父の葬儀は、父には相談できない

Posted at 10/07/05

7月5日月曜日朝。昨日はなんだかんだと寝たのが3時前になったが、今朝は起きたのは7時前。寝床の中でいろいろつらつら考えていたら、去年の暮れに父が亡くなってから、なんか今までずっと張り詰めたものが抜けてないんだなあということに気がついた。ものも言えないほど衰弱していても、やはり父は父で、何か難しいことがあると理解しているかどうかわからなくても一応相談してみるという習慣があった。しかし、そういうことがなくなったということが、自分にとってどのくらい大きいのかということについては、はかりかねている部分がずっとあったんだなと思う。

父が亡くなった日からしばらくの間は、自分が全然詳しくないことについての決断の連続だった。まさに父の葬式をどうするかという緊急の問題を、そりゃあ親戚や葬儀屋には相談しつつ進めたけど、やはり父に相談するのとは違う。まさに、父の葬儀をどうするかという問題は父には相談できないんだということを思い知らされる最大のイベントだったんだと思った。

父だったらどう思っただろう、どう考えただろうということは何度も思ったが、しかしそう思って判断しているのはやはり自分であって、最終決定を誰かに預けるということは出来ない。もちろん母の意向にも合わせるが、いま母と話をしても、あれから数ヶ月の間のことは、ほとんど記憶が飛んでいるようで、何も覚えていない。こういうことがあって、ああいうことがあって、ということをいっても、ほとんどのことは覚えていない。

しかしそれは自分自身でもそういうところがあって、昨日あった友達も、一体この前あったのはいつだったのか、ということが思い出せず、それでも1月か2月に会っていたことを三時間くらいしてようやく思い出した。心に重くのしかかることというのは、それだけ人間に負担になることなんだなと思う。正直、父が亡くなるということがこれだけ自分に大きな影響を及ぼすとは、あまり思っていなかった。むしろイメージとしては重石が取れるように感じていたのだけど、実際には逆だった。亡くなることによって重石がこちらに回ってきたというか。

だからずっと、自分に回ってきたいろいろなことを含めて、「うまくやらなければ」という意識が常にあって、それが自分をいつも縛ってきたんだなと思う。まあ本当は、うまくなんてやれないのだ、多分。自然体でやるしかない。しかしそれがどうもうまく心にすっとおさまらない。もっとちゃんと心の声を聞いて、何をやりたいのか、を中心に考えていかないといけない。

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by Luke Peterson

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