大地震/大澤信亮『神的批判』

Posted at 11/03/11

今16時。先ほど東北を中心に東日本全体を揺らす大地震が発生。津波の被害も大きく、東京でもあちこちで被害が出ている。私はいま長野県にいるが、相当揺れた。幸い被害はなかったが。東京の家はマンションの10階なので、たぶん悲惨なことになっているだろう。明日には帰れるだろうか。帰っても食べ物も水もない可能性もある。まだ状況を把握しないと行動できない。東北地方の皆さんは本当に大変。まず確実に避難していただきたい。お気をつけて!

とりあえず午前中に書いたものを更新しておく。

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太陽は出てはいるのだが、薄い雲が空の大きな部分を覆っていて、窓から見ると真っ白に見える。でも日差しは強くて、春。あと10日で春分だ。

大澤信亮『神的批評』、第二部の『柄谷行人論』をようやく読了した。息も絶え絶え。と言うほどではないにしろ、やはり相当苦労した。私は柄谷という人を同時代的には全然読んでなくて、昨年の正月に中上健二との対談『小林秀雄を超えて』を読んだのが初めてなのだ。もちろんそれまでも名前は知っていたし、何度かトライしようとは思ったのだけど全然ピンと来なくて数ページ読んで挫折することの繰り返しだった。まあ、現代の文芸批評は柄谷を無視しては書けないので、柄谷が読めないということはイコール文芸批評を読めない、増して書けないということを意味していたわけだ。

私は子どものころから文章を書くのは好きだったが、ノウハウとかではなくその表現内容を読んでもらうことが重要な文章で最初に人前に出したのは戯曲だった。それは実際に大学で演劇をやっていたからで、30になるころまで、つまり90年代の初めまでは人目に曝したのはほぼ戯曲というか演劇台本だけだった。芝居から離れ、同じ韻文という方向性で90年代は詩を書いて『現代詩手帖』などに投稿し、たまに名前が出るくらいのことはあったがなかなか実らず、ウェブで書き始めてそこで詩を書く人と何人か知りあったのは楽しかったし、『詩学』や『詩と思想』などでも取り上げていただいたりはしたがそれから先にはつながらなかった。まず第一に詩が限られた人にしか読まれていない、実際には詩を書く人しか詩を読んでいない、もっといえば詩を書く人さえ詩を読んでいないというのが現実で、やはり表現形態を変えなければいけないと思った。

次に考えたのが散文だが、フィクションは子どものころから習作的には書いていたし二次創作的な感じで『みどりのゆび』もどきのお話を書いたりはしたが、戯曲の自由さに目覚めてからは小説は避けるようになっていた。もともと小説にあまり面白いと思う、好きな作品がなかったこともあり、小説にはなかなか向かわなかった。そのころ出会ったのが白洲正子であり、また小林秀雄であって、そうした文章を書いてみたいと思うようになった。ちょうど世紀が変わったころだ。

『神的批評』を読むと、そのころが柄谷行人を中心としたグループの批評活動が一番おもしろかった時代らしいのだが、私自身のジャンルを求める模索はそういう方向性とは全然違う方向から同じ「批評」という名のものに向かっていた。そういうわけで批評も柄谷行人を踏まえず、小林秀雄に一番共感する形で書いたのだけど、結局なかなか現代の的に絞れる感じにならなかった。白洲正子を取り上げたものが地方の文学賞の最終選考に残ったりはしたが、同じころとにかく日本語に訳されたものを全部読んでから書こうと思って書いたプーシキンの批評なども、今思うととても不十分なものだったなと思う。『神的批評』や『切りとれ、この祈る手を』などの作品を読むと、自分の掘り下げの浅さは如何ともしがたいと思う。

ただ、詩人であるプーシキンの全集をすべて読んだことで、彼の書いた散文や多くの短編小説、また唯一の長編である『大尉の娘』など、小説を書く可能性を少し探ることが出来たことは大きかったかもしれない。5、6年前から方向を小説に変えて取り組み始め、今に至っている。

まあ、そういう自分のジャンルをめぐる遍歴を書いたのは、文芸批評というジャンルの門前を固くガードしていたのが「柄谷行人を読めない」という自分の限界だったということを書こうと思っていたわけで、今回大澤の作品を通して柄谷について理解を深められたのは今更ながら自分にとっては嬉しい出来事だったといえる。わけだ。

しかしまあ、この作品自体が大澤が柄谷という現代文学の巨人と取っ組んだ記録であるわけで、なかなかそう簡単に読みこなせるものでもなく、また柄谷の背後にはマルクスも出て来て、読んでいるうちに自分のマルクス理解も通り一遍のものを出ていなかったなということを認識させられ、そういう意味で自分の世界認識の枠組み自体がかなり揺さぶられたために、読むのにものすごく時間がかかってしまった。やはりマルクスをどう評価するかということは、ものを考える人間でなおかつ冷戦時代を経験したものにとっては避けて通れないことだと思う。論争的な側面、政治的な側面から見たマルクスはやはり階級闘争論、唯物史観、また大きくプラス面をみるとしてもせいぜい疎外論の人という感じで、つまりは否定されるべき社会思想家という認識を出てはいなかった。

だからこの文章を読んでまず最初に驚いたのは、柄谷が「疎外論の否定」から論壇にデビューしたという話だった。つまり、疎外論が自分にとっては唯一評価できるマルクスの側面であるととらえていたのに、それを否定してなおかつ左翼と称するのはいったいどういうことかと思ったのだ。柄谷は、自分はレフト新庄、つまり「心情左翼」だとチャラける人に対し、私は心情のつかない「左翼」だと断言したということを読んだことがあったからだ。結局、疎外論の行き先は「ここ(資本主義社会)でないどこか」を求めて、ユートピアを求めて資本主義を否定するというのは「錯誤」にすぎず、それが無数の血みどろの光景を生んだのだと柄谷は考え、むしろマルクスの神髄はそういう幻想=革命理論を「価値の認識」の根源にさかのぼって批判するところにあると唱えたと大澤は言うわけだ。

このテーゼは何と言うか私にはにわかには受け入れがたい部分がある。私は心情的には反ユートピア主義者で、その幻想がさまざまなコミューン団体や宗教的閉鎖集団、ついにはオウム真理教のようなものまで生んだのだという認識を持っていて、そういうものについてわりと向きになって否定するところがあるのだけど、一方では心の底にはそういうものに対するノスタルジアのようなものをアンビバレントに持っている。だから心の底のそれを否定されること自体の不愉快さに加えて、それがマルクスだの左翼を自称する柄谷などに言われるということ自体がなお不愉快だという思いがあったし、また意識上部の反ユートピア主義の立場がそういう「左翼」の言説によって強化されることへの違和感もまたあるわけだ。言葉にしてみたらこんなふうに言葉になるし、自分としてはたいへん首尾一貫したことを書いているつもりだけど多分読む人にはかなり論旨が混乱しているように感じられるのではないかという気もする。自信はない。

まあしかし、それはともかく、その柄谷のユートピア否定の根拠が価値形態論にあり、それが最終的には「交換」をめぐる議論にある、というのはなかなか骨は折れたが何とか議論を追いかけることはできた。が、だいぶ疲れていて読み進めるのが止まっていた。今日は朝から95ページの最後の2行から読み始め、何とか最後の111ページまで読み終えることが出来た。わずか16ページではあるが、その間を読むだけでも相当大変ではあった。これでまだ半分、柳田國男論と北大路魯山人論が残っているのだから大変だ。しかし私より14歳も下の大澤が魯山人はともかく柳田にどんな影響を受けたのだろう。なかなか想像するのもたやすいことではない。まあ読めばいいんだが。

この批評を読む上で、導きの糸というか補助線になったのが桜井章一『図解雀鬼流「運に選ばれる法則」76 運とツキに好かれる人になる』(宝島社、2010)だったのだが、こんな読み方をする人間は他にいないだろうなと思う。

しかしそうすることで自分の中で桜井の言っていることに学問的なというか思想的・批評的読み方を与えることが出来、また大澤や柄谷の言っていることに実践的な読み方の風を吹かせることが自分の中ではできた。つまり、自分の中の観念的な部分と行動的・実践的な部分の分裂を近づける、まだ完全に修復できたとは言い難いにしても人格的分裂というものではなくなりつつある――逆にいえばかなりそういう部分があったなと思う、まだ十分に客観的に見られていないが――のではないかと思う。だからこの読みは自分にとっては相当大きな変化をもたらす可能性があるものなので、まあ読みに時間がかかるのは仕方がないということではある。この辺は佐々木中が『切手』で言っていることは当たっているなと思う。また佐々木のそういう指摘を読んだからこそ私の中で読みに対してそういうふうに取り組む正当性を与えられたともいえる。というわけで自分の中ではこの二冊の読みは続きものなのである。

この柄谷・大澤の言う、もとはと言えばマルクスの言う「交換」を、私は桜井の言う「相互感」と関連付けて「思い」のプロセスの中に放り込んだ。マルクスの言う「あるものとあるものとの等価交換とはどういうことか」という問いと、桜井の言う「相互感」との関連。桜井は、印象に残った催しものに参加した人たちに対し、何も言ってこないのは「乞食」だ、という言い方をする。(これは雀鬼流のホームページに書かれていたことだが)つまり、印象に残った催しものに参加したら、そのことに対する感動や感謝をこめてお礼の返事、少なくともメールくらいを返さなければならない、ということを言っている。これは別に死んだ「社会常識」とか「礼儀」とかとして言っているのではなくて、そう返すことによって自分も相手もよりよく生きることが出来るという親切心から言っている。ここに等価交換があるかと言うとまあそんなものはないわけで、敢えて熟語で言えばあるのは互酬である。与えられるだけでなく、返すのが人間だ、という「人間本来の姿の回復」という視点がある。正直言って、「与えて貰ったもの」と等価のものを返すことは不可能だろう。柄谷らの議論である「何と何を等価と考えるか」という問題もあるけれども、「もらった恩を返す」というのは原理的に不可能だ。しかし「与えて貰ったものにふさわしいものを返す、という行為が人間を人間たらしめているところがある」、ということはあると言っていいのではないかと私は両方を読みながら思ったりした。どちらにしても観念のレベルの話ではない、行動であり実践のレベルの話だが、私には桜井の言うことの方が分かりやすいし、何しろ何をしたらいいのかを考えやすい。

しかしまあ結局、大澤の議論は何と何が等価か、というようなことを重大視する議論ではなく、すべての交換には個の放棄=死の匂いがする何かが含まれている、というところにつながって行って、そこで最終的に宮澤賢治の議論に接続して行くのだった。

しかしまあそういう議論の展開はともかく、私はマルクスをそういうふうに読んだことも初めてだったし、柄谷がそういう議論を中心に据えているということも初めて知った。交換という実践がどうしてもイメージできないなと思っていろいろ工夫して見たのだが、つまりは普段の実践、思考でなく実践、行動の中にこそそれを理解する鍵があるのだということをつかんだりして、つまり柄谷なりマルクスなりを読むということは、自分の実践をいかに変えて行くか、つまりは自分の生き方をどのように変えるかということなんだと思った。もちろん、それは彼らの言う通りにするということではなく――明らかに私と意見のあわないところはかなりあるし、でもその意見が合わないという気付きの中にこそ自分の生き方を変えて行く契機が生まれたりするという力が彼らの議論、あるいは彼らの文章の中にはあるなと思った。そういう意味で若い人にそういう読み方を教えられることは、なんか楽しいなと思ったのだった。

他にもいろいろ考えたことはあったのだが、とりあえず時間が出来たら書いてみたいと思う。書く前に忘れてしまわなければ。

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