男が好きな女の最大公約数の好みと、女が好きな男の最大公約数の好み/核兵器という「血の通った」兵器/私はやれているか

Posted at 10/12/21

昨日。前の日からのもやもやがなかなか取れず。作品がうまく進まないときはいつでもそうなのだけど。特に、書いているときの自分の気持ちのコントロールの仕方はだんだん分かってきたのだけど、見直し・読み直しをしているときの気持ちのコントロールはまだあまりうまく行っていない。このあたりのところ、まあ前から自分の作品の読み直しとか修正というのは苦手だったので、今マスターして行くべき過程なんだろうというふうには思っているのだけど。

とりあえず読み直しを一度終えて、付箋を170枚以上付け、友人に電話して気分転換しようと思ったら、これから出かけるということでまた夜ということになった。仕方がないので、私も出かけることにしようと思った。

バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)
上村勝彦訳
岩波書店

日が沈む頃、街に出かけた。どこに行こうか迷ったが、銀座へ。山野楽器で少し物色し、教文館に行った。いろいろ立ち読みして、なんかついひかれるものがあって上村勝彦『バガヴァッド・ギーターの世界』(ちくま学芸文庫、2007)と上村訳『バガヴァッド・ギーター』(岩波文庫、1992)を買った。これは『マハーバーラタ』の一章を占める叙事詩だそうで、とにかく前向きに行け、行動しろ、みたいな内容かなと立ち読みして思った。その内容がインドの古典に書かれているというのが興味深く、つい買ってみたのだがさてちゃんと読めるかどうか。

バガヴァッド・ギーターの世界―ヒンドゥー教の救済 (ちくま学芸文庫)
上村 勝彦
筑摩書房

四丁目のミキモトのクリスマスツリーのイルミネーションの前に人だかり。ちょっと街を歩き、結局5丁目のブックファーストにも行った。エレベーターの前のお勧め本にヤマシタトモコ『HER』(祥伝社、2010)があり、これは『このマンガがすごい!2011』でオンナ編第一位になっていたのを知っていたので、買って読んでみることにした。

a girl like you 君になりたい。
渋谷 直角
マガジンハウス

そのほかのものを物色しているうちに写真集が一冊ほしくなり、佐内正史『a girl like you君になりたい』(マガジンハウス、2005)か中村泰介『妻を撮ること』(雷鳥社、2009)のどちらを買うか迷ったのだが、結局『a girl like you』の方を買った。この写真集は、どちらも空気の感じがよく、背景が世界を感じさせ、そこにわりあい普通の感じの女の子がいるところがいいなと思ったのだけど、よくみてみたら宮崎あおいだったり上戸彩だったりするのだった。『妻を撮ること』の方は、奈良県の吉野から来た奥さんの写真を撮りまくっていて感じがいい。

妻を撮ること
中村 泰介
雷鳥社

三越の地下で夕食の買い物をし、帰宅。帰ってきて『HER』を読む。ふーんなるほど。なんつーか、フフ。そーかそうなのか、と思う。女性の思うことを、連作仕立てで、前の回にちょっとだけ出て来た人が次の主人公になって、という感じで話は続く。私個人としては、この本の登場人物で一番好きな人を一人上げるとすれば最初に出てくる井出さんだなと思う。多分付き合ってもそんなに長続きはしなさそうなタイプなんだけど、こういう人にはつい魅かれるものがある。いや向こうからお断りされたらどうしようもないけど。二人目の美容師の「年をとっていくことへの畏れ」とか、三人目の高校生の「普通でないことを畏れる気持ち」とか、なんていうかそれぞれ悩んでる人多いだろうし、そういう人の人生への応援みたいな感じで、美しい白髪の同性愛の女性カメラマンが出て来たり。GL風味。4人目の西浦さん。こういうのって多分あるんだろうな。捨てられない子供のころの恨み。5人目の本美さんと花河さん。怖いっちゃ怖いし醜いっちゃ醜いんだけど、まあそんなところも愛らしい、って言うんですか。まあ付き合うのは大変だけど。6人目の高子さんが一番そこら辺にいそうで一番面倒かもしれない。何というか、普通の女性が共感できる最大公約数なのかな、このあたりが、という気がした。あっと思って考えると井出さんに「男の人の好きな最大公約数の靴ってどんなんかな?」というせりふがあるのだった。

HER (Feelコミックス)
ヤマシタ トモコ
祥伝社

19日に録画しておいたNHKスペシャル「私たちは核兵器を作った」を見る。前日に途中まで見てはあったのだけど、昨日は最後まで見た。正体の分からない放射能と22年間向かい合い続けた人々。愛国心の故とはいえ、想像を絶することだと思う。プルトニウムを最初はゴム手袋で、放射能の影響を多少は理解するようになってからは鉛入りの手袋で、それでも手袋ごしではあってもじかに触って作業していたというのだから、考えられない。猛毒で半減期24000年の強い放射能を持つプルトニウム。こういう末端の労働者たちが核大国を、冷戦構造を支えていたというのは、明らかになってみるとそういうことだったのかと思う。核兵器というのは血の通わない武器だと思っていたが、今のロボット兵器等に比べると、遙かに労働集約的な作業によって作られていた、血の通った兵器だったのだ。冷戦というのは何か黙示録的な人間を超越した何かがわれわれに与えた試練のようなもののように思っていたけど、何のことはない、個々の人間が危険を犯して自らの生命を犠牲にしつつ支え続けていたのだ。

またこれらの工場の多くが民営というのも驚くし、それゆえか勤務記録の管理などもずさんで、健康被害を訴えても働いていた記録も残ってないという理由で補償を却下されたりするという理不尽があり、それにけっこう甘んじていたりするのは愛国心の故だったりする。そういう国の合い仕方というのはいじらしいものがあるけれども、そういう善意の積み重ねが地獄への道を作っていたのだと思うと人間というものの業の深さというのは底なしだと思う。まあアメリカでこれだから、ソ連や中国、北朝鮮やパキスタンなどでは一体核工場の労働者の実態というのはどういうものなのだろうか。

80年代後半だったか、原発が問題になったときに原発ジプシーと呼ばれる被曝を避けられない原発の清掃等に当たる労働者の話を読んで強い衝撃を受けたことがあったが、今回のレポートはそれがもっとリアルに感じられたのだった。

夜は三越の地下で買った韓国料理の弁当を食べ、『HER』を読んだあとずっとパソコンで直しを続けていたのだが、牛乳が飲みたくなったのと何かDVDを見たくなったのとで外出し、TSUTAYAで『猫の恩返し』を借りてローソンで牛乳を買う。まあちらっとみたという感じだ。2時ごろ就寝。

猫の恩返し / ギブリーズ episode2 [DVD]
森田宏幸監督作品
ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント

今朝は起床6時40分ごろ。寝床の中で、もやもやの正体、焦りの正体が何だったかということに気がつく。昨日は、「普通でないこと」、あるいは「浮世離れしていること」をやっていることに対して自分を「現実派」の側に引きとめようとする感情なのだととりあえず整理をつけて寝たのだけど、それだけではなかった。「私はやれているか」というもっと根源的な問いがその正体だったのだ。逆に言えば、私はもっとやれるはずだ、と、創作に向かう私を引きとめようとする何かから私を引き離そうとする思いだったということに気がついた。そう考えてみると、私はもっとやれる。私がものを書こうとするときに、一緒に背負ってしまうさまざまな屈託のようなものから、もっと私は自由になれる、と思った。そういうものから自由になることによって、私自身の精神的な負担や肉体的な負担ももっと軽減できるし、もっと精神や肉体の健康も整えていくことが出来ると思った。

作品というのは、特に小説というのは、人々の思いというものが源泉だから、さまざまな余計な思いと作品の中で取り扱う思いとがごっちゃになってしまう傾向が私には特にあったけれども、そのあたりのことをすっきりさせていくことで作品としてもすっきりとしたものに仕上がっていくのではないかとも思った。

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