日本歴史の美しさ/江戸時代の雪華模様

Posted at 09/06/27

昨日。午前中湖畔に行き、人に会ったり人に会ったり。そこで食事を済ませ、家に戻って一休みし、駅に人を迎えに行く途中で、細い道の行き違いを上手くハンドル操作ができなかったら向かい側の車に怒鳴られた。柄が悪いのがいるな。こちらがもたもたしているのもいけないんだが。そのまま駅に行ったら、迎えに出た人、は昔職場にいた人なのだが、が付き合ってる人と言ってもう一人を紹介された。あれまあ。また湖畔に行き、そのあと彼らを美術館まで送る。家に戻ってきて一休みし、職場に出る。また彼らが尋ねてきて、昔を懐かしんでいった。駅に送り、戻ってきて10時まで仕事。たくさん人に会ったので昨日は結構疲れていて、仕事中も眠くて困った。

今朝は5時過ぎに起きる。モーニングページを書き、職場に歩いて用事を済ませに行く。最近、田舎にいるときは車に乗ってばかりで運動不足だし、身の回りの風景を見る余裕もないので、たまには歩くといい。なんだかんだと理由をつけて車に乗ってしまうのだけど、あえて歩かないと体は鈍るばかりだなと思う。

昨日は忙しかったせいもあって、自分の芯にあるもの、つまり自分のやりたいことを見失っている感じがあった。それよりはまず、体を休め、頭を空っぽにすることが課題だったせいもあるが。でもだいぶ頭も休まったらしく、何かに取り組もうという気持ちはあるのだが、なかなか前向きになれない部分があった。白洲正子『近江山河抄』を読んでいても、心が沈んでいくものがある。白洲は、古典の文学作品や歴史書を読んで、古代の人びとがどう感じ、どう動いたかということを想像して動かしているのだが、その美しい世界に入っていけないものを感じていた。白洲がそれを書いているころにはなかった、日本のそういう美しい歴史を汚すような研究が最近行われている。聖徳太子はいなかった、とかそういう類のものだ。そういうものを読んでいると心が暗くなってくる。そういう研究があるというだけで暗くなってくるものがある。日本の歴史の美しい部分がそういう研究によってどんどん殺ぎ落とされ、嫌などうでもいいものになっていくのが耐えられない。

歴史というのは美しいものであってほしい。特に日本の歴史には。美しいといっても、歴史が殺戮や奸計に満ちているのは当然のことなのだが、誇るべき事績とか、美しい説話などをすべて大したことねえんだよと脱神話化を図るような、そういう研究がなされているのには我慢できないものを感じる。日本人の拠り所、日本の誇りのありかのようなものをこれ以上汚さないでほしいと思う。そういうものの研究が国立大学でなされていたりすると考えるとふざけるなという思いが出てくる。

白洲を読んでいると、そういうことを考えてしまう。以前は、白洲のそういう言説に勇気付けられて、日本のそういう美しい面、誇るべき面、我々が拠り所にしていい部分を読んでいくのが楽しかったのだが、それを傷つけようとする人が学者という名で存在し、またその勢力が侮れないものであり、また学会誌など権威ある書物に載せられているのを見ると、どうも将来を悲観してしまうのだ。

ニューウェーブをおこさなければならない。しかし、日本の歴史の価値を見直そうという動きの人びとがしているいろいろな動きを見ていても、それじゃだめなんじゃないかという感じがすることが多い。簡単に言えば、論争的過ぎるのだ。論争ももちろん必要なことは確かだが、もっと必要なことは地道に日本の歴史の美しさを表現しつづけることではないか。考えてみれば、そういうことを自分がやるべきなのかもしれない。学者は歴史にそういう価値を持ち込むことはやりにくいだろうし、評論家は論争しなければならない。作家はフィクションを構築しなければならないし、それぞれそういう立場がある人が出来ることは限られている。そういう立場のない私が、自分の魂の拠り所を確保するために、そういう仕事に取り組むというのは、自分にとっても日本にとっても大事なことだと思う。日本人の魂にとって大事なことを、今救い出さなければならないことがある。北條時宗、楠木正成、西郷隆盛。聖徳太子、菅原道真。敗戦の見極めと立て直し、ということでは天智天皇、阿部正弘、昭和天皇。古代に行けば雄略天皇とか、拾い始めるといろいろでてくるが、考えてみれば小学生の頃に熱中した歴史の本に書いてあった日本というものは、もっと魅力的なものだった。その魅力というものを今の子どもたちがどれくらい感じているだろうかと思うと残念なところがある。括弧のついた「歴史学」をやろうと思うから上手く行かないのであって、日本人の拠り所となるべき歴史の美しい部分を抽出し、それを語ることは決して無意味なことではない。後は語りの技術の問題だ。日本の歴史の美しい部分を書く、という覚悟が必要なのだ。

職場からの帰りに久しぶりに、『コミック乱』を買った。そういう心の動きがどこかで関係していたのだろう。『鬼平犯科帳』、久しぶりに読んだら原作の質がかなり上がっていた。大原久澄という人が書いている。これは読んでもいいなと思った。昌原光一『御誂 人情幕ノ内』絵もいいし、話も面白い。高見まこ『仲蔵狂乱』、これは面白い。松井今朝子原作か。直木賞を取った人だな。原作も読んでみようかな。しかし、絵の魅力も大きいからなあ。高見まこは上手い。『風雲児たち』久々に読んだが面白い。坂本龍馬が出てきて作者も調子が出てきたのだろう。やっぱりあからさまによく書ける部分とそうでない部分があるのだな。龍馬のような能天気な部分のある話の方が、みなもと太郎はのびのび描けるようだ。森本サンゴ『ジュゲム』。ばくち打ちが自分が死んだら亡骸を葛飾北斎に届けろ、という話が面白いと思った。

細川護煕「閑居に生きる」 (和樂ムック)
細川 護煕
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『細川護煕 閑居に生きる』読了。この人はもともと、アーチストというセンスの人なんだなと思う。それがいろいろな具合で殿様の末裔に生まれたり政治家になったりしたが、結局「陶芸家」というのが一番落ち着きどころだったんじゃないかと思う。

細川家伝来のものに『雪華蒔絵印籠』というのがあり、珊瑚の珠とみごとな根付がついていて、黒漆の印籠に雪の文様が散らばせて描かれている。『紫陽花象嵌蒔絵印籠』というのも実に見事だ。これは原羊遊斎という蒔絵師の作品だが、彼は江戸後期の古河藩主・土井利位の御用蒔絵師のような存在だったという。

雪輪文様とか雪華図というものは江戸時代にすでに現れていて、『ギャラリーフェイク』でも老舗旅館の若女将が持っていた雪輪文様の茶碗が「江戸時代に雪の結晶がわかったはずはない」とインチキ骨董商にだまされて二束三文で買い叩かれるのをフジタが防ぐ、という話としてでてくるが、江戸時代に雪の結晶が描かれた理由は明らかにはされていなかった。

土居利位という殿様は『風雲児たち』にも出てきていて、私の記憶に間違いがなければ天保の改革前後の老中だった人だが、この本によるとこの人はどうも蘭癖大名だったらしく、オランダ渡りの顕微鏡を用いて雪の結晶を観察・記録し、『雪華図説』『続雪華図説』という本まで著しているのだそうだ。利位は公務の合間を縫って結晶の観察をすること20年、雪が降るたびに外へ飛び出しては黒い漆器に雪を受け、オランダ渡りの顕微鏡で観察しては結晶をスケッチしたのだそうだ。この本の刊行によって雪の結晶の美しさを知った当時の人々の間で、着物の図柄や器物の装飾などに雪華の模様をあしらうことが大流行したのだという。

オランダ渡りの顕微鏡で雪の結晶を観察するなど確かに大名でなければできないことだけれども、そういうものに敏感に反応して雪華模様を大流行させる当時の江戸庶民というものも物見高い。羊遊斎に命じて作らせたこの印籠は、台所が火の車だった古河藩が姻戚関係にある細川家から莫大な借り入れをしていて、その返礼の意味もあったのだという。南国熊本の細川藩に雪を降らせた心配りだろう、という。お洒落なものである。

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by Luke Peterson

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