眼球痙攣/それに耐えよ

Posted at 10/12/22

今日は冬至。雨が降っている。上がったと思ったら降り出し、8時半現在、また降ってきた。雨が降っているから、気温は零下にはなっていない。年末のこの時期にしたら暖かいと言っていい。

昨日帰郷。おとといの夜から計画的にいろいろ片づけて、昨日はわりと早めに家を出て銀行を回ったり用事を片付けたのだけど、いろいろな疲れはずっとたまってきているらしく、左目の周りがときどきぴくぴくしたりする。数年前、論文を書いているときに眼球痙攣をおこしてあれは大変だったが、今回はそれほどのことはないけれどもやはり疲れ目が原因なんだと思う。目を使い過ぎないように、休めながら仕事をしないとと思う。

2011年 マークスダイアリー【A6変型・バーチカル】ジュルネ・ド・パリ/ブラック(AV)
マークス
マークス

手帳は結局、10月ごろに買ってあった黒い手帳を使うことにした。黒でも、「2011 AGENDA DE TOUS LES JOURS」と描かれた文字が入ると割合スタイリッシュで悪くないなと思った。買ったときに紙袋に入れてもらってそれをおとといまで開けてなかった。実物を見てみれば、まあその時に買ってもいいなと思ったくらいなんだから、そう悪いわけでもないんだよな、と思った。なんか見るのも嫌的な感じになっていたみたいだ。ちょっと行きすぎだったようだ。

バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)
岩波書店

帰りの特急の中では弁当を食べたり携帯でツイッターをしたり。目が調子が悪いのであまり根を詰められない。『バガヴァッド・ギーター』を読み始めたが、解説にある人間関係が複雑すぎてわかりにくく、それを理解しようとしていると目がおかしくなるのであまり読めなかった。内容的には、それを理解しなければいけないというようなものではないのだけど。

「あなたは嘆くべきでない人々について嘆く。…賢者は死者についても聖者についても嘆かぬものだ。私は決して存在しなかったことはない。…また我々はすべて、これから先、存在しなくなることもない。主体はこの身体に置いて、少年期、青年期、老年期を経る。そしてまた、他の身体を得る。賢者はここにおいて迷うことはない。しかしクンティーの子よ、物質との接触は寒暑、苦楽をもたらし、来たりては去り、無常である。それに耐えよ、アルジュナ。」

人間の生命は永遠に不滅だが、身体を持って現世にあるとき、楽しみや苦しみは無常であるから、それに耐える強い心を持て、ということだろうか。仏典と重なるところもあるし微妙にどうかなというところもあるが、ああなるほどこういう考えの起源が古代インドにあるんだなということは分かった。生きることは苦である、という真理とそれを乗り越えて行くための方法を知的に解き明かすというのがインドの哲学だということだろうか。岩波文庫の方もちくま学芸文庫の方も少しずつ読んでいけばいいなと思う。

残念な人の仕事の習慣 (アスコムBOOKS)
山崎将志
アスコム

山崎将志『残念な人の仕事の習慣』読了。いろいろそうだなと思うことが多い。「自分で経験したことを本によって整理することはできるが、本で読んだことを経験に生かすのは難しい」とか、「書店に行くのは、「何か新しいものがないか」、つまりSomething Newを探しに行っているのだ、とか、その通りだと思った。「残念な人生とは、自分が思い描くような人生を送れないこと」というのもそうだと思うが、まず自分でどう人生を思い描くか、という問題がまずあるような気がする。

また、「ビジネス書は無味乾燥な情報ばかりが記載されている「説明書」ばかりで、ユーモアやエスプリのきいた「読み物」になかなか出合えない」、という指摘も、特に最近そういう傾向は強まっているんじゃないかという気がした。まあ、あまり最近は読んでないのだけど。

この本は基本的に「二匹目のドジョウ」だろうと思ってあまり期待しないで読み始めたが、思ったより面白かった。余裕が出てきたら一冊目を読んでもいいかもしれないと思った。

そういえばツイッターで、村上隆が映画『ノルウェイの森』を激賞している。余裕ができたら見に行こうかなと思った。

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by Luke Peterson

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