自分の中で自分を守るもの、あるいは「神」/春先の土壌の変化

Posted at 10/02/27

今朝は起きた時に胃の調子が少しおかしくて、ちょっと難儀をした。朝は牛乳だけで済まし、自室に戻ってモーニングページなど書く。自分を守る自分、という存在を意識の中に想像してみたら、割と素直にそういう像が形成された。その部分に自分の中の子ども性(キャメロンが言うところのアーチストチャイルド)を守る役割を負わせてみると、わりと的確な指示をすることが分かり、それを見ている自分、みたいなものが感心している、という感じになった。ビリー・ミリガンが24人(だったか?)の人格を持ち、一つの人格が表に出ているときはほかの人格が寝ている、みたいなことをテレビで見たが、自分の中に何人かの登場人物がいてそれが議論しているというある種マンガのような光景が自分の中でも繰り広げられることが可能だということが分かって面白いなと思った。

もちろんそういうのは意識の中の想像の産物だから具体的な姿かたちを持っているわけではない。そういうものが具体的なイメージを持つようになると、ある種の「神」のようなものになるのかもしれない。そう考えると、そういうものに「バモイドオキ神」という形を与えた少年の心性はどれだけ痛んでいたんだろうと思うと想像を絶するが、たとえば「創造の神」にしろ、「艮の金神」にしろ、存在せしめることは可能だ。天使と悪魔のようなものを仮定することもできる。ただ、自分の中にいてもいいな、と思う「神」の形というのはそうそうない。いろいろ考えていて、『ピアノの森』に出てくるカイとその師の阿字野の保護者的な存在である世界的なピアニスト・指揮者ジャン・ジャック・セローなんかがいいかなという気がしたが、実際にその姿を取らせてみるとなんか違う感じがして、そうそううまくいかない。関係ないが、セローってたぶん、ジャン・ジャック・ルソーのアナグラム的に思いついた名前だなということが今日考えていてわかった。

今日は午前中、うちの地所をよその工事のために貸していた場所の舗装が傷んだりしたところを補修してもらう話を少しして、話はついたのだが、下請けと元請けと工事発注者の親子亀関係というか、この業界も大変なんだなと思った。また傷んだ原因が、ここ数日急に気温が上昇して凍っていた土壌の地下水が融けて、地盤が弛んでいたところに大きな重機が通ったりしたせいだという話をしていて、地面というものの季節による変化というのも実は結構大きいのだなと思ったりしたのだった。

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by Luke Peterson

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