911から7年/本から受け取ったもの。どうお返しをするか

Posted at 08/09/11

朝9時20分からのNHK-FM、「ミュージックリラクゼーション」を聴いていたら、緊急地震速報が流れた。聞いたのは初めてだったので少し驚いた。北海道十勝沖で地震が発生したという。一度通常番組に戻ったがしばらくしてまた地震速報になった。十勝地方、日高地方で震度5弱だという。しばらく速報を聞いていたが、帯広市内の人のインタビューで店の品物が棚から落ちるようなことはなかった、と言っていたのでたいしたことはないのだと思い、ラジオを切った。震度5弱といえばかなり揺れた感じがすると思うが、実際のところはどうだったのか。

しばらくしてラジオをつけると今度は「みんなのコーラス」になっていたのだが、懐かしい曲を聴いて思わず口ずさんだ。「ともしび手に高く」という合唱曲で、私は高校二年のときに校内合唱コンクールで歌ったことがあった。あのときの合唱の練習は楽しかったが、さすがに全国レベルなので、中学生の演奏でも私たちよりずっとうまいなあと思った。しかし考えてみると、当時合唱の練習は楽譜を与えられただけでテープもなく、よく歌えたなと思う。一年生のときはクラスにまとまりがなく全く曲にならずに大失敗だったが、今考えてみたらテープで最初に聞いていたらもっとまともに歌えたのになあと思う。今はさすがに模範演奏なしということはないのではないかと思うが、そんなことも思い出した。

信州の朝はこのところ涼しいというよりはむしろ寒く、昨夜は布団だけでなく薄めの毛布を一枚かけて寝た。おかげで暖かく、ぐっすり眠れた。しっかり眠るのは大切なことだと改めて思った。

今日は9月11日だ。あの出来事からちょうど7年がたつ。思うのだが、あれから世界は幻想の時代に突入したような気がする。小泉政権のマジックやネットの普及、反北朝鮮世論の盛り上がり、テロとの戦争、現れては消えるネット企業、バーチャルなものが経済の根幹にまで関わるようになってきた。ゲーム産業やヘッジファンドが原因のアジア通貨危機など、90年代末からそういう傾向は現れていたが、自分の周りにまで、世の中の奥深くまでそういうものが浸透してきて、世の中の基盤にある古いものが白骨化し、枯死しかけている感じがする。

そういう時代にあって、確かなもの、手触りのあるものに対する希求はかなり強くなってきていると思うのだけど、正直そういうものはあまり元気がない。元気がなくても存在感はあるのでそれでいいのかもしれないのだが、世の中がこの先どの方向に変化していくのか考え込んでしまうところがある。

「人は分かり合うことが出来るのか」というテーマで文章を書いていて脱線した結果、人と人との関係はたとえ教師と生徒という関係であっても、お互いに与えるもの、受け取るものがなければ長続きしない、ということを思った。教師というものは、基本的に生徒からの刺激があって初めてその仕事に活気が出る。生徒から刺激を受け取ることが出来ない環境では教師側のモチベーションの維持が非常に難しくなる。それはどんな人間関係でもおなじで、受け取るものがあればそれにお返しをするものがある、という関係でなければ長続きしないだろう。そのやり取りがうまく行かない関係は難しい。それがまさにすれ違いということになる。

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ミシェル城館の人〈第3部〉精神の祝祭 (集英社文庫)
堀田 善衛
集英社

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堀田善衛『ミシェル 城館の人』第三部、現在368/467ページ。昨日から160ページほど読んでいる。実際だいぶ読んだ、という感じだ。

ボルドー市長職を辞したミシェルはモンテーニュの城館に篭るが、プロテスタントとカトリック同盟の激しい戦いの中に巻き込まれていく。内戦とあいまって、ペストが流行し、また飢饉も訪れていた。カトリック同盟はペストの混乱に紛れてモンテーニュの城館の近くの都市を襲い、占拠する。そして数多くの病人があてどなく都市を追われたために、近隣の農村にペストが蔓延し、モンテーニュは城館を捨てて脱出せざるを得なくなる。しばらくのあいだ母と妻と娘を荷車に載せてわずかな供回りを彷徨する破目になる。ペストの流行地域から逃れてきた人たちを積極的に受け入れてくれるところは考えにくいわけで、彼らの彷徨は6ヶ月も続いたという。その窮状を救ったのがちょうど近くに来ていた王母カトリーヌで、カトリーヌはモンテーニュに身分にふさわしい体面を整えるのに必要な金を下賜したようだ。半年後に城館への帰還を実現するが、その後彼はふたたび王母と国王、ナヴァール公アンリ、ギュイーズ公アンリの間の調停に奔走し、またパリを訪問して政治的な交渉ごとと同時に『エセー』の第三部を出版しているのでそのしたたかさには確かに感心させられる。

モンテーニュがパリとその周辺にいるあいだに国王アンリ3世とカトリック同盟の盟主ギュイーズ公との間の対立が膠着状態になっていたが、それを破った原因が1588年のスペインの無敵艦隊の敗北にあったということを読んで、歴史の歯車の意味をまた一つ発見し、感心させられた。ギュイーズ公のバックにあったフェリペ2世の完全なる敗北によってアンリ3世はフリーハンドを得、ついにギュイーズ公を暗殺した。翌年早々、王母カトリーヌも死去する。国王はナヴァール公アンリと和解し、ともにカトリック同盟の本拠地であるパリを攻撃する手はずをととのえるが、そんな中で国王アンリ3世も修道士の手にかかって暗殺された。アルマダの敗北が結局はフランスのヴァロワ朝を滅ぼし、ナヴァール公に王位を伝えたわけだ。しかしブルボン朝の創始者となりアンリ4世となったナヴァール公はプロテスタントだったので彼を国王と認めるものはごくわずかであり、1593年にカトリックに復帰し翌年国王として聖別を受け、1598年ナントの勅令を出してようやく内戦を収め、ブルボン朝の支配を安定させることになる。この時代の流れの微妙さには感心させられる。モンテーニュは国王とナヴァール公を和解させたところで政治から手をひき、モンテーニュの城館に戻る。そこから先は彼の著書の内容が話の中心になっていく。

まだ読み終わったわけではないが、『ミシェル 城館の人』から受け取ったものは何か、ということについて考えてみた。一つはアキテーヌへの関心の復活。二つ目はモンテーニュという人物への興味。三つ目はルネサンス・フランスへの関心。四つ目はフランス国内の宗教戦争史への関心。五つ目は分りやすい歴史の面白さ。六つ目は伝記の魅力。ずいぶん多くのものを受け取っている。

それでは私がお返しを出来るものは何だろうか。お返しといっても堀田本人にというより、この本を私に与えてくれた社会に、ということになろう。考えてみれば表現というものはすべて、社会なり自然なり何なりが与えてくれたものに対するお返しではないだろうかと思う。自己を開示することそのものを含めて、社会にお返しをすることが表現の本義であって、そういう意味では「自己表現」というのは矛盾した言葉になる。どうお返しするか、ということを考える。


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