編集と創造/大人とおたくと変人と

Posted at 10/02/04 Comment(2)»

昨日。仕事10時前まで。久しぶりに少し早く帰れた。夕食、少し話をして入浴、就寝。早めに寝た。昨夜は夕食のときに甘いものを食べなかったせいか、腹の感じがいい。夜甘いものを食べるのはやめておこう。12時前には寝たと思う。

目が覚めたのは7時過ぎ。活元運動などやっているうちに朝食の時間に。モーニングページを書けなくて、このブログを書き始めて書いてないことに気がついて先に書いた。朝食後、納骨の日取りを決めて関係先に電話。というようなことをやっていたら10時を過ぎた。それからお墓に墓誌を見に行ったら雪が深くて近づけず、家に戻って長靴を履いて出直した。うちのお墓は、普通享年が書いてあるところになぜか亡くなった年の西暦が書いてある。どういうことなのか、今となってはよくわからないが、地理の先生だった祖父が何か考えがあったのか、それとも古い時代の人の享年がわからないから西暦にしたのかどちらかだろうと思う。

ファミリーマートに行ってモーニングを買って帰ってきた。今週号はつなぎという感じの回が多い。「ジャイキリ」がトップ。達海の過去篇が、そろそろクライマックスというところか。「バカボンド」武蔵の稽古。「宇宙兄弟」新田の過去の謎。「シマシマ」この回、わりと面白かった。こういうのいいね。石膏像が笑える。「かぶく者」これはこれから佳境。「カレチ」なるほどね。「神の雫」うーんなるほど、そういう詐欺があるのか。「特上カバチ!」こういう展開か。「エンゼルバンク」桂木の話はなるほど。小宮山の話はうーん。「西遊妖猿伝」変な双子が出てきたぞ。「誰寝」ハルキちゃんかかとの粉砕骨折。この人ほんとに女難だな。(笑)「N'sあおい」逆鱗進行中。「東京怪童」何がどこに行こうとしているのか。……うーん、全体的にやっぱり目玉がなかった。

起き抜けにいろいろ考えていて、本当は朝のうちに散歩をしてモーニングを買いに行こうと思っていたのだが、結局行きそびれた。『臨床家のための整体操法入門』を読んで、いろいろ勉強になったこともあるのだけど、ちょっと体に対する考え方というか姿勢が頭でっかちになってしまったという反省があった。操法について読むのもよいが、まずは自分の体調を整えるのは活元運動をちゃんとやるのが本来の筋なので、頭で考えているよりちゃんと活元運動をやることのほうが大事だ、ということを思ったのだった。と思って、今日はわりと時間をかけてちゃんとやった。しかしやっているうちにいろいろなことを思いついてしまうのが朝というもので、そのたびにメモったり思考がずれていったりして集中が外れたりするのだった。

小説からの連想で戯曲や過去の演劇活動をやっていたころのことを思い出したりして、演出のMさんのことを思い出したりしていたのだが、いったい彼の何が優れていたのかというと、つまり彼は編集の天才だったんだということに思い当たった。何か新しいことを作り出すというよりも、エディットによって思いがけないものを思いがけないものにぶつける。オリジナリティのある新しい戯曲だとか、そういうものよりも、アイディアをつなぎ合わせてインパクトのある作品を作り出す、いろいろなメソットをつなぎ合わせて新しい身体訓練法を作り出す、それらは全て編集であって、一から作り出したものをオリジナルというならオリジナルじゃない。素材とアイディアの料理人というか、アイディアや役者たちの総指揮者であって、オリジナルなものを作り出すのがクリエイターというならば、クリエイターというよりはエディターなんだなと思ったのだった。どこか奇妙に肌合いの違うところを感じていたのだけど、どうもそういうことなのではないかという気がする。しかし彼と同じようなその才能の持ち主というのは、実はあまり会ったことがないので、エディターというのがどういう人種なのかよく分らない。松岡正剛の感じというのは、実は彼に近いんじゃないかなということを思ったのだった。

落ち着いてゆっくりと話そう、大人として行動しよう、ということを思ったのは、母と話しているとつい大人としてというより息子として話をしたり対応したりしてしまうからで、そうしてみると実に心が平静になる。しかし、物を作るとき、ものを感じるとき、大人として作る、大人として感じるというのはどういうことだろうと思う。自分が今やろうとしていること、考えていることにおいて、大人としてという姿勢がどのような変化をもたらすのだろうと。大人としての姿勢、人間としての感性・感情がどのような関係になるのか。考えてみると、私は今まで本当の意味で「大人」として考えようとしてみたり、行動しようとしたことってなかったのではないかと思った。そういう経験がないからそういうこともよく分らない。

大人という姿勢をとるということは、一定の緊張を常に自分に、自我に与えているということだと感じる。それが、腹に力を入れるという肉体的なことと近いような気がする。大人として行動するということは、自分のために行動するというより、自分以外の人のために行動するということのような気がする。それを、人の目が気になるからそうする、つまり大人ぶった行動をして見せるということなのではなく、(そういうことは今までもいくらでもやってきたが、)本来そういうものとして行動するということなのではないか、それが自然のこととして、自然のことを自然にやるようにそうするということなのではないかと思った。

大人になれ、とよく言うが、まあこの年になるともうそういうことは言われなくなるのだが、落ち着いてゆっくりと話す、人の言うことをきちんと受け止めて聞く、ということから始まっているのだと思う。そして自然に自分以外の人のことを考えて行動する。大人ということをうまく説明するのは難しいが、まあ大人になればみなそれぞれに大人として行動しているわけだけど、本当の意味で大人である人、大人になりきっている人というのはそんなに多くないのではないかという気がする。部分的に大人の部分は、多分子どもでも持っているのだろうけど。

おたく、というのが奇妙な感じがするのは、おたくの人たちというのは普通は大人としての感性が発揮されるべき部分を大人になるのを拒絶しているからなんだと思う。よく言えば別方向に進化しているといってもいいが。文化は幅広く共有してこそ、人類の共通財産としてこそ意味がある、という大人の考えを全く拒絶し、自分だけの子どもの頃からの価値観に固執しつづける、といえばいいのか。それが世界に開かれている人は変わっているけれども面白い人ということになり、自分の世界に閉じてしまうとおたくということになるのだと思う。

感性というのは、もう子どもの頃のままというわけには行かないし、その後体験したいろいろなことの中で磨かれて、あるいは傷つけられて、自分だけのものになってきている。感情というのもそうだろう。それが自然に世界に開かれることによって、何か自分以外の人のために何かをしたいという気持ちが自然にでてくる、それが大人の感性ということかなと思う。

多分、何かを生み出すひたすらなビジョン(幻視)というのは、大人としての姿勢と両立できないものではないんだろうという気がした。

"編集と創造/大人とおたくと変人と"へのコメント

CommentData » Posted by 智太郎 at 10/02/04

 こんばんは・・政治資金規正法違反の罪で起訴された民主党衆院議員:石川知裕被は取調べを受けてましたが、検察大敗北で小沢幹事長は、ニヤリでしょうね?そんなさなか、気づいたのですが、最近のテレビは、「国会中継」を気にしながらも「下らないタレントを使って小学生の学芸会もどきの番組」をテレビ放送されウンザリです。・・・と言う主旨で記事にしました。毎度のユニーク:おもしろ画像写真ではフジテレビの生放送中におきてる事実や他局の下らない番組事実に最後は小沢幹事長に操られている与党写真を貼ってみたのです。・・1言コメントと応援もよろしく頼む次第です。・・どうぞ!遊びに寄って見てやって下さい。


CommentData » Posted by kous37 at 10/02/05

ブログ拝見しました。いろいろ大変なようですが、頑張ってください。

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