢を必要とする作業になる。しかし結局、そういう我慢がなければ磨かれない部分というのがあるわけで、(未熟でも我慢して読んでもらうことで磨かれる部分もあるように)もちろんいつかは読んでもらうために書くのだけど、安易につながらないことで文章に力がでてくるのだと思って我慢している。私は、我慢は身体によくない、ということをメインに考えてきたところがあるのだけど、やはり我慢も出来ないと困るわけで、ただ「ぐっとおさえてぱっと放す」、そのタイミングのようなものが一番大事なんだと思う。それが自在に出来ると出来ることがずいぶん広がる気がする。

きのうは丸の内丸善で友人と会ってしばらく話す。帰りにクリアファイルと『THE☆GEISAI アートを発見する場所』(カイカイキキ、2005)を買った。これは、ビニールに入っているところまで作品なんだな。レジでビニールを取りますかといわれていいですと言って、家に帰ってから外側に村上隆的なシールが貼ってあるのに気がついて、そのことに気がついた。はずしてもらわなくてよかった。

The★ Geisai―アートを発見する場所
有限会社カイカイキキ

そうそう、日曜日に阿部良雄・与謝野文子編『バルテュス』(白水社、1986)を借りたのだった。

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by Luke Peterson

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