生の複合

Posted at 08/09/12

堀田善衛『ミシェル 城館の人』全三巻読了。読み始めたのが8月26日(火)だったので、18日間かかったことになる。これだけ一つの作品を読みつづけて読破したのはいつ以来だろうか。小林秀雄『本居宣長』もかなりかかったが、18日はかからなかった気がする。すると『源氏物語』谷崎潤一郎訳、以来ということになるかもしれない。谷崎源氏を読んだのはもう10年以上は前だから、実に久しぶりに大著を読んだという印象。

この作品は堀田善衛が1994年に出したのだが、私は当時堀田のエッセイ集、『スペイン断章』などを読んでいて、短いものなら読んでもいいな、という程度の読者だった。『ミシェル』が出たとき、長大だし、モンテーニュというよくわからない人だし、またいろいろと忙しかったということもあって触手が伸びなかった。今回読んでみて、やはり当時ではちょっと読むだけの余裕も背景知識もなかったから、かなりきつかっただろうと思う。多分出会うときには出会うだけの理由があるのだろう。

この作品の印象を一言で言うとなんだろうか。今ふと思いついたのは、足立巻一の『やちまた』だ。この作品は国語学者・本居春庭の事跡を追いかける作者自身の物語、というものなのだが、作者の生と春庭の生が複合的に立ち現れてくる、大変異色でスリリングな作品だった。この作品を私が知ったのは呉智英『読書家の新技術』で紹介されていたからなのだけど、新聞書評の読み方の例として、『やちまた』が朝日新聞の書評であらん限りの技術を尽くして推薦されていたことを挙げ、読んでみたら素晴らしい本だった、と書いていたのだ。それを読んだら私も読みたくなり、単行本の上下二冊で当時大学生の自分にとっては少なくない出費だったのだけど、これは面白いと興奮して読んだ。春庭は本居宣長の長男で、盲目であったために家業の医者が継げず、養子を取ることになる。春庭は鍼灸按摩の勉強をする一方で日本語の助詞助動詞の研究に入り、それを大成した。そんな話だった。

『ミシェル』はモンテーニュの生と堀田善衛の生の複合は要所要所にしか立ち現れないが、それでもなぜ彼がこの付き合うのに厄介な思想家と付き合い、こんな大部の伝記を表したのかということはよく分るようになっている。それだけでなく、『エセー』の作者、観照的な作家であるモンテーニュは、ルネサンス・宗教戦争時代のフランスで少なからぬ活躍をした、歴史上の登場人物のひとりとも言える存在であり、それゆえに彼の生を描くことはルネサンス時代のフランスを描くことにもつながり、必然的に大きな世界が描かれることになって、政治活動に従事するモンテーニュと作家としてのモンテーニュという二つの生の複合が『やちまた』を思い起こさせたのだと思う。

しかしそれにしても長大な作品だった。そしてその中に出てくる熟語がおいそれと読み飛ばせない者が多く、しっかりと意味をとりながら読まないとわけがわからなくなるのでものすごく頭を酷使する作品でもあった。それを18日間続けたわけだ。今日は読み終わったあと、半ば風邪をひいたような頭が働かない状態になってしまったが、まあそれもやむをえないだろうとさえ思う。しかしそういう作品を読みきったという充実感は確かにあるのだった。

しかし読みながらいろいろ気になることもでてきたので、今日はネットでそういうものをいくつか調べてみた。アンリ4世はナヴァール公として作品では出て来るが、ナヴァールは公国ではなく王国であるはず。また当然スペイン北部の小王国であって、フランシスコ・ザビエルなどもここの出身なのだ。それがなぜアンリ4世と関係があるのか、と思って調べてみたのだが、もともとナヴァール王国の王位はフランス王が兼ねたりフランス貴族が王となったりしていた、フランスとのつながりの強い地位だったのだ。しかし1510年代にアラゴン王フェルナンドにより征服され、スペインの一部になってしまう。ピレネーの北側はベアルヌ公領とともにナヴァール王国として残った、ということが分った。ウィキペディアはこういうことには役に立つ。

調べているついでにいろいろなことが気になり、そういえば世界史の教科書には百年戦争の原因としてフランドルの争奪があった、ということが書いてあったが、その具体的な経緯は調べたことがなかったなと思い、これもまたウィキペディアで調べてみた。すると、フランドル伯領は870年のメルセン条約以降西フランク王国(後のフランス)の宗主権下にあったが、ゲルマン語圏であるために独立性も強かったのだという。10世紀末に成立したカペー家のフランス王国は当初は弱体であったが徐々に力を伸ばし、フィリップ4世の時代にフランドル併合をはかったが、フランドル諸都市の抵抗に合い、1302年の金拍車の戦いに勝利してフランドルは独立を守ったのだという。そういう経緯もあり、また羊毛の取引を通じてイングランドとのつながりも深く、またイングランド王との姻戚関係もあった。強権によって支配しようとするフランス王と、それに抵抗する諸都市を援助するイングランド王、という対立関係があったと理解してよさそうだ。しかしこのへんのところは項目によって記述にばらつきがあり、これらの関係を系統的に理解するためには少々整理が必要だと思った。このあたりのところにウィキペディアの限界もあろうが、もちろん限界を承知で使うべきものではある。

ナヴァール、スペイン語でいえばナバラのことを調べているうちに大学4年のときに行ったスペイン北部のことが懐かしくなってきて、アストゥリアス王国、なんてものを調べたりした。「アストゥリアス」、というギターの名曲のメロディが頭の中を流れ、スペイン語のサイトで調べているうちにひょっとしたら読めるのではないかという幻想にとらわれてプリントアウトしてしまった。30枚にもなるのでさすがに5枚程度にしたのだが、考えてみればこちらにはスペイン語の辞書も文法書もないので読みようがなかったのだ。

いろいろ昔にやった懐かしいことを思い出すのは楽しいのだけど、こうしてみると不思議に興味をもってもその後関心や研究が続かなかったものとわりあい継続的に取り組めたもの、今でももう一度チャレンジしてみようかなと思えるものとやっぱこれは無理だなと思うもの、といろいろなケースが出てくることに気がつく。いや、あたりまえのことなのだけど。しかし、継続的に取り組めたものと関心が続かなかったものの違いは一体どこにあるのだろう。

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