『音楽の聴き方』/読んだり書いたり

Posted at 10/05/09

昨日帰京。今日は昼過ぎから横浜に行っていた。

音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)
岡田 暁生
中央公論新社

このアイテムの詳細を見る

岡田暁生『音楽の聴き方』(中公新書、2009)を読み始めた。今132/237ページ。小説と違って、基本がアカデミックで読みやすさを工夫した本というのは、内容が結構濃くてもわりとすらすら読める。それは何でだろうと考えてみたのだけど、それはつまり、能動的に読めるからだ、と思った。小説だと、作家の言いたいことを一応是認しつつ作家のペースで読まなければならないところがあるけれども、客観的な記述を一応は心がけているような本は、読み方のペースがこちらに任され、またどのように受け取るかはこちらの自由、というところがある程度許されている。つまり、著者の言いたいことを否定的に読んでもちゃんと読めるというところがある。私は20-30歳代には新書、特に講談社現代新書や中公新書を中心に膨大に読んでいたのだが、そういうふうに勝手に読める、勝手に知識を身につけられるというところが私の性にあってたんだろうなあと思う。作者が主観的に書いているもの、作者が自分のペースで語っているものというのは、よほど波長が合う物でない限り苦手で読めなかった。

逆に、書く方はこういう客観記述は実は苦手なんだということが最近自覚されてきた。つまり、読むほうに判断を委ねるタイプの記述だ。これは書いていてあまり面白くないし、乗ってこない。修士論文を書いたときにどうしてこういう記述はこんなに乗れないんだろうと我ながら不思議に思ったのだが、書くほうも自由に自分の考えていることや想像したことを能動的に書くのが性に合ってるんだなと思った。

多分まだまだ、自分の書きたいように書けるはずだ。もっと文章の幅も広げられるはずだと思う。いいたいことの論拠として客観的な事実を挙げることは別にそんなに抵抗はないのだし、なんかもっと書いていければいいと思う。

というようなことを夜の元町を歩きながら考えたりして。

帰りに、書中にあった村上春樹『意味がなければスイングはない』(文春文庫、2008)を横浜ルミネの有隣堂で立ち読みし、結局買った。ルービンシュタインのエピソードが最高におかしかった。まあ昨日今日のことは多分明日当たりもう少し詳しく書くと思う。

意味がなければスイングはない (文春文庫)
村上 春樹
文藝春秋

このアイテムの詳細を見る

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday