近代と、私の生きてるこの時代
Posted at 10/01/23
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昨日。10時過ぎまで仕事。帰宅して夕食、入浴。最近忙しいせいか、昨日も書いたけど一つ一つの行動がのろく、夜は座ったら寝てしまう。少し食べ過ぎていて胃の調子がいまいちだ。昨日の夜も、香典関係の書類の整理などで少し時間がかかるかなと思って少し多めに食べたのにすぐに終わってしまったので、よけいに食べた分が内臓を圧迫しているような気がする。でもどこかサボっているところが自分の中にあるということなので、それを活性化させないといけないなと思う。
頭の中にいろいろなものがあるらしく、最近毎日夢を見る。以前はなんだか追い詰められるような夢が多かったのだけど、最近は他愛もないけれども非現実的な、夢という感じの夢だ。詩を書いたせいだろうか。
私が詩らしきものを書き始めたのは、多分大学生くらいにさかのぼる気がする。詩というものに初めて感銘を覚えたのが高3のとき授業で萩原朔太郎と谷川俊太郎を読んだ時で、まあこれはお定まりの詩への関心のスタートといっていいだろう。「のをあある、とをあある、やわわ」とか、そんな言葉を使ってもいいのだという新鮮な喜び。「ソネット60」の、青年らしい感傷と甘酸っぱい決意。詩というものが、自分の中にあるわけのわからないものを形にして出すことを許す、素晴らしい形式であるとわくわくし、激しい高揚感を感じたことを覚えている。
そういえば、私がいろいろなものに目覚めた、のはいつのことなんだろう。絵画に目覚めたのは、これもお定まりだが、中学生のときに見たマグリットの画集だ。いや、中学の教科書で見たダリの「記憶の残像」とか、ミロの絵で、絵画というものに興味をもった。そこからたまたまマグリットの画集に行き当たり、こういう世界もあるのかとやはりイマジネーションの世界の広がりを感じたことを思い出す。誰もいない黴臭い図書館が、私の絵画体験の始まりだった。
物語体験は、これはもう子どもの頃にさかのぼるけれども、今でも自覚的な影響が強く残っているのは『ナルニア』だ。ファンタジーの、違う世界が生まれてから滅びるまでというスケールの大きさ、というものをはじめて知ったし、その中での登場人物たちの倫理的な振る舞いというものにも強く引かれた。「二年間の休暇」とか、「スイスのロビンソン」とか、漂流物も好きだった。楳図かずおの『漂流教室』などもそうだが、日常からある日突然知らない世界に行ってしまう、そういう話が好きだった。そういう話は大概「恐い」のだけど、ナルニアは「恐い」世界ではなく「素晴らしい」世界に行く、というところが違う。その逆転に取り付かれたのかなあと今思った。
映画体験は、なんだろう。日本映画では森田芳光「ときめきに死す」だろうか。ヨーロッパではブニュエルの「ブルジョアジーの密かな楽しみ」とかゴダールの「パッション」などから見始めたが、一番影響を受けた映画を3本あげろといわれたらズラウスキ『狂気の愛』、タルコフスキー『ノスタルジア』、パラジャーノフ『ざくろの色』ということになるかな。イヤ、80年代に見た芸術系の映画というのはどれもこれも好きだったな。ああいう映画たちが作っていた世界そのものの中で、自分が自由に呼吸していた感じがする。フェリーニも好きなんだが、ああいう東欧系の監督が撮る異空間のような映画は哲学性というかある美しい宇宙というもの、この世には決して存在しないのだけどその一端がある瞬間に、たとえばカーテンが風に揺れてその向うにちらっと世界の本質が見えた、と感じるような、そういう瞬間にうかがえる、ガラス越しのキスというか、障子の向こうとこちらで触れ合う指とか、なんというか間接的にしか感じられない美しい宇宙というものに、一番近づける感じがするのだな。
あ、思い出した。日本映画体験の原点は中学生のときテレビで見た『旅の重さ』だ。映像とストーリーに酔うという経験をしたのはあれが最初だった。
演劇体験は、最初はテレビで見た野田秀樹作演出・夢の遊眠社の『二万七千光年の旅』。肉体表現のとんでもない可能性というものをあれではじめて感じた。
『旅の重さ』なんて物はまあ、リアリズムといえないことはないんだろうけど、母子家庭の少女が家を捨てて四国を彷徨い、途中風景のように見え隠れするお遍路さんや四国の風景、廃品回収の男の家に転がり込んで夫婦になる、そういうもの全部が全然リアリティのない、別の世界のように感じていたことは確かだ。
そういう意味で私は、もともとリアリズムというものにぜんぜん関心がなくて、多分頭の中にもリアルな感覚というものがあまり育っていなかったんだろうと思うけれども、リアリズムの究極の目標である「辛い現実を変える」というようなことに興味がもてなかったんだろうと思う。現実は辛いもの、苦の世界であるという感覚はこれは子どもの頃からあったが、そういう世界でどう生きれば生きていけるのかということを考えたときに、リアリズム的に一度現実世界を引き受けて、「希望」の力で世の中を変えていく、というような発想はあんまりなかったなあと思う。制度とか政治とかの形而上的なものや、科学技術などが変化する、変化させることによって世の中は変わっていくだろうと思っていたから、具体的な今現在の自分の努力が世の中を変える、なんてことはリアリティがなかったんだろうと思う。
まあ現実に取り組んで世の中をよくしていこうとすることが本当に世の中をよくするかどうかはともかく、自分自身を向上させるし周りの人も向上させる手伝いになることは間違いないわけで、努力というものの意味は世の中というよりも個人的なものの中にあると思う。
では何で、小説というものに、リアリズムというものに10年近くこだわってきたのだろう。もともと、柄谷行人を読む前から、近代はもう終わろうとしているし、近代の芸術であるリアリズムもその結晶である小説ももう終わろうとしているという感じは持っていた。もともと私は近代的な部分があんまりないので、むしろそういうものを身につけたいという感じを持っていた。それはアナクロニズムかもしれないのだけど、やはり近代は近代で魅力的な時代だったし、また魅力的な人も多かったからだ。付き合ってみれば自分とは相容れない部分が多かった、という結論になる人が多くてまあいろいろと困ったわけだけど。
やっぱり私の生きているこの時代というのは近代の尻尾を引きずっていることもまた事実で、次の時代が近代が築き上げたもの、あるいはその廃墟の上にしか成立しないということも、また事実だから、まずは父祖の築いた近代を理解したいという気持ちが強かったんだと思う。西洋史学なんてところに行ったのも、フランス革命なんてものに手を出したのも、そういう構築物の始まりを知りたかったからだろう。しかし生来のアンチモダンが顔を出して、というかアナール派以来モダニティでない一面に注目が集まっていたということもあって、フランス革命のそういう方面ばかりに気持ちが引かれてしまい、モダニズムとしてのフランス革命というものを十分に研究し尽くせないまま手を引くことになってしまった。目的意識が不明瞭だった、目的意識を見失ってしまったということが、大きな原因だったなと今では思う。近代とリアリズムの自律運動のようなものを捉えることが自分にとっては必要だったのだけど、歴史学というもの自体が実証主義という近代社会科学のドグマに強く依拠している現在、それを相対化する視点で研究を続けるということは相当の意志と腕力がなければできないことだったとこれを書きながら思う。視点のぶれが何より自分の研究を実らせなかったのだなと深く反省する。
これから私はポストモダンの現在、ポストモダンと言ったって80年代に語られていたのとは本質的に違う、近代の原理とは違うものに依拠する時代、イヤ、多分思想の戦国時代というか、アイデンティティのばら戦争みたいな時代に生きることになるだろう。赤ばらか白ばらかと言っているうちに誰が味方で誰が敵か全く錯綜していく。現代はモダニティに対するアンチテーゼとして原理主義が突きつけられているわけだけど、まさかそんな時代が来るとは80年代には誰も思っていなかっただろう。当時はイランの政権は多様化の一つの例に過ぎなかった。
この時代に自分が何をしたらいいかというのは、鳥の目で見てはわからない部分が多いし、虫の目で見ても発展性が見出せない。むしろ魚の目のように、水面下で幻想を通して現実を眺めていた方がいいのかもしれない。人は誰も彼も本当には先が見えていないだろう。
なんかこういう話も、誰かとできるといいなと思うのだけど、まあとにかく書き散らしてみた。
二、三十年前から、これからは大転換の時代だ、と言われていたけれども、2010年はもうすでにその大転換のカーブをだいぶ曲がったところにいる気がする。そのカーブも、一度曲がったら終わりというような単発のカーブではなく、日光のいろは坂のような、48回はカーブがありそうな長い道のりで、最初か二番目かそのあたりのカーブを曲がっている最中だという気がする。もう前も見通しがないし、後も見通しがない。どこか景色のいいところまでのぼってはじめて、自分たちが今どこまで来てしまったのかということに気がつく、そういうカーブを曲がっているような気がする。
90年代と0年代の大転換の時代に、私はずっと傍観者だった気がする。それは多分、教育という仕事に関わっていたからだろう。教育の仕事は変化についていくことではなく、変化にブレーキをかけるという結局は敗北必至の面があるからだ。遮二無二ブレーキをかけつづけて疲れ果てて辞めてしまったけれども、そのあとも曲がる前の、アナクロニスティックな部分にこだわるメンタリティがだいぶ残存してしまった。それを総括しようとして、モダンというものを体で理解するために近代史やリアリズム・小説に取り組もうと思ったのだと思う。ただ、こう言うものを体で受け入れるには、私は多分もともとあまりにアンチモダンで、免疫的に拒絶された部分が大きかったなと思う。
同じことをやるわけには行かないが、90年代と0年代の空白を埋めたり、自分の「近代」体験を総括したり、ということが、10年代のスタートダッシュにおいてせっかくなら自分のものにしておきたい部分だ。それを頭で理解するのではなく感覚的に受けとめ方を決めるということが大事になってくるのではないかという気がする。
後何十年いけるかはわからないが、最後まで走りつづけるために。
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